ある妃の死③
「入宮したとき、朝顔が使っていた部屋がワタシの部屋となったヨ。朝顔を懐かしみたいから暫くは彼女が使ったままの状態にして欲しいと表向きにワタシが頼んだからネ」
「まぁ、表向きではないなにかがあるの?」
「朝顔はワタシとの手紙で暗号を含ませていたことがあったのヨ」
「暗号?」
「朝顔は長く一族から虐げられていたせいか物覚えが非常に良い子だったのヨ。なにかを忘れるということは折檻に繋がることだったからネ。その覚えを生かしてワタシ達は手紙のやり取りに十干十二支を混ぜた暗号を入れる方法を二人で考えたネ。子供のお遊びヨ。例えば手紙の中に卯の話が出て来たら十二支の数で四月に送った手紙、それが十行目に出て来たら十回目に送られた手紙を見て欲しいということ。次に十干の己という文字が出たら……」
続く夕顔の言葉を、クリスティアは手を上げて制する。
「己卯で十六行目を見ろということね」
「そうヨ。そしてそれが五文字目に書かれていたら同じく五文字目の単語を見ろということヨ」
「素晴らしい記憶力ね、手紙の内容を覚えていないと出来ない芸当だわ」
「朝顔は一年間の手紙の内容を覚えて上手く暗号を作っていたヨ。ワタシは何度も間違えて……よく笑われてたネ」
そのときのことを思い出したのかフッと笑う夕顔。
夕顔と朝顔だけが知る秘密の暗号。
巧みに隠されたそれは後宮で行われる検閲を受けても絶対に見付かることはなかった。
「では、あなたが気になった暗号はなんなのかしら?」
「寝室、隠れた、空間」
「まぁ、彼女は自身の部屋に隠された空間を見付けたのね」
「……そうヨ」
朝顔の死から二ヶ月が経った頃、夕顔が応竜帝との盛大な婚儀を終わらせ夜伽という勤めに憂鬱になっていたその日。
だが意外にも応竜帝は夕顔の元へと訪れることはなかった。
代わりに深い謝罪と共に、朝顔の子や国のために新しい妃を受け入れはしたが正直言えばこれ以上、新しい妃を迎えるつもりはなく。
もし子を望むのならば朝顔が亡くなりあまりにも日が経たずにいるので、せめて一年は喪に服させて欲しいという言伝を侍女が預かってきたのだ。
四人居る妃の中の一人が死したとて他の妃へと気遣い(夜伽)が減るわけではない。
だが同じ妃の名を拝した夕顔にだけは乞われるようにして求められた配慮。
そのとき、夕顔は応竜帝の心に僅かなりとも残っている朝顔という存在の尊き死を初めて悔やむと同時に、その誰も知らぬ秘密の空間のことを思い出したのだ。
「ワタシは試しにとその空間を探したヨ。もしかしたら応竜帝に見付からぬように遺書でも隠したのかもしれないと思ったからネ。朝顔は自分が死んだら次の妃にはワタシがなって欲しいと言っていたから……ワタシが賢妃となれば必ずそれを見付けるだろうと期待したはずヨ。そして壁の隅の床に見付けたその場所には……遺書や手紙の類はなかったヨ」
ただなにもない空間がそこにあるだけだった。
手を入れ、他に隠せるような空間はないかと撫でるように調べてみたが、ざらつく感触があるだけで手紙もなにもない。
落胆した夕顔……だったが。
「なにもない空間にワタシは最初、肩を落としたヨ……だがすぐになにもない訳ではないことに気が付いたネ。その中を探ったときに手に白い粉が付いたのヨ」
「粉?」
指先にべったりと。
閉ざされた空間に溜まった埃にしては多いし一度、朝顔が開けた空間ならば彼女の性格上、中を綺麗にしたはずだ。
試しにもう一度、今度は注意深く、外れた蓋部分や壁部分を人差し指で撫でてみるがその指先は綺麗なままで。
その粉は床にだけ薄く、僅かに積もっていた。
「そうだ、匂いのない粉。朝顔はワタシが薬屋としての商いをしていることを知っていたからもしかするとなにかの薬なのかもしれないと試しにそれを口に含んだヨ。そしたら……それはチョウセンアサガオの粉だったネ」
夕顔は口に含んだそれをすぐに吐き出した。
強い幻覚作用のある薬だ。
床に僅かに積もるほどの量ならば、隠す前の量はそれなりの量だということ。
何故こんな物を隠していたのか。
有毒である薬をどうやって入手したのか。
朝顔は一体なにを伝えたかったのだ!
その隠された空間を見つめ、湧き上がる数々の疑問に夕顔の心臓はドキドキと不穏な早鐘を打っていた。
「クリスティー、本当は最初からワタシが四夫人の一人の候補だったのヨ」
「…………」
「だがワタシは嫌がった。自由に外に出ることの出来ない囚われの身になどなりたくなかったからネ。あんな場所に誰が行くか、無理にでも行かせるつもりならば国を捨てて逃げてやると、怒りを沸き立たせるワタシの感情を敏感に感じ取った朝顔は自分が行くと言い出したのダ。自分を救ってくれた相手に嫁げるならばこんな幸せなことはないからと、父の養子になり必死で妃になるべく勉強もして……ワタシの身代わりになったのヨ。クリスティー、本当はワタシが死ぬべきだったのヨ」
朝顔は、本来ならばその出自によって四夫人の座に収まれるほどの地位にはいない子だったのだ。
だからもしかするとただ平凡に愛されて、愛して、今も幸せの中……子を育て生きていたのかもしれない。
そんな人生を奪ってしまった後悔が……外をさざめく波のように夕顔の胸に押し寄せているのだ。
絶え間なく、責めるように繰り返し。




