蝶の羽ばたき
古ぼけた部屋の一室で紙を走るペンの音が響いている。
時々止まり、動き、止まり、動き……その動作はゆっくりと繰り返されながら止める気配はなく。
かれこれ半日以上、なにかに追われるようにして続いている進みをコーヒーの入ったカップを差し出して止めさせれば、下ばかり向いていた顔が上がり、少しだけ疲れた表情が現れる。
「今度の作品はどんな物語にするつもりなの?」
カーテンを開けても薄暗く、蔦の絡まった窓からスポットライトのよう差し込む日差しがベッドの上でクッションを背もたれにして座っている年配の女性を照らし出す。
シワの刻まれた目尻を細めて淡いピンク色のカーディガンから伸びる震えた手でペンを置いたその様子に、カップは受け取れそうにはないと悟り近くのサイドテーブルへと置く。
「ありがとう、私の執事さん。これはそうね可愛らしい女の子が活躍する話だといいわ」
牛乳たっぷりに砂糖は2杯。
彼女が愛してやまないティースプーン少々の蜂蜜を入れたコーヒーはゆらりゆらりと揺れるばかりで中身が減ることはない。
「またあなたがこの物語の登場人物達を考えてくれる?」
彼女はいつもそう。
人を描くのは苦手だからといつもその役目を僕に押しつける。
おかしな話だ。
僕は彼女のものなのだから結局は彼女の思い描く通りの登場人物になるというのに。
「ねぇ、覚えておいて私の執事さん。あなたがどうしようもなく寂しくなったら……」
そういって閉じた瞼が二度と開かないのだと知っていれば……。
彼女と共に埋葬したあの書き終わらなかった物語のように、僕も一緒に眠らせてくれと懇願しただろうか。
失ってしまった彼女の姿を声を何度でも思い出しながら、考え、考えつくし……。
漸くこの胸に湧き上がる感情を理解する。
(そうだ……僕はもうずっと寂しいままなんだ)
だったら彼女を想い眠りにつこう。
この眠りが永遠となり彼女の元へと返るそのときまで目を覚さないように……。
そう祈りながら閉じた瞼はだが、ガダン!というなにかの騒がしい音で目を覚まさせる。
完全に眠ることは出来ない。
これでは駄目だ。
駄目なのだ。
目覚めてしまった体を起こしながら見えない終わりを願うより、彼女が最後に残した言葉を探す覚悟を決める。
それがどれだけ時間の掛かることかは分からないけれども、彼女が残した言葉を考えている間はどうしようもなく寂しいと感じているのであろうこの気持ちの穴を埋められると信じていた。
 




