毒殺未遂事件②
「っ……!」
「今日あなたにね、これを渡そうと思っていたの」
「これ……」
抱き締めるつもりだったのではなく、すぐに離れたクリスティアがエルの首に掛けたのは緋色の宝石が輝くループタイ。
胸元で揺れるそれをエルが持ち上げて見ればランポール家の家紋である彼岸花が刻まれている。
家族の証である家紋。
そんな大切な物を身に付けることを許してくれるなんて……エルも家族として大切な存在なのだと言われている気がして嬉しくて泣きそうな気持ちになりながら握り締める。
「本当に心配は必要のないことよエル……なにが起きようとも全てわたくしの灰色の脳細胞の内だから」
一心にループタイを見つめるエルの頭をクリスティアが撫でる。
ウエルデ家で混ざり者と蔑まれ、貶められた灰色の髪を……躊躇わず嫌悪もせずただ愛おしさを持って撫でられる。
今日のことをエルは絶対に忘れないだろう。
このループタイを見る度に、この幸福に満たされた気持ちを何度でも思い出すのだ。
例えそこがどんなに苦しく辛い牢獄の中であったとしても……これさえあれば生きていける。
いつの間にかランポール邸の入り口である門を抜け、小さな嘶きと共に馬車が止まる。
手を繋ぐように馬車から降りて、クリスティアに案内されるままに辿り着いたのは邸を前にした広く綺麗に整備された庭園。
瓶を持つ女神が水を注ぐ噴水の横に準備された長机には汚れ一つない白く上等なレースのテーブルクロスが敷かれ、この降り注ぐ陽光を浴びて眩しく輝いている。
「申し訳ございません、両親は少し遅れるとのことでしたので……先に楽しんでおくようにと言付けを預かっております」
鼻から上を覆う仮面を纏い整列した使用人達が客人達に向かって頭を垂れる。
不気味な仮面とは違いまるで高貴なる存在を最高位の敬意で迎え入れるかのようなそんな出迎えに、ウエルデ家の者達は一瞬たじろぐものの悪い気はせず。
満足そうにさも高貴さを漂わせて胸を張るとふてぶてしくも使用人達の前を通る。
「このような心遣い……感謝いたしますわ」
「いいえウエルデ夫人。特別な客人を迎えるために本日は我が家でも最上級の使用人達を集めました。ですが高貴なる皆様のお顔を直接目にするなんて不相応にもほどがあるので仮面を付けさせましたの。面白い趣向でしょう?どうぞ本日の主役であらせられる伯爵は主賓の席へ」
「これはこれは、感謝する」
邸を前にして一人の従者が深緑の瞳を細めて誘うように椅子を引く。
焦げ茶色のツイードのスーツ姿のレイヴスが最上級のもてなしに満更でもない様子で引かれた椅子に座り、その左側に一つに結んだ金の髪を左頬に流し肩の出たオフホワイトのスレンダーラインドレスとストールを身に纏ったジーニア・ウエルデ夫人が座る。
更に隣に刺繍が見事な水色のドレスのリリアル、そして現キュワール侯爵家の臨時当主であるエドガー・ウエルデがチェックのツイードのスーツのアクセントとなっている緋色のネクタイを少しだけ緩めながら着席する。
レイヴスと夫人の前はランポール夫妻のための空席で、リリアルの向かい側にクリスティア、そして隣にクリスティアに連れられたエルが座る。
「そうだわエドガー様、ブローチをお届けくださりありがとうございます。ユーリ様からお預かりした大切な物でしたので何処に落としたのかと探していたのです」
ブローチという言葉にエルの肩が震える。
王子の名が親しげにクリスティアの口から発せられ不機嫌になってもよさそうなのに、リリアルが愉快そうにニヤリと口角を上げるのでやはりなにかがあるのだとエルは確信する。
「いいえ、そのような。メイドが無事に届けたみたいで良かったです」
「届いた時間が少し遅かったものですからそのメイドは昨夜、我が邸にお泊めいたしましたが……ご不便なことはございませんでしたか?」
「あぁ、だから居なかったのか……いいえ、今朝のリリアルの支度に少し時間が掛かったくらいですから平気です」
浮薄者らしくウインクをして笑顔を浮かべたエドガーにクリスティアも愉快そうな笑みを返す。
「それより王子様はいらっしゃらないのですか?手紙には特別なゲストをお呼びしていると書かれていたのですけれど……」
「えぇ、少し遅れているようですわリリアル様。ですが楽しみは時間が経てば経つほどその期待に胸が高鳴るというもの……さぁ、料理が冷めてしまいますわ。先に始めましょう」
クリスティアが手を叩き号令すれば止まっていた使用人達が動き出す。
ウエルデ家に届いた招待状にはランポール家とは別に特別なゲストも来る予定だと書かれていた。
特別なゲストが誰かは分からないが十中八九王家であろうことは容易に想像が出来た。
この食事会で公爵家と伯爵家の繋がりが深くなればこの度の王子の婚約者候補の選定にも深く関わってくるはず。
相応しい年頃の婚約者候補が二人……交流を重ねれば自然とどちらかが候補者を降りることになるだろう。
そんな借りを作る場になるかもしれないこの食事会に王家は非常に関心を示しているはずだ。
(とはいえ残る候補者はリリアルでなければならないが……)
候補者同士が仲良くなるなんて……心底あり得ない。
権力を前にして馴れ合いなど、無用。
今日この日を持って王子の有力なる婚約者候補は一人になるのだとレイヴスは心の中でほくそ笑み……隣の妻の手を握る。
その手は少しだけ冷たく震えているが、問題はないと確信しているのだ。
和やかな食事が始まり、美しい前菜を食べ終わった頃。
次いで出されたスープを見てジーニアが声を上げる。