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ヴィネア・レグラスについて①

 そのテラスハウスは貴族街の外れ、商業街から近い場所に並び建っていた。

 同じ外観は一見すると一つの大きな邸宅が建っているようにも見える集合住宅。

 こういった造りの住宅は商業街近くの貴族街ではそれほど珍しいものではなく。

 首都に滅多と訪れることのない貴族達のための一時的な滞在場所として使用されることが多くあったのが貴族街のテラスハウスであった。


 だが今はもう、すっかりそれも様変わりしていた。


 クリスティアがテラスハウス前の通りを馬車の窓から覗き見れば、通りを歩くのは貴族街に住んで箔を付けたい商人達の着飾った姿。

 見える景色を気に入ったのか、キャンバスを抱える芸術家。

 その芸術家が熱の籠もった視線を向けるのは、窓の外をアンニュイな様子で眺めている女性。

 彼女は何処かのお金持ちの愛人であろう。


 そういった貴族とは言い難い者達が多く住みついたこのテラスハウスの一つに、レグラス子爵家があった。


 元は貴族街の中程に広い庭の有する邸を構えていたレイグラス子爵が、一時的な滞在場所として使われていたはずのこのテラスハウスへと住処を移したのはもう随分と昔の話だ。

 生活感の滲み出ている室内は彼らの栄華がすっかり衰退していることを如実に物語っていた。


「突然のお申し出をお受け下さり感謝いたしますレグラス卿、夫人」

「いいえいいえ。高貴なるランポール公爵家のご息女にこのような場所に足をお運び頂きまして、恐縮の極みでございます」


 レオ・レグラスは疲れ切っている紳士であった。


 使い古されてくたびれたツイードのジャケットに薄汚れた眼鏡の奥で濁った深緑色の眼、深く皺の刻まれた眦と、苦労を感じさせる白髪の多さ。

 首都の貴族街に邸を構えるにはそれなりに税金の掛かること、このテラスハウスも例外ではなく……掛かる税金に比例して家賃もそれなりにすることだろう。

 邸を手放しても貴族としてのプライドは手放せず、領地に戻らずに首都に残り続ける憐れな貴族であるレオは肩を縮ませて、クリスティアの来訪を恐縮する。


「本日はうちのヴィネアについてお聞きしたいことがあると……」

「えぇ、実はご一緒に亡くなられたご親族の方から依頼を受けまして……何故自殺に至ったのかの理由を知りたいと。なので不躾ながらご遺族の皆様に色々とお話しをお伺いしているのです。共に亡くなるということはなにか共通する理由があったということですから。レグラス卿と夫人はヴィネア様がお亡くなりになるなにかお心当たりはございますか?」


 レオの隣に座るナビア・レグラス夫人は少し演劇チックに、水色の瞳を潤まし、頬に赤毛の髪を流すと、この邸で一番良い物なのだろう深緑色のドレスの胸を押さえるとレオの身へと寄りかかり、頭を振る。


「全く。あの子が亡くなる理由など本当に全くの心当たりはないのです……」

「えぇ、本当に。あの子はなんというか、先進的で情熱的な子でした……貴族という身分があるにも拘わらず女優になるのだと努力しておりましたし、私達もそれを反対せずに応援しておりました」


 二人が疲れ切ったような話し方をするのはヴィネアに対してそうであったからだろうか。


 身分のある女性が働くことを忌避していた時代。

 そういった時代に女優を目指していたヴィネア。

 ヴィネアへの評価はレグラス家への評価へと間接的に繋がっていたはず。


 衰退していく中で、そういった評価は子爵家にとって随分と重荷だったはずだ。


「でしたらアルスト様との恋は実に情熱的なものだったのではないのでしょうか?」


 クリスティアがアルストの名を出したのは付き合っていて一番繋がりがあるのが彼だと思ったからだ。

 話の切っ掛けとしたかったのだが、その名を聞いた瞬間、レオが嫌な顔をする。


「アルスト・サンドス。聞きたくない名だ」

「あなた」


 眉間に皺を寄せて嫌悪感を深く滲ませたレオを、咎めるようにナビアが腕を引く。

 その引かれた腕にレオは深く溜息を吐く。


「えぇ、情熱的だったのでしょう。ヴィネアは心底惚れていましたから。いずれ自分が結婚相手になるのだと幻想を抱いていたはずです……あんな浮薄者との結婚、私達が許しませんでしたけどね。しかも長く付き合っていたというのに、あの男はあっさりとヴィネアを捨てて別の女性と婚約して……ヴィネアは烈火の如く怒ってました」


 絶対に許さないとヒステリックな声を上げて部屋で暴れていた声を今でもレオは思い出せる。

 毎日、毎日、毎日、そのヒステリーを宥めるのが一時期、レグラス夫妻の日課となっていたくらいだった。


「ヴィネアは何度かサンドス家にも怒鳴り込んでいたようで。大人同士の約束のない付き合いに責任などないのだからヴィネアをどうにかしろという抗議文がこちらにも届いておりました。酷い一家です。そして、あの事件が起きたのです」

「事件とは?」

「ヴィネアの主演舞台が中止になったのです。サンドス家の妨害によって」


 本当に哀れだと言うようにレオが痛む胸を押さえる。

 舞台で輝きたいのならば己の行動を弁えろというそれは間接的ながら明確なサンドス家からの脅しであった。

 そしてそれは実に効果的に、主演女優を夢に見ていたヴィネアを追い詰めた。


「ヴィネアは生きる気力を失って部屋に閉じ籠もるようになりました。本当に、心からショックを受けたのだと思います。主役になるため相当に努力をしていましたから……あの頃は頻繁に、トロワ家のご子息が慰めに来てくださって……それがどれだけ心強かったか……なぁ、ナビア?」

「えぇ、そうですね。ヴィネアと一緒に亡くなられてしまいましたけれどランス・トロワ様です。二人は幼い頃に交流がありましたから。度々うちにも訪れておりましたの。それに彼の妹さんがアルスト様のご婚約の相手でもあったので……私達にも深く謝っておいででしたのよ」


 ランスは本当に申し訳ないと、深く頭を下げてくれたのだ。


 アルストを語るときに浮かべていた表情とは違い、ランスに対しては感心するように称賛するように夫妻は表情柔らかく顔を見合わせて、頷き語る。

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