雨竜帝の宮①
「すいません、クリスティー様」
「いいえ、問題ございませんわ雨竜帝」
その日、クリスティアは雨竜帝の宮でダンスレッスンをしていた。
いつも使用している広間が別の集まりで使用されることとになり、急で悪いが別の場所でレッスンをして欲しいとのお達しがあったのだ。
レッスン向きの広い場所といえば雨竜帝の宮に良い場所があると、集まった二人へと不便をかけるとお詫びに来た応竜帝がニヤニヤとした笑みを浮かべて提案してきた場所に雨竜帝は作為的なものを感じないでもないなかったが、気のせいだろうと軽く咳払いをしてクリスティアを自身の宮へと誘うことになったのだ。
自分のテリトリーにクリスティアが居ることに緊張感があり、雨竜帝の今日のレッスンは失敗ばかりだった。
始まって10分、いつもと場所が違うので緊張しますよねっという慰めの言葉をクリスティアにいただき、二人は早々の休憩である。
「懐かしい絵本をお持ちですね」
「お読みになられたことはございますか?」
「勿論、子供の頃に蒼龍妃がよく読んでくださいました」
クリスティアが読んでいる絵本を見て雨竜帝が懐かしげに瞼を細める。
朱華から預かった龍の息吹と銘打たれた絵本の内容は大方説明された通り。
黒い雲に操られて国を混乱に導いていた四神。
黄龍はその黒い雲を吐いた息で吹き飛ばし、四神を助ける。
助けられた四神は黄龍に忠誠を誓うという内容だ。
一ページ捲れば朱雀がその羽ばたきで巻き起こした嵐に巻き上げられた純白の鈴蘭。
またページを捲れば襲いかからんと牙を剥く白虎が踏みつけた足に紫色の鳥兜。
同じように玄武の腹の下に咲く緋色の彼岸花。
そして青龍は薄桃色の夾竹桃をその手に握りつぶしている。
毒草!
毒草!
毒草!
毒草!
建国の神話にも皇帝が行き交う宮にも、当たり前かのように描かれて植えられている毒草。
どれだけ花が可憐に見えていても人を死に至らしめるそれらは普通、一番に忌避されるはずだというのに……。
顔を上げて庭を見れば、小さな池の周りには赤いケシの花が咲いている。
「どの水場にも同じように……毒草を育てているのですね」
「あぁ、そうですね。初代皇后は黒族の巫女だったそうで、習わしが根深いのです。ただ皇帝と王太子の宮には後宮ほど強い毒性のある植物を植えることは禁止されていて、応竜帝の宮の近くにある池が後宮とこの池の源なんですが……そこにはチョウセンアサガオが咲いていますよ」
「チョウセンアサガオ……」
絵本の中に黄龍が描かれている一部の箇所にはチョウセンアサガオの花が咲いていた。
それはこの国にとって黄龍の象徴なのかもしれない。
そして朱雀宮に隠されていた粉も……チョウセンアサガオであった。
「植えられた毒を用いて暗殺……なんてことにはならないのでしょうか?」
「管理は徹底されていますし、わざわざ自身の宮に生えている毒草を使うことはありません。疑ってくださいと言っているようなものなので……特に後宮に植えられている毒草が体内に残れば、どの毒草が使用されたのか判別が可能なんです。精巧な検査薬がありますので。その毒を使用する者は余程の愚か者です」
「あの、朝顔様の毒物検査の結果は陰性とありましたが、その結果はあくまで後宮に植えられた毒草限定の結果になるのでしょうか?」
「そうですね、外部から後宮に毒物を持ち込むのは難しいでしょうからそうなります。それに前紅龍妃の死因はあくまでも水死、でしたから他を調べる必要はなかったかと」
ならば朝顔の毒物の検査の結果が陰性であったことはクリスティアが思っているより、いい加減な結果なのかもしれない。
「外部のものでなく……毒物検査では対象外……彼女は水死……」
クリスティアがなにを言わんとしているのか分からず戸惑いをみせる雨竜帝。
何事か考えるように俯き呟いていたクリスティアは眉を顰めながら顔を上げる。
「……お聞きしたいのですけれど、白族の首長は後宮での朝顔様との諍いをご存じだったのですか?」
「いえ、知らなかったと思います。事件の後、何故こんなことをしたのかとこれ以上問題を起こすなと白龍妃を酷く叱責しておいででしたから。白族の首長は白龍妃の兄君なんですが若いこともあって、国の一部過激な者達を押さえることに苦慮しているようで……中央のことは狛獅に任せっきりですから。狛獅は侍女を勤めている自身の娘によく言い聞かせるのでとその怒りを宥めていましたよ」
「狛獅様は中央では白族の代表のような勤めをされているとお聞きしましたけれど、他にお役目はございますか?」
「えぇ、主に行政を担当しております。私の補佐のようなものです。狛獅は蒼龍妃の引き立てで中央にいらした方なので蒼龍妃の信頼が厚い方なのです。兄上はあまり信用なされてはいないようですが……」
「雨竜帝はどうですか?あなたから見て狛獅様はどういった方です?」
「人の心に入り込むのが上手い方だと思います。礼儀正しく、下の者にも丁寧に接するので……ただその内が見えないというか、なにを考えているのか分からないところがあるので私はあまり得意ではありません」
「そうなのですね。では狛獅様は何処の出入りも比較的しやすい立場ではあるのですか?」
「そうですね、蒼龍妃と共に私の宮にも応竜帝の宮にも来たことがあります。とはいえ後宮は外宮までですが」
むふっというようにクリスティアは納得したように頷く。
「白族の首長は白龍妃をよくお尋ねになるのですか?」
「いいえ、白龍妃が後宮にいらしてから白族の首長が中央に来られたことは数えるくらいしかありません。最後に中央に来られたのは前の紅龍妃が亡くなった葬儀のときです……白龍妃の子が亡くなったときですらこちらにはいらっしゃいませんでした」
「まぁ、随分と冷たいのですね。兄妹仲がお悪いのでしょうか?」
「いえ、そういうわけではないと思うのですが」
「そうなのですか?なにかお心当たりでも?」
「あっ、その一度、祭祀の折りにお会いしたときには白龍妃のことを熱心に尋ねられておられたので……元気でやっていますか?とか体が弱い子だから昔から心配ばかりでとか。白龍妃が子を亡くされたときは国で少々問題が起きている頃でしたから、応竜帝にどうか気遣って欲しいと手紙まで送ってきていました……」
「……そうなのですね」
別の妃が亡くなったときには中央に訪れて、妹の子が亡くなったときは国から出なかった兄。
白龍妃にとっては大いに傷つき、兄への信頼を無くす出来事であったであろう。
妹への態度は冷淡な一方で、他人には妹の様子を尋ねている。
白族の首長とは、他者に向ける顔と家族に向ける顔とでは異なる人なのかもしれない。




