アルスト・サンドスについて①
商業街の一角にあるシャルトンカフェは元は有名な紳士クラブの一つだった。
時代が移り変わると同時に衰退し、カフェへと変貌してしまったが、長くクラブへと通っていた者達は過去の思い出に浸るために、はたまたそういった者達との交流を図るために、今でもこのカフェへと多くの者達が通い、賑わっていた。
「カイウス卿、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
カイウス・サンドスもその一人であった。
後ろ手に一つに結んだ銀灰色の髪、仕立てられたツイードスーツの組んでいた足をそのままに、声を掛けてきたクリスティアを眼鏡越しに鋭い眼差しで一瞥した彼は、他にも空いている席へと視線を向けるも、興味なさげに開いていた新聞へと再度目を向ける。
「どうぞ」
抑揚のない声で同席を許したカイウスはアルストの兄であり、現サンドス侯爵家の当主だ。
前サンドス侯爵とその夫人は既に亡くなっているので、アルストの話を聞くためにクリスティアはカイウスの元へと訪れたのだ。
カイウスの一日は決まっていた。
毎日昼には必ずこのカフェで食事と休憩を2時間取る。
それは社交界では有名な話しだ。
「それで?ランポール家のご息女が私になんのご用件でしょうか」
「どうぞクリスティーとお呼び下さいカイウス卿。実は今、ご依頼を受けてある事件を調査しております。23年前の集団自殺、カイウス卿にはその犠牲者の一人であるアルスト・サンドスについてのお話しをお聞きしたいのです」
一体なんの話をしにきたのかと思えば……。
眉を顰めて新聞を畳んだカイウスは黄色の瞳でクリスティアをじっと見つめる。
「親しき仲にも礼儀は必要ですご息女、親しくないのならば尚のこと。一体、愚かで憐れな弟のなんの話を聞きたいのです?」
不躾なクリスティアの態度に感情的になることがないのと同じように、その名を親しく呼ぶことはしない。
溜息を吐いたカイウスは、どうせ拒否したところで意味がないことは分かっているので早々に用件を問う。
社交界に滅多と顔を出さないカイウスですらクリスティアがそこでどう語られているかは知っている。
赤い悪魔。
人々の弱味を探り、握り、操る、それがクリスティア・ランポールという少女だと。
ならばなんら後ろ暗いことのない事実を答えることが最も安全であり、礼儀のある対応だとカイウスは考えたのだ。
「他の犠牲者の方々とのご関係と、アルスト様が亡くなるまでの間の出来事を。カイウス卿が知りうる限り全てを知れたらと思っております」
クリスティアの真摯な緋色の瞳、全てを見抜こうとするそんな瞳に見つめられ、居心地の悪い気分になりながら眼鏡を外したカイウスは疲れたように目頭を押さえる。
「弟の交友関係には生憎と興味がなかったので。それほど仲の良い兄弟という訳でもなかったですし……話せと言われてもなにを話せば良いのか」
実に貴族らしく、脅威の無い兄弟への関心が薄いカイウスは長兄として、サンドス侯爵家を継ぐ者として、いつだって分別を弁えた態度を取っていた。
それは両親に対しても、弟に対しても同じで。
語れと言われても語ることがないのだと肩をすくめて見せたカイウス。
そんなカイウスに、ならばきっかけはクリスティアが与えるべきだと彼女が口を開く。
「カイウス卿としてはアルスト様が秘密クラブに出入りし、平民とお付きいなさることに思うことはございませんでしたか?」
「ご息女、ご存じでしょう。爵位を継ぐことのない長兄以外が一体どのような道を辿るのかを……優秀であるのならばまだ、使い道もあったのでしょうが……そうでない者は自身の将来を自身でどうにかしていかなければなりません。そうするしかない時代でした。だからこそ付き合う相手を選んでいる場合ではないのですよ。まぁ、私の両親は弟をどうにかしようと躍起になっていましたが……私が軽薄な弟の振る舞いに感じるのは同情心だけでしたよ」
あぁ、そうだ。
アルストはそうであった。
軽薄であった。
思い出したように眉を顰めたカイウスは、弟の将来を思えば軽薄になるのも仕方のないことだと納得をしながらも、とはいえ良い気分ではなかったことも同時に思い出す。
「女性関係が随分と派手でいらしたようですね」
「えぇ……アルストが死んで、隠し子でも出てこないかと気を揉まされるくらいには派手でした。だがそれもエレイン・トロワと婚約をして落ち着いていました。そう、あれが最後の我が儘で両親も許したというのに……結局、アルストが死んでしまったので婚約は白紙となりました。最後の最後まで自分勝手な弟でしたよ」
「婚約が最後の我が儘とは?」
「彼女との結婚を許してくれるのならば今までの行動を改めると、女性関係も全て清算し、両親が望んでいた優秀な家庭教師を付け、上流の社交界にも顔を出すと約束していました。とはいえ彼女の家は跡継ぎの居る伯爵家だったので、結婚をしたところで将来は現状と変わらないと両親は難色を示していました。性格にさえ目をつぶればエレイン・トロワよりヴィネア・レグラスと結婚をしてくれたほうが爵位を引き継げるという点ではまだマシだと思っていたようです。ですがアルストは譲らず、調べてみれば兄は妹を溺愛しているようですし、結婚をしても悪いことにはしないと伯爵家からの確約を貰っていたようで……これでアルストが落ち着くならばと渋々ですが許したのです」
「あの、その婚約にエレイン嬢はご納得されていたのでしょうか?」
「さぁ、貴族同士の結婚に娘の意思など反映されるものではないでしょう。こちらからの婚約を望む手紙の返事はトロワ家からはすぐにあったようですから不満はなかったのではないのでしょうか。あれだけ結婚をしたいと騒いでいたから、ヴィネア・レグラスも黙らせたというのに……結局のところアルストの功績は彼女と共に死んでくれたことだと思っていますよ」
「ヴィネア様はお二人の婚約に不満を示されていたのですか?」
「当たり前でしょう。没落していたとしても子爵家の娘。しかも長女であり、後を継ぐ長兄が居ないとなれば誰か優秀な婿を迎えるしかない。同じ貴族であり、長くアルストと付き合っていのは彼女だったというのに……自分を捨てて別の人物と婚約、しかも恋情以外には価値のない婚約となれば普通ならば許さないでしょう。彼女もそうでした。絶対に許さないと邸に怒鳴り込んで来ましたよ。とはいえ金を掴ませたら、呆気なく身を引きましたけど」
ヴィネアの礼儀のない振る舞いを思い出し、机に爪先を当てたサンドスはカツリカツリと苛立ちを紛らわせるように音を立てる。
身の丈に合わない高価な宝石にドレス。
慎ましさの欠片もない、悲劇に酔いしれ喚いていたヴィネア・レグラスとはアルストが付き合っている者達の中で一番、厄介な女だった。
カイウスはアルストには失望させられることばかりだった。




