過去からの依頼①
その依頼がクリスティア・ランポールの元へともたらされたのは彼女が東の帝国でとある事件を解決している頃だった。
依頼を受けたのはクリスティアの通うラビュリントス学園の教師であるエヴァン・スカーレット。
彼は時折、クリスティアが旅行などで学園を離れている間、彼女が居ないことを知らない者が事件の依頼に来たときにその事件を請け負う窓口として、依頼人からの話を聞く役割を彼女から頼まれていたのだ。
その日もエヴァンは彼女の言いつけ通り、彼女がいつも居る図書室の窓辺で、彼女がいつも座っている椅子に座り、本を読みながら、誰も来ることのない時間を持て余していた。
公爵令嬢への事件の依頼はそう頻繁にあるわけではない。
事件があったとしてもクリスティアの高貴なる身分から、依頼を躊躇う者のほうが圧倒的に多いのだ。
だがその日は、カツリカツリとヒールの音を響かせながらこちらへと近寄ってくる足音にエヴァンは気が付いたのだ。
その迷いのない足音に本から顔を上げたエヴァンの視界にそれはそれは美しい妙齢の女性の姿が映った。
20代前半か半ば頃だろうか。
トーク帽を被りレースの美しいシックな黒色の一般的に多く流通している生地のワンピースドレス、絞られたウエストの細さと衣服の袖から覗く色白く長い指先。
儚げな雰囲気を纏わせた女性はエヴァンが座る席を見て、少し手前、本棚の間で足を止めると誰かを探すように肩に垂らした一つ結びの淡いクリーム色の髪を揺らす。
伏せった瞼の奥では薄茶色の瞳が戸惑うように辺りを見回している。
恐らくそこにいつも座っているはずだと教えられた人物と違う人物が椅子に座っていたので、席を間違えたのかと心配になったのだろう。
なのでその心配を杞憂にするために女性にまず、声を掛けたのはエヴァンのほうだった。
「誰かをお探しですか?」
静寂の広がる図書室で掛けられた声にビクリと肩を揺らした女性は戸惑いながらエヴァンを見る。
「あの、こちらにランポール家の公女様がいらっしゃるとお伺いしたのですけれど……あの、その、色々とお話しをお聞きしてくださると……」
「あぁ。彼女でしたら今、とある事件の解決のためにこちらにはいらっしゃいません。国を跨ぐ事件だとおっしゃっていたので暫くは帰って来ないかと……」
「まぁ……そうなのですね」
儚げな容姿には似つかわしくなく、声はハッキリと良く通る声だ。
酷く落胆した声音で肩を落とした女性はこのまま立ち去るべきか悩むように胸元のペンダントを弄ぶ。
国を跨ぐほどの大きな事件を抱えている方に自身が今、頭を悩ませている問題の相談をしても良いものか……色々と思案するように、ペンダントに触れるのはこの女性の癖なのだろう。
なんらかの不安を誤魔化しているのかもしれない。
自身が此処に来た証明をなにか残すべきか、せめていつ帰ってくるのか、それさえ知れたのなら……切羽詰まった表情で答えを出せないまま、でもこの沈黙を気まずく思い唇を開いた女性にエヴァンは安心を与えるようにニッコリと微笑み、先に声を発する。
「ですので今は私が代わりに彼女への用向きをお聞きしています。彼女に解決して欲しい事件の依頼があるのですね?」
その瞬間、驚きからか女性は手に持っていたクラッチバックを床へと落とす。
蓋が開き中からペンや手帳、絆創膏や包帯等々がカランガシャンと床へと散らばる。
静寂を重んじる図書室に響いた落下音に、司書が咳払いをして注意を促せば女性は慌てて中身を拾い集める。
エヴァンはその中で、自身の足元へと転がってきた液体の入った小瓶、彼女から香る柑橘系の香水の小瓶だろうか……それを拾い上げて差し出せば、そのまま小瓶ごと手を握られる。
「あの、どうか……どうかお願いいたします。わたくしの、わたくしの母の事件をどうか解決して欲しいのです」
弱々しく、だが強い思いで握られた掌。
乞うように縋るように求められた願いに、その手を優しく握り返したエヴァンはしゃがみ込んだままの彼女を立たせると、自身が座っていた椅子の向かい側へと誘う。
「どうぞご安心なさってください。そう遠くなく彼女は帰って来るでしょうから、胸の内に抱える不安の解決を切に願っている依頼人が訪ねていらしたと、私が必ず彼女にお伝えいたしましょう」
エヴァンのその言葉に安堵したように頷いた女性。
そうして数日が経ち、事件を解決し戻ってきたクリスティアが侍女であるルーシーとメイドであるアリアドネ・フォレストを伴ってエヴァンの待つ図書室へと訪れたのは留守を任せていたことへの感謝と、今回解決した事件の報告、なにか依頼人の訪問がなかったかの確認のためであった。
帰ってきて早々にクリスティアは新しい事件の依頼と共に、エヴァンが女性から預かった名刺を渡される。
名刺にはカーラ・キャメロという名が書かれていた。




