前紅龍妃の侍女①
「ご挨拶申し上げますお嬢様。前紅龍妃の侍女を務めておりました朱華と申します」
翌日の青龍宮。
二人の子供がそれぞれ眠っているベビーベッドの前で一人の女性が立っている。
青龍宮の侍女の証である青色の侍女服を身に纏い、左右に分けた髪を頭上でお団子にした小柄な女性は気の強そうな吊り目を閉じると訪れたクリスティアへと頭を垂れる。
彼女が朝顔の元侍女であり、碧馬の妻である朱華だ。
「初めまして朱華。どうぞわたくしのことはクリスティーとお呼びになってね」
「はい、クリスティー様。王国では主人が大変お世話になったとお聞きしております。クリスティー様が雨竜帝のご友人でいてくださったお陰で今、おっちょこちょいなあの人の首と体が繋がったままで元気に過ごせております」
「ふふっ、碧馬はわたくしの評価を過大に吹聴しているのかしら?彼は雨竜帝に十分よく仕えていましたよ」
確かに一度や二度、疎かになった護衛に雨竜が危うくなったことはあるが。
それ以外は十分に碧馬は勤めを果たしていた。
クリスティアが一つのベッドに近寄り中を覗けばそちらが碧馬と朱華の子なのだろう。
スヨスヨと眠る子に自然と笑みがこぼれる。
「可愛らしい子だわ。碧馬よりあなたに似ているわ朱華。男の子かしら?」
「はい、蒼龍妃のご厚意で朝顔様の子をお世話させていただく間は別だと不便もあるだろうからと我が子も同じ部屋をご使用させていただいております」
隣のベッドには同じく、眠っている男の子。
親指を咥えて眠るその顔にはどことなく夕顔の面影がある。
「……この子の成長を見られなかったことは朝顔様にとって心残りでしたでしょうね」
「はい、絶対に……」
強く頷き悲しみ深い眼差しを子へと向ける朱華は意を決したように体の前で握る両手に力を込めると、クリスティアを真っ直ぐと黒い瞳で見つめる。
「あの……白虎宮での絵本の件を青凜様よりお聞きしました。それと朝顔様の事件のことをお調べしていることも夫から……」
「えぇ」
「ではどうか、私が知ることをお聞き下さい。私は絶対に朝顔様が自らお亡くなりになられたとは信じられないんです!この子を置いて絶対にあるはずがないんです!ですからどうか、どうか真実をお聞きし、そして暴いて欲しいのです!朝顔様になにが起きたのかを!」
「朱華……勿論です。それがどんな結末であろうともわたくしが解き明かしてみせると、必ずお約束いたしましょう」
そのためにこの国へと来て、この灰色の脳細胞を働かせているのだ。
切実に乞い願う朱華の肩に手を置き頷いたクリスティアを見て漸く安心したようにその体の力が抜ける。
彼女を見ていれば主人に尽くす良い侍女であることが分かる。
ずっと後悔ばかりが胸に残っているはずだ。
望まずとも勤めを辞めた結果、朝顔(主人)は亡くなったのだ。
それは残された子を育てていれば、忘れることなどなく思い出し続ける後悔であろう。
まるで主を見捨てた罰を受けているようなものだ。
「まず、白龍妃のことですが……朝顔様の仲が悪いというのは全て偽りでございます」
「偽り?」
「はい。朝顔様と白龍妃は歳が近いこともあり、入宮した頃からまるで姉妹のようにお過ごしでした。本当に仲が良かったのです。ですがそれを白族の者達はいい顔をしませんでした。特に狛獅!あの毒蛇のような男!あの男は上手く隠しておりますがその腹には深い強欲を隠し持っているのです!首長からの言葉だと言っては度々朝顔様を貶し、仲良くする白龍妃を忠臣気取りでお諫めでした」
その顔には嫌悪感が有り有りと浮かぶ。
クリスティアには丁寧に接していた狛獅だが、やはり赤族のことは良く思っていないようだ。
「そして朝顔様に最初のお子様が出来たとき……祝いに朱雀宮へと訪れた白龍妃は自分も妊娠中に飲んでいたものでつわりを少し楽にしてくれると取り寄せた果実水をお持ち下さいました。ですがそれは味を似たように作った違う物だったようで……中には堕胎薬が入っていたのです。まだ性別がお分かりにならない時期でしたから……それで子を流せると確信していたはずです。朝顔様はお腹を押さえてお苦しみになられました」
宴の席のことを思い出して、だから……とクリスティアは納得する。
クリスティアが配る果実水を訝しみ、嫌っている黒龍妃の心配をしたのはこれが原因だったのだろう。
白龍妃にとって果実水とは忌まわしき記憶そのものなのだ。
「果実水は幸いにも飲んだ量が少量だったお陰で大事には至りませんでした。そして朝顔様の様態が落ち着いた頃、白龍妃が見舞いに参ったのですが……」
そのときの光景を思い出してか、朱華は深く眉にシワを刻む。
「白龍妃はこちらの胸が痛むほどに泣きながら謝っておいででした。白族は赤族のことが嫌いだからきっと首長である兄が飲み物に細工をしたのだと。朝顔様と仲良くあればこれから先もどんな手を使うか分からない、自分は兄の言うことを逆らえずにどんな悪いことでも聞いてしまうかもしれないからもう会えないと……」
それは朱華が憐れに思うほどの悲嘆であった。
子が出来ないことを咎める一族に、妹を守ろうともしない首長の兄。
一人、孤独の中で過ごす後宮で漸く得た友人をそれらのせいで手放さなければならなくなった白龍妃の覚悟は、嗚咽となるほどの深い悲しみとなって涙となり外側へと溢れ出ていた。
「けれど朝顔様は子に大事はなかったのだから心配しなくてもいいと。原因がなにかなんて分からない、たまたまお腹を悪くしただけかもしれないのだから悪い方に考えないで欲しいと。そんなことよりもこれが原因で白龍妃に会えなくなるほうが辛いとそうおっしゃって……」
原因が果実水であることは明らかであったが朝顔は敢えてそれを調べることはしなかった。
だが朱華が残った果実水をこっそりと調べれば……やはり中には堕胎薬の成分が入っていた。
卑劣で卑怯な白族。
なにも知らない白龍妃を弄び、純粋な朝顔を愚か者と嘲笑う。
内に抱える憎しみを耐えるように唇を噛み締める朱華を見て、クリスティアはそういうことだったのかと昨日の白虎宮のことを思い出す。
昨日会った白龍妃のその膝の上に乗せられた途中の刺繍、蔓を伸ばし半分だけ花を咲かせていたあれは朝顔の花であった。
大きさや形からしてそれは子の前掛け。
そして閉じられた窓に飾られていたのは……朝顔に似たペチュニアの花。
二人は仲が悪いと聞いていたのに……白龍妃の部屋の端々に朝顔の気配を感じて違和感に思っていたのだが、本当は仲が良かったのならば納得だ。




