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公爵令嬢はミステリーがお好き  作者: 古城家康
リネット・ロレンス殺人事件
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馬車の告解①

 カラカラカラカラ。


 耳へと届く不調和な音と揺さぶるように緩く体へと響く震動。

 その音と震動に自分が子供頃に遊んだラトルの中身になったかのようなそんな錯覚に陥りながら気怠い体を背もたれに預けて酷く濁った灰色の瞳を覗かせるよう瞼を半分閉じては開き閉じては開き……。

 怠慢な瞬きを繰り返すたびに焼き付くように一瞬一瞬、瞳に広がる青紫の艶のないブルーベリー。

 そして逆に彩りを添えるような瑞々しい赤い色のクランベリーソースの光景が眼前に浮かび瞼を完璧に閉じれずにいる。


(なんて胸の空く清々しい光景なのだろうか)


 押し寄せる得体の知れない恐怖心を誤魔化すように、紫も赤もない幻想的な朝霧の立つ自邸の庭を頭に思い浮かべれば胸に空いている気怠い空洞に心地よい風が吹き抜ける気がする。

 均整のとれた薔薇の生け垣に季節折々の花が生けられた花壇。

 あぁ、そうだこの震動はラトルではなく庭園に面したバルコニーに出してあるロッキングチェアの揺らぎに軋む音に決まっている。

 ついさっきまで邸内に居たはずなのにいつの間にここに移動したのか分からないが、深く腰掛けたロッキングチェアに心地のよい満足感と疲労感を預けながら霞を食べる仙人の如く気力を養うように靄がかった空気を吸い込む。


 一瞬、なにか異様な生臭い匂いが鼻を掠めたので眉を顰める。


 なんの匂いだろうかと深く考える暇もなくそれはすぐに風に乗って流れていき、代わりに香ってきた甘い花の香りにこの身が包まれるので、満ち足りていた心の余韻を再び味わう。

 今、咲いているのは金魚草だっただろうか。

 庭に咲き誇る一年草はあまり趣味ではないが妻が好きなので仕方ない。


 庭は妻の領域だった。


 あぁ、そうかさっきの腐臭はきっと何処か生け垣の近くで動物の死骸でも転がっているのかもしれない。

 もしかしたら番犬が小賢しい小動物でも捕って埋めているのかもしれない。

 花の匂いの中に気が付くと時々漂ってくる腐臭にも気付き、それを少しばかり気にしながら後で庭師にでも片付けさせ自分好みの可憐な花でも植えさせようと考えてなにを馬鹿なことだと可笑しくなる。


 そうだこれは夢だ。


 全て夢でしかない。


 襲い来る苦々しい現実の光景から逃れようとして見ている夢に過ぎない。

 現にこの庭の光景は現実に見ているのではなく先程思い浮かべようとして頭で描いた光景ではないか。


 この世の全ての出来事は何一つとして夢でしか無い。


 あの紫も赤色も金魚草もこの腐臭の匂いも!


 しかしながらロッキングチェアに座っていないのならば何故体が揺れているのだろうか?


 このラトルのような音はなんだろうか?


 それだけが現実であるかのように耳にずっと響き続ける音と体を揺さぶる震動に目を覚ますにはどうすればいいのか分からず寂しい気持ちになる。

 霧がかった亡霊がこの身に覆い被さり全ての現実を奪い去っているかのような幻想を振り払い目を覚まそうと藻掻いていれば、不意にラトルの音以外……なにか布の擦れるような音が鼓膜に届いたと思ったと同時に、何者かが座っている気配を感じる。

 ハッとしたようにけっして閉じてはいなかった瞼を覚ましたかのように開き、吸い込んでいた霞が消え去り、急にハッキリと鮮明な思考が襲いかかる。


 目が覚めたのだ。


 背もたれにもたれかかっていたと思っていたはずの体は緊張するように前のめりに俯き、落ち着かなく揺れる膝へと視線を向けている。

 今度こそ明瞭になった意識にここが庭園を望むロッキングチェアではなく絢爛に彩られた馬車の中であることが分かった。


 汚れ一つない上等な白い革で覆われたシート、節や扉を飾る嫌味のない金の装飾。


 いつの間に馬車に乗ったのだろうか。


 邸前で拾ったのだろうか。


 ひずめの音に紛れて聞こえる甲高いヒステリックな声、それが嫌になって邸から逃げ出したのかもしれないと再び現れかけた霞を吸い込もうとして口を開いた瞬間、再度聞こえた布擦れの音にギクリと肩が跳ねる。


「お気づきになりまして?」


 その突然の意識の浮上に今気付いたかのように掛けられたのは歌うような高い、だが耳に心地よく響く声。

 やかましく覚醒を促すものではなく不快感なくゆったりとした穏やかな調子で相手を気遣う声に、心臓が不自然なほどに激しく脈打ちながら俯いていた視線をゆっくりと浮上させていく。


 じわりじわりと上がる視線の先に映る暗い青紫色のドレス裾。


 両脇を花の形をした刺繍で持ち上げて止められたプリーツスカート、膝に乗せられた黒い長い手袋に隠された細長い指、腰より少し上で止められた丸型のベルトにオフショルダーネックの首元には赤い宝石が輝いている。

 その体を彩る色にギクリと体を強張らせながら、しかし上げた視線の先ではなんてことはない。

 座り心地の良い上等なシートには腰を落ち着かせた少女が後ろで纏めた金の編み込みの髪の毛を揺らし、好奇心に満ちた緋色の眼差しで私を見て微笑んでいた。

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