カラム孤児院②
「叶うことのない想いだとは本人も理解しているようでした。身分もなにもかも違いましたし、貴族の結婚といえば親の意向が強く反映するものですから……エレイン嬢のご両親は特に、そういったものが強い人だと聞いておりました」
婚約はしていないものの親の意向で学園を卒業後に婚約し、結婚する相手が居ると。
「彼女ね一度、身分制度など無くなってしまえばいいのにと嘆いていたことがありました。そうすれば身分という壁に阻まれた恋を諦めることはないのにと……誰かを恋い慕う気持ちを止められるものではありません、わたくしはエレイン嬢とドレットはもしかすると想い合っているのではないかと疑いました。二人とも恋を煩っておりましたから。でも結局、それは勝手な願望でしかなく。あの子の別の友人がエレイン嬢のお相手であると知って、残念に思うと同時にドレットを心配しました」
ルースから見ても、ドレットのエレインに対する想いは強かった。
選ばれることはないと分かっていながらも諦めることの出来ない、そんな強い想い。
「想いが叶うことがないことにあの子のショックは計り知れなかったはずですが、それを表だって見せることはありませんでした。ですが不幸にもそのお相手が事故で亡くなられて……ドレットは居ても立ってもいられなくなったのでしょう。爵位を買いたいと、貴族になってせめてエレイン嬢と釣り合う男になりたいと言いだしたのです」
そのときルースは酷く驚いたのだ。
それが普通より難しい道程であることが分かっていたからだ。
けれどドレットは諦めるつもりはないというように爵位を得るため奔走し始めたのだ。
「ですが爵位を買うには莫大なお金が必要となります。それに孤児では……平民以上に難しい道程となるはずです。あの子はそれでもなんとかしてお金を集めようとしておりました。きっとそれが原因で……今まで以上に悪い者達との付き合いが広がってしまい、戻れなくなってしまったのでしょう」
「でしたらエレイン嬢が婚約なさったというお話はドレッド様にとって大きなショックになったのでは?」
深く頷いたルースは溜息を吐く。
全てを賭けてまで得たかった恋は爵位という身分を得る前にそれを持つ者に呆気なく奪われたのだ。
その破れた恋は、自らの命を差し出すほどの喪失だったのかもしれない。
「えぇ、そうですね。婚約の件では傷ついておりました。運良く貴族という身分に生まれただけで、自分から全てを奪っていくと。それに……絶対にあんな男とは結婚させられないとも申しておりましたから、お相手の方をドレットはよく知っていたのでしょう。あまり良い方ではなかったのかもしれません」
それはルースが心配になるほどの剣幕であった。
なにか悪いことにならなければいい……そう思わせるような剣幕。
「結婚させられない……その理由をお伺いいたしましたか?」
「いいえ、詳しくはわたくしも……もしかするとルフがなにか知っているかもしれません。ルフ・グワイマ。ドレットと同時期に孤児院に共に居た子で、あの子達は悪いことをするときはいつだって一緒でしたから」
「その方は今、どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「さぁ……あの子、何度も警察のご厄介になっていて……それで心苦しいのか、わたくしに会いに来ないんです」
飾る写真に写るドレットの横、小柄でそばかす顔の俯き気味の少年をルースは指差す。
「今、思えばその友人の事故が皆にとって深い心の傷となったのかもしれません。特にドレットとランス様は事故を目撃してしまったらしいので……その傷が癒えぬままに色々な悪いことが重なって……ドレットは疲れてしまったのでしょう」
頑張って頑張りすぎて、疲れて疲れ果てて……そうして毒を呷ったのかもしれないと。
ルースは悲しげに瞼を伏せる。
たった一度だけでもいいから思い煩う前に相談をして欲しかったと……後悔を滲ませて。
「ランス様は遺書を残されていたそうです……ドレット様はなにかそういったものを残されておられなかったのですか?」
「いいえ、こちらにはなにも……あぁ、ですがそうだわ。お亡くなりになる少し前にランス様がお一人でお見えになって……そのときに妙なことをおっしゃっていました。もしドレットになにかあったときにはその身柄を引き取って欲しいと」
「ランス様が……ですか?」
「えぇ、そのときのために使って欲しいと寄付金もくださって……エレイン嬢の婚約のこともあり、あの子が悪いことをして捕まるのではないかと心配でドレットに会おうとしたのですけれど……会えなくて。次に会ったのは冷たく眠りについたあの子の亡骸でした」
ぐずりと鼻を鳴らすルースはこの孤児院の院長としてではなく、ドレットの母としてその死を嘆き、深く悲しんだ。
「だからね、わたくしはあの子の遺体を引き取って、この孤児院の裏手に墓石を建てたのです。子供達の声がすれば寂しくはないでしょうから……あの子、本当は寂しがり屋でしたから。クリスティー様、世間の誰がなんと言おうともドレットは良い子でしたのよ。この孤児院にとっては、間違いなく」
強がりでいじっぱりで寂しがり屋だった優しいドレット。
ルースが思い出すのはいつだって、満面の笑みで子供達と遊んでいた……そんな姿。
彼はこの孤児院の中では間違いなく天使であり、英雄であったのだ。
「もしルフに会うことがございましたらいつでも帰ってきてよいのだと伝えてください。あなたがどんな子であろうともわたくしにとっては可愛い子なのだから、あなたの好きなじゃがいものポタージュを作っていつまででもここで母が待っていますと」
「……必ず、お伝えいたします」
外で遊ぶ騒がしい子供達の声を耳に入れながら、ルースは子供達の母として慈悲深い笑みを浮かべると、頭を下げる。
子供達が孤児院を出たとしても変わらぬままあり続ける母の想い。
親不孝な子供にそれを伝えるために、クリスティアは強く頷いたのだった。




