屋根裏部屋②
「これね、小さい頃にある事件に巻き込まれて出来た傷なんだけど……これだけで済んだのはクリスティーが事件を解決してくれたから、そうじゃなかったらきっとあたしは死んでたわ」
本当に酷い事件だった。
暫くラビュリントス王国の新聞各社を賑わせたその事件は幸いにも解決したものの……事件に巻き込まれたシャロンの腕には大きな傷跡が残り、それは心にも大きな傷となって暫くは部屋を出ることすら出来なかった。
「ハリーはね責任を感じてるの。私達は幼馴染で、彼は宰相閣下の息子。事件についての情報を色々と掴んでいたみたい……あたし達家族が事件に巻き込まれるだろうことを予測していたの。彼のお父様は国に仕える者として誰かを囮にしたかったのね。それはもう今は仕方のないことだったって分かってるし、相応の賠償もしてもらったからいいんだけど……でもハリーは、傍観することしかできなかった自分のことを今でも責めてるの。あたしに必要以上に干渉してくるのは罪悪感からなのよ。このバングルだって、傷が見えないようにってわざわざ彼が手作りしてくれてて……自分のせいで傷を負ったっていう負い目からくる自己満足よ」
そんなことはないのに、責任なんて感じる必要は全く無い、
悪いのは事件を起こした犯人だ。
だからハリーの自分勝手な干渉は息苦しいばっかりだと肩を竦めてバングルを付け直したシャロンにリアースは微笑む。
「彼が大切なんですね」
「な!なにいってるの!?」
「だって、大切だから彼の後悔となるその傷をあなたは見せたくないんですよね?そうでなければ彼を苦しめることになったとしてもバングルをせずにその傷を見せればいい。あなたは初対面の僕に傷を見せることを躊躇わなかったくらいだから誰に見られても平気なのでしょう?でもそうしないのは彼が胸を痛めると知っているからだ。あなたの優しさであると同時に、彼の優しさは負担でもあるんですね。あなたにとっては許しを請い続ている証でもあるから……あなたの望む関係とは違うから」
微笑むリアースにシャロンは口を噤む。
ごめんなさいと泣きながら何度も謝っていた幼いハリー。
傷が見える度に泣いて謝るから……シャロンは気にもならなくなったこの傷を彼に見せられなくなってしまったのだ。
傷跡の付いた腕を胸に抱き締めてシャロンは思い出す。
彼が泣くのが嫌だったから……誰かにこの傷を嘲笑われてもシャロンは外に出るようになったのだと。
この傷のことが平気になったのだと。
それなのにハリーはこの傷に罪悪感を煽られ続け、いつまでだってシャロンを優位に立たせようとする。
いつまでも、過去に囚われ続けている。
対等でありたいシャロンはそれが腹立たしいのだ。
「そうね、そうなのかも……ねぇ、あなたにとってモルフォはどんな人だったの?」
「……この世のなによりも大切な人でした。彼女がいなくなれば僕もいなくなるのだと信じていたくらいに」
寝室にあった写真の女性との年齢差を考えればリアースとモルフォは随分と歳が離れているはず。
だったら遅かれ早かれ別れが来ることは……自分が残されることは覚悟をしていたことだろう。
それなのに……リアースは自分が一人残されたことが予想外だったと言わんばかりで、なんだかそんな姿が危ういというか……シャロンは心配になる。
モルフォもきっとこの世界の全てが自分だけだと考えるこんな男を残すことが心配だったに違いない、だからあんな遺言を残したのかもしれない。
「重ッ、あなたもハリーと同じね。そんな考え相手からしたら迷惑だから止めたほうがいいわよ」
「あはは、僕の場合は主人を渇望する執事の性です。僕は彼女の物……僕の全ては彼女の物なんです」
「キモッ、あなたはあなたのものであるべきでしょう。他の誰のものでもないわ」
「僕は僕の物……ですか?」
「この遺言探しを始めたことと一緒よ。あなたが探したいというあなたの気持ちによって始めたことでしょう?探しなさいと命令されたわけじゃない……だってあなたの全てを命令する主人はもう居ないんだから。だったらもうあなたの全てはあなたが決めて生きるしかないのよ」
「……そう、ですね……確かに、そうか……そうなのか。だったら僕は……」
心底意外だという素振りで呟くリアースに、言われたからやっているとでも思っていたのかとシャロンが呆れる。
死んだ人間がどう彼に命令するというのか。
「ねぇ、遺言の内容がなにか分かったら……あなたはどうするの?」
「さぁ……どうするのでしょうか。これまで深くは考えてこなかったので」
自分のことなのに言われて腑に落ちたようなリアースは、本当にこの先のことなど何一つ考えてなかった様子で……。
謎解きは解いている間が一番楽しく、解き終えれば一種の喪失感に襲われる。
その喪失感でこの男がなにを考えるのか……分かったものではないとシャロンは俯いて考え込むその横顔をじっと見つめる。
「分からないって……あなた今、仕事はしてるの?ていうか何処に住んでるの?」
「えっと……実はここに住もうかと思っていて……仕事も今はなにも……」
「はぁ!?」
馬鹿じゃないのか!
なんの計画も無しに住む場所も無く、仕事もしていないというのか!
本当に危なっかしいんだから!
風に吹かれれば霞んで消えそうなリアースの頼りなさに湧き上がったやきもきとした苛立たしい気持ちに、シャロンはそれはそれは深い溜息を吐く。




