前紅龍妃の侍女②
「朝顔様はもし一族のことで不安があるならば自分を虐めるフリをすればいいと。昔、自分は従姉妹の子にそうしてもらっていたから他の者達の目を誤魔化すことが出来るはずだと。白龍妃が自分を虐めれば白族の者達は満足するだろうし、虐めているふりをしている間は今まで通り会えるはずだからそうしようと」
「では白龍妃が行った嫌がらせというのは……」
「朝顔様と白龍妃がお二人でお考えになられたことです。私も暇を出されるまでは参加しておりました、侍女の間で仲が悪くなったなどの噂を広めたのも私と今は居ない元の白龍妃の侍女です」
そうして果実水の件は公にならず、二人の妃と朱華、そして帰郷した白龍妃の元侍女だけが知る秘密となった。
上手くやっていた。
大勢の目があるときは仲の悪いふりをして、二人だけで会うときだけは今まで通り仲が良く……自分達以外が騙されている様を見てクスクスと笑っては手を叩き合う。
そしてその効果は抜群で、白族はすっかり騙されたのか……子の性別が姫であったこともあり朝顔やその子に危害を加えることはなくなった。
だがその裏で……子が出来ないことへの白龍妃への責めが強くなっていたことを誰も知らなかった。
「朝顔様がお亡くなりになられたときにその事実を誰かにお伝えしなかったのですか?」
「……この子の乳母の件で後宮に戻ることが決まったときに真っ先に蒼龍妃にお伝えいたしました……ですが後日、蒼龍妃が白龍妃の元へと事実をお聞きしに行ったときにはそのような事実はないと、応竜帝には余計なことを言わないで欲しいと言われたと……」
応竜帝が白龍妃を酷く叱責したという話を聞いて居ても立っても居られなくなった朱華は無礼を承知で蒼龍妃へと事実を伝えたのだ。
もしこの事実を知れば応竜帝のお伺いがないなんてことにはならないはず、友人の死を間近で見てしまい深く傷つき悲しんでいるだろう白龍妃のことを気遣ってくれるはずだとそう願って伝えたというのに……。
それなのに何故か白龍妃は虐めていないという事実を否定し、蒼龍妃に黙っているように懇願したのだという。
それは酷く怯えた様子だったそうだ。
「白龍妃は朝顔様を死へと追いやったのは自分ではないかとお考えなのだと思います」
「……それは、何故?」
「クリスティー様。白族の赤族に対する遺恨の根はそれはそれは深いもの。前応竜帝時代に赤族の裏切りによって殺された者達の家族や友人は今だ生きており、消化することのない怒りを内に抱え続けているのです。白龍妃の虐めはそういった者達の行動を助長させるきっかけともなりました。私も何度か白族に嫌がらせを受けております。白龍妃は自分が見て見ぬところで子を亡くした朝顔様を白族の者が嘲笑い酷く追い詰めたのかもしれない……いえ、もしかすると白龍妃は誰かが直接、なんらかの手を下したのではとお考えに……」
自分の口から吐いて出る疑惑の言葉にハッとしたように朱華は口を噤む。
なんの証拠もない憶測だ。
それはただの恐ろしい憶測でしかない。
言葉を飲み込んだ朱華は子の眠るベッドの柵を撫でる。
「夫には黙っておりましたが、子が出来たことを朝顔様にお伝えをしたとき、お祝いの言葉より真っ先に暇を出されました。私は臨月までお仕えするつもりでしたが朝顔様は頑なに、私に侍女を辞めるようにとおっしゃられたのです。今、考えれば朝顔様のお腹にもこの子がおりましたから最初の子のときのように誰かに狙われるかもしれないという不安があったのかもしれません……そしてそれが自分ではなく、私に誤って起きることを恐れたのかもしれません。私は、朝顔様の強い意思に侍女を辞するしかなく……それを知った白龍妃は自身の侍女を朝顔様へと仕えさせたのです。白龍妃の新しい侍女は……狛獅の娘、白蘭でした」
朱雀宮の侍女は朝顔の出自を見下す者も多かった。
いざというときに彼女を守る忠義ある者は居らず、第二子を妊娠していることもあり心配した白龍妃は少しでも助けになれたらと、全てを知る自身の侍女に彼女の安全を託したのだ。
眉間に深く皺を寄せて朱華は続ける。
「そこからはなにがあったのかは分かりません、私は後宮を離れましたから。ですが乳母の件でこちらへと戻ってきたときに白蘭がまるで自分が白虎宮の主であるかのような堂々とした振る舞いをしておりました。他の侍女達はそれに付き従っていて……表に出すことのできない深い悲しみと日々の不安からか白龍妃は白蘭の言うことを聞く傀儡のようでした」
悲しく憐れな物語ばかり紡ぎ、ふっと疲れたように息を吐いた朱華は子の横に置いてあった絵本をクリスティアへと差し出す。
「この絵本の中には黄龍が龍の息吹を持って四神を助けたと描かれています。子供向けに作られた実に単純な内容です」
受け取った絵本に描かれているのは白い息吹を吐き出す龍の絵柄。
クリスティアは動き出しそうなその龍をじっと見つめる。
「ですが史実を開けば初代黄龍帝は人心掌握に長けた人物で。言葉巧みに人を操り、四国同士を争わさせるとその国力を削ぎ、弱ったところを一気に攻め、皇帝に君臨した謀り者です。龍の息吹とは言葉、言葉とは人を最も操り傷付ける凶器。もしその息吹が朝顔様へと吹きかけられていたら……一つ一つは小さくともいずれは大きな嵐となってその身に渦巻いたとしたら……私は、私はそれは自殺ではなく故意の殺人だと思うのです」
子を事故で亡くし、弱った朝顔を責めた言葉は数多くあった。
何故居なくなったことに気付かなかったのか。
どうして子から目を離したのか。
母親なのに分からなかったのか。
当事者じゃない者達の想像力を欠いた無遠慮で心ない言葉達は刃となって朝顔の心を傷つけ、傷つけ、あの冷たい水の中へと子を探しに行かせたのではないのか。
ならばそれが自死であるはずがない。
自死であっていいはずがない。
「どうか、クリスティー様もお気を付け下さい。そしてもし龍の息吹をその身に感じたときは、どうぞこの件より手をお引きください。朝顔様は自分のせいで誰かが傷つくことをなによりも恐れていた人です。本当に誰よりも優しいお人でした」
「えぇ、勿論よ朱華。帰郷したという白族の侍女の名前をお伺いしても?」
「白蓮と申します。ですが話を聞くことは難しいかもしれません。私も何度か手紙を送っているのですが、返事は一度も返ってきませんでしたから」
フッと朝顔の子が身じろぎすると同時に、側に誰も居ないことを不安がったのか泣き出す。
慌てて朱華が抱き上げればすぐに落ち着き、親指をしゃぶりながら潤んだ瞳でクリスティアを見つめる。
ただ純真な眼だ。
クリスティアが近寄りその小さな指先を優しく握れば、握り返す弱く強い掌。
この小さな手に感じるのは憐れみだ。
呪いだと噂され、自身を置いて死した母。
その理由がなにも分からなければ、いずれは彼女を恨み、彼女を追い詰めた者達を憎むだろう。
ならばそうならないように、その死を恋しむことができるように、この呪いを解かなければならない。
この無垢な子の未来のためにも、必ずそうすべきなのだ。




