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ある日の闖入者

 その日、クリスティア・ランポールは邸宅前の庭を望めるテラスのガーデンパラソルの下でラビュリントス王国で発行されている全ての新聞に目を通していた。


 つい半月ほどばかり前に事件が起きたのだ。


 憐れな被害者は男爵位を持つ老年の男性。

 容疑者はその男性と付き合いのあった妙齢の女性。

 その女性には黒く悪い噂が幾つも絶えなかったこともあり、三日前に逮捕をされたときに世間はとうとう悪しき女の尻尾を掴んだのだと随分と賑わっていた。


 曰く、長年王国に君臨して世の男性達を恐怖に至らしめていた毒婦を逮捕した。


 曰く、悪女のこれまで悪行も年貢の納め時であり、今回の事件は警察にも止めることの出来なかった新たな蛮行を止める尊い犠牲であった……っと。


 遺族にとってはとんでもない話しではあるが、センセーショナルに似たような見出しで今だ興奮を煽る新聞各紙を、クリスティアは冷静に一枚、二枚と読み進めていく。


(誰かのためを思うのならば、これが無実の罪であると分かっていたとしても……暴かないほうが世間のためかしら)


 悩ましげに読んでいた新聞を閉じたクリスティアは、地下の奥深く、誰との交流も出来ないように閉じ込められるべきであろう捕えられた女性のことを思う。


 クリスティアは彼女のことを良く知っていた。


 知っているからこそ、事件にこそ興味はあれど関わるかどうかを悩んでいるのだ。

 実はその彼女から囚われた牢獄へと会いに来て欲しいという旨の手紙を送りつけられているのだが……世間の評判、そして自身の評価からいっても会いに行くにはリスクがあり、腰が重くなってしまう。


 はてさてどうしたものか……見ていた新聞達を横目に眼前に広がる美しい庭園を悩むように見つめていれば、静寂であったその庭をドタドタドタと騒がしい足音と声を響かせながら一人の男が警備兵達に追われながら逃げている。

 迷路のような庭園を迷うことなく邸へと向かって走る、走る、走っている。

 そしてその男はクリスティアの姿を見付けると、青緑色の瞳を輝かせて一目散に走り寄ってくる。


「クリスティア!クリスティー!クリスティーヌ!」


 クリスティアの名とあだ名を連呼しながらガーテンパラソルの下で寛ぎ座る彼女へと手を大きく振り、息を切らせて近寄るとその背中へと隠れる男。

 すばしっこい闖入者を引き留めようと追いかけていた警備兵達がその姿を見て殺気立ち、後ろに控えていた侍女であるルーシーも、相手が誰であるかは分かっているものの約束無く現れた男の急所を狙わんと短剣を構えるが、クリスティアは問題ないというように手を上げて兵士達とルーシーを制する。


「問題ないわ皆、知り合いよ。朝から追いかけっこだなんて、元気そうでなによりだわヘイスティングス」

「僕の名前はヘンディングスだよクリスティー!」


 それに追いかけっこはしたくてしたんじゃない!


 そういっていつまで経っても覚えてもらえない名前を叫んだのはヘンディングス・エモド。

 汗の流れる青みがかった白銅色のショートボブの髪を掻き上げ、息苦しいネクタイを緩めると走り回って熱くなった体を冷ますために脱いだジャケットを腕にかける。


 ヘンディングスは去年、ラビュリントス学園の高等部を卒業した20歳の若者で、クリスティアの母であるドリーと彼の母が友人であることからランポール家とは互いの家を気軽に行き来する懇意の仲である。


「まぁ、だってあなたのお名前ってばわたくしの敬愛する探偵の相棒とよく似ていらしてだから。素敵でしょう?ヘイスティングス。改名なさってはどう?」

「僕はヘンディングスという名を気に入っています!素晴らしい両親から与えられた素晴らしい名です改名なんてとんでもない!」

「あら、そうはいってもそのご両親に随分とご迷惑をお掛けしているそうね。あなたが恋人のいる娘さんに言い寄り、ストーカーとして訴えられてしまったと夫人が嘆いていらしたわ」

「うっ!僕の愛はいつだって盲目なんです!それに彼女とのことは誤解なんです!高価なサファイアのネックレスだってプレゼントしたのにお見合いに行かれて……ってそんなことはどうでもよくって!僕は君にきちんと名を呼んでもらいたいのですよクリスティー」


 グズグズと文句を垂れながら、走り回って乱れていた息が漸く落ち着いてきたので正式な挨拶として、クリスティアの手を取るとその甲へと唇を落とす。

 ヘンディングスが恋愛詐欺に何度もあっているのは親しい間柄であるならばよく知る事実。

 そして彼の恋が花の数だけあり、それによって家族が困らされていることも、社交界ではよく知られている事実だ。


「というかなんだか警備が厳重になっていません?見たことのない警備兵が沢山増えていましたよ」


 だから僕の顔を知らなかったんだと不満げなヘンディングスだが、貴族家へと他の貴族家の者が訪れるときには大体、招待状を持っているか予め約束を取り付けて来るのが前提で、ヘンディングスのようにいきなり押しかけて来ることはない。


 無作法である。


 だがヘンディングスは幼い頃から当たり前のように連絡もなくランポール邸へと訪れていたし、当主であるアーサーもヘンディングスが来たら入れてくれて構わないという命令を下していたので、今まで止められることはなかった。

 それだけ親しい間柄……だったはずなのに。

 知らない兵士達が増えたせいで止められたのだと唇を尖らせるヘンディングスは自分の無作法には目を瞑り、追い返されたくないので強行突破した結果、職務に忠実な兵士達に追いかけ回されたのだ。


「このように突然押しかけるのではなく、まず連絡をしてくるなり紳士としての礼儀を弁えてくださったら名を呼んで差し上げますわ。警備に関してはつい先日、わたくしが家出をいたしましたので、心配した家族が人を増やしたのです」


 警備が厳重となり今まで通りにはいかなくなってしまったのは、クリスティアが家出という名の事件解決に他国にまで足を伸ばしたことが原因であった。

 事情があっての家出なので心配しなくていいとの置き手紙を残したのだが、どうやら言葉足らずだったらしい。

 今後、万が一にでも誘拐があってはならないとランポール家の警備の数は倍に増やされた。


「家出!?家族想いの君が!?そうだ!ユーリ殿下との婚約を無かったことにするだなんていう噂を耳にしたのだけれど事実なのかい!?」

「いいえ、事実ではございませんわ」


 家族を心配させるようなことをするなんて一体なんの冗談だいっという驚きと共に、婚約破棄を期待をする眼差しをヘンディングスがクリスティアへと向けるが。

 すぐにそれを否定したことにより少し残念そうに項垂れる。


「それよりも警備兵達に追われることになっても押し入るだなんて……余程、急ぎの用件がおありだったのではないの?」

「そうだ!事件です!事件なんですよクリスティー!」


 警備兵達と追いかけっこをするために来たわけではない。

 ハッと思い出したように項垂れていた身を正すとヘンディングスは机に広げられている新聞を見て、それを握り潰してしまいそうなほどに強く掴む。


「これですこれ!僕の愛しの女神が濡れ衣を着せられてしまったのです!あなたのその何色か分からない聡明なる頭脳で彼女を助けて欲しいんです!」


 新聞を掴んで記事を見せつけるようにクリスティアの眼前へと広げるヘンディングス。


 希代の悪女、絞首台へのカウントダウン。


 厚く魅力的な唇を上げて微笑む美しい女性の写真が載る新聞に、クリスティアは眉を顰める。


「ヘイスティングス、あなたまさか……」

「ヘンディングスです、クリスティー」


 恋多き男、ヘンディングス・エモド。

 年若き彼はいつだって情熱的で惚れっぽい質だと誰もが知っている。

 そして今回に限っては……どうやらその相手が悪いようだ。


 灰色の脳細胞を働かせることをつい今し方、躊躇っていた相手へと恋を募らせ焦がれている愚かな青年の盲目的な眼差しに、クリスティアは深く……深く溜息を吐いたのだった。

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