毒殺未遂事件①
翌日、邸の前に豪奢な馬車が一台止まっていた。
見覚えの無いその馬車が到着する前、会いたいと送ったエルの手紙にクリスティアからの返事はなく、もしかしてもうなにか起きた後なのかもしれないと不安から浅い睡眠を繰り返しうなされ続けた悪夢によって朝方まで眠れずにいたエルを叩き起こしたメイド達に慌ただしく外出の準備をさせられたエルは、追い出されるようにして邸の前で待っていたその馬車へと乗せられる。
「急に迎えが来て驚いてしまったかしらエル?」
「…………」
ピンクの薔薇があしらわれたドレスを身に纏いその馬車の中で座っていたのは昨日急ぎ手紙を送った相手であるクリスティア・ランポール。
不安の中で眠りについたエルの夢の中で血に塗れ倒れていたその少女は傷一つ無い無事な姿で、ニッコリと笑んでエルを迎える。
「その服、とても良く似合っているわ」
馬車の座席にも内装にも劣らないこの上等な布と豪華な金糸で刺繍の施された衣服を何故、慌てた様子の使用人達に着させられたのかエルはここで漸く理解する。
これらは全てクリスティアから贈られた衣服だった。
一番新しく届けられた一着だけ残して全て奪われたいたこの衣装をクリスティアに見せ、自分達の罪を隠すためにメイド達はエルに着させたのだ。
「実はね、暫く前から我が家とキュワール家の交流を兼ねて細やかな食事会をしましょうという話を伯爵としていたの。ご存じないかもしれないけれどキュワール家は我がランポール家に爵位を叙された血筋でね。長い年月でそのことはもうすっかり忘れ去られているようだけれど、あなたと折角仲良くなったのだからこれを機に改めて親睦を深めようということになっていたの。当日まで黙っていてごめんなさい……あなたを驚かせたかったの」
レイヴスとそのような話になっていたなんて知らなかった……。
サプライズの成功した子供のように無邪気に笑うクリスティアに、言い知れぬ不安に襲われ続けているエルはギュッと紺色のズボンを握り締める。
返事が無かったので手紙が届いたのかどうなのか分からない。
レイヴスのことだから今日会えるのだからと渡していない可能性も大いにある。
どうすればいいのか、どうすれば彼女を守れるのか分からない。
なにかが起きるという確証も証拠もなく、クリスティアにただ気を付けろと言ったところで変な奴だと思われるかもしれない。
そんな変なことを言う自分とはもう二度と会ってくれないかもしれない……。
エルはなによりもそのことが恐ろしくて、言葉を口にすることに躊躇いを生む。
「エル、怒っていて?」
「…………」
黙り込んだエルの顔を困ったように眉尻を下げて覗き込んだクリスティア。
もしこの躊躇いで……この人を守れなくなることは会えなくなることより恐ろしいことなのだ……。
エルは怒っていないことを頭を左右に振ることで示すと意を決して噤んでいた唇を開く。
「あの……どうか叔父様に気を付けてください、ブローチでなにかしようとしてます」
意を決して口にした言葉は曖昧で震えていただろう。
卑怯で卑劣なレイヴスがどんな狡猾な手を使ってくるのか分からない。
公爵家が開く食事会。
準備は全て公爵家側の人間でしているはずなので下手なことが出来ないことは分かっている、分かってはいるけれども……。
このタイミングで開かれるなんてなにか裏があるとしか思えない。
あの書斎から聞こえたブローチがなんのことか……エルには分からないのだから。
「まぁ、エル。大丈夫よ心配しないで。あなたのリボンはちゃんと受け取っているし。ブローチの件も……ふふっ、わたくしには優秀なるメイドがいるから問題はないわ。むしろ今日こうなることは決まっていたことだから驚かないでね」
エルの心情を慮り安心するようにと笑みを深めたクリスティアだが、エルの心は不安で埋め尽くされている。
これからなにが起きるのか分からない。
自分を出しにしたレイヴスがクリスティアを陥れるためにどんな罠を仕掛けて、どんな手を使ってその凶刃なる刃を突き立てようとしているのか……。
もしレイヴスの準備した凶刃なるその刃がクリスティアへと突き刺さったら……。
いや、突き刺さる前に……エルは自分を犠牲にしてでも彼女を守ろうと心に誓う。
この蔑まれるばかりで価値の見出せない人生をこれから先も無意味に続けるよりも、誰かの役に立ち誰かの心に残れるのならば……それは自分という存在を気に掛けてくれたクリスティア・ランポールという少女がいい。
彼女が自分の犠牲を覚えていてくれたらそれだけで価値のある人生に変わるのだ。
そう覚悟を決めれば、いつの間に移動したのかエルの隣に座ったクリスティアが抱き締めるようにその両腕をエルの首に回す。
ふわりと甘い香りが鼻腔を擽り首筋を撫でた手首の裾にエルは驚き、息が止まる。