リアースという魔法道具③
「あなたが探している物を明確にしてくれたおかげで、わたくしはこの謎を解くことができました。モルフォが残した弓を射てリンゴを壊せ。わたくしそれに少し違和感を覚えていたんです。普通は弓を射てではなく矢を射てですから。小説家であるモルフォがそのような間違いを犯すかしら?いいえ、それこそモルフォが隠していた本当の謎なのではないか……」
クリスティアはそう言うと目の前の地球儀を持ち上げる。
「ご存じでしたか、地球儀を支えるこの金属製の子午環。この部分のことを弓と言うのです。そして、最古の地球儀は大地のリンゴという別称があります。弓を射てリンゴを壊せ……つまりこの弓を外すことがこの多くの隠された謎の一つを解くこと……パズルで出来た世界というものは壊れやすい。モルフォの作品である一人の召使いのお話ですわね。あれはあなたをモチーフにしたお話しなのではないですかリアース様?」
「え、えぇ……そうです。あの物語だけは最初から彼女がキャラクターを描いていました」
あなたを主人公にした物語を書いたのだとそういってモルフォが見せてきた物語。
自分とは似ても似つかない感情を持ってその感情に振り回されて生きているキャラクターに不思議な気がしたのを覚えている。
地球儀の弓を外したクリスティアはそれを台座に置く。
「でもそれが魔法道具であることは僕も知っていました。だってそれは僕が贈った物だから……でも落として壊れた魔法道具です。常に魔力を放つだけの意味のない魔法道具」
「えぇ、だからこそあなたにとっては盲点となったのでしょう。あなたが贈ったのならばそれがどういった物か分かるからこそ魔力を放っていても探す必要はないという先入観。思い出があるのならば尚のこと、壊したくないと触れることを躊躇ったはず。リアース様、これはあなたが行うには勇気が必要なこと。ですが他人であるわたくしでしたらいとも簡単なこと……いえ、この先行う行為ですら本来はモルフォがあなたに託したことなのでしょう」
「な、なにを!」
そう言うと頭上に地球儀を持ち上げたクリスティアはそれを地面に向かって落とす!
慌てたリアースが手を伸ばしそれを阻止しようとするが一歩遅く……ガシャン!という大きな音と共に地球儀は砕け散る。
「リアース様。あなたが探し求めていた物です……恐らく一度落として壊したときにモルフォが中に隠したのでしょう。壊れた地球儀が放っていた魔力で隠された、あなたの魔力の核です」
バラバラに砕け散った地球儀の中から、閉じ込められた菱形の魔法鉱石が転がり出てくる。
緑色の淡い光りを輝かせながらクリスティアが拾い上げ、差し出されたそれを……ようやく見つけた自身の核を、リアースは震える手で受け取る。
「こんな所に隠していたなんて……あの地球儀は僕が初めて彼女にプレゼントした物でした。欲しい物をあげるから教えて欲しいという僕に自分でプレゼントを考えてと言われて……僕は本当に悩んでこれを贈ったんです」
小説を書く上で地名が分かると便利だと考えて贈った、本来ならば指で触れた場所の地名が光りなんという国なのか答えてくれる地球儀。
壊れて使えなくなったというのに大切に保管されていた魔法道具。
それはまるでモルフォとの思い出を砕くような行為だ。
砕いて、これからは一人で生きていきなさいとそう言われているようで……。
なんて残酷なんだと、僕を残して一人で生きることを望むなんて……なんて残酷な人なんだとリアースは力強くその魔法鉱石を握り締める。
「ね、ねぇ……その魔法鉱石を壊したらあなたはどうなるの?」
彼女がいないこの世界で、生きることの苦悩を彼女は知っていたのだろうか。
いや、知らないからこそ……彼女の魔力である自分にこんな無責任なことが出来たのだ。
ふっと少しだけ怒りを滲ませて口角を上げたリアースに、シャロンが焦ったような声を上げる。
「魔法鉱石に注がれる魔力が無くなれば……彼は消えて無くなるでしょう」
至極当たり前の結末だ。
エヴァンが告げる真実にシャロンは納得できないというかのように頭を左右に振る。
「でも、それをモルフォが望んでいなかったわけでしょ!だったらこれから、これから自由に生きていけば……!」
「それは難しいことでしょう。あなたは今は、この屋敷から出られないのでしょうクシビアさん?」
「……えぇ、そうです」
「どういう……ことですか?」
「単純な話しです。彼の魔法鉱石を動かしているのはモルフォの魔力、つまり地下にある増幅装置の中の魔力です。その魔力が届く範囲が彼の存在できる場所であり、それ以外の場所に行くことは不可能です」
幽霊屋敷とはまさにその通りだとエヴァンは思う。
この屋敷から出ることも消えて無くなることも叶わない。
もし彼女が生まれ変わっていたとしても探しに行くことも出来ない……それはなんという地獄なのだろうか。
「モルフォと共に居るときは彼女の魔力さえあれば何処にでも行けたのでしょう。ですがそうではない今、彼の居場所はここだけです。屋敷そのものであるあの古い増幅装置を動かすことは出来ませんから……それに別の魔力を魔法鉱石に注いでも無駄です。鉱石にはそれぞれ相性がありますから、モルフォ以外の魔力とは合わないでしょう」
「そんなの!魔具師だったらどうにか……!」
「シャロン、シャロン。ありがとうございます。あなたが提示してくれた未来はとても素晴らしく……僕はこの屋敷に残されて初めて希望というものを感じたのかもしれません。でもそれよりも僕はこの長く続いた孤独を終わらせたい。なにを残されていても満足することはなかった、この指輪を残されても。一人生きることは孤独です、本当に。だから僕は彼女の元へと帰れないのならばいい加減、消えてなくなりたいんです。いえ、もしかするとこの身が消えれば彼女の元へと帰れるかもしれないという希望を抱きたいんです」
死んでしまったモルフォの元に戻るなんてことは絵空事なのかもしれない。
それでも、少しだけ希望を抱けるのならば彼女の元へと帰れるのならば……この身が空気中の塵になったとしても後悔はしない。
だって彼は彼女の魔力なのだ。
それは絶対に変わらない事実。
帰るならば彼女の元以外にはあり得ないのだ。
指輪を外しシャロンの掌を開かせて握らせれば、シャロンは開いた唇を閉じ沈黙する。
彼を引き止める言葉は何一つとして、思い浮かばないのだ。
「この眺めることしか出来なかった庭を……彼女と共に過ごした庭をもう一度、僕は歩きたいんです」
サンルームの扉を開きその先にある夕暮れに沈む日差しの眩さに皆が目を細める。
風が吹いてリアースの髪がフワリと揺れる。
核を持ってサンルームから庭を見つめるリアースの瞳には、今は草や木々が無造作に生えている庭ではなく、美しく手入れをされた庭園が、麦わら帽子を被った彼女が微笑みを浮かべ待っている。
「リアース様」
「はい」
「わたくし生まれ変わりを信じております。わたくし自身が生まれ変わった記憶を持っておりますから」
「……あぁ、シャロンから聞きました」
「だからね、消えるのではなくきっと帰れますわ」
それは……クリスティアの希望も込められた願いのような気がした。
彼女もきっと大切な人を置いてきてしまったのだと感じさせるその声音にリアースは振り返る。
「だってあなたの心はずっと……彼女のモノなのでしょう?」
どれだけ時間が経っていても。
どんな世界に居たとしても変わらない。
その人としての心がある限りリアースはずっと彼女のモノであり……必ず彼女を探し出すのだろう。
それは必ず会えるということに望みを託されているかのような問い掛けだったので、リアースは頷き微笑み返す。
「勿論です!」
この少女の想いも共に持っていこう。
これは別れではなく、愛しい人に会いに行くための希望の一歩なのだと信じて、胸を張り足を踏みだしたリアースの姿は、オレンジ色に輝く光りの中へと解けるようにして消えていく。
彼はこうして彼女の元へと帰っていったのだ。
そして後にはただ光りを失った魔法鉱石が役目を終えたことに満足したかのように、庭を歩くようにして転がり落ちていった。




