王宮の一室③
「エル。もし、あなたが望むのならば然るべき方法であなたを今すぐに助けることが出来るわ」
骨しかないようなエルのささくれた手を両手で握るクリスティアの優しい掌を見つめ、ひび割れた唇を開いたエルはそのまま閉じる。
正直言って助かりたいのかどうかも分からなかった。
助かったところでその先の未来なんて想像することもできなかったし、恐怖に支配された体は無意識に震えその恐怖から逃れることすら恐ろしがり、耳の奥でレイヴスの罵声が絶えずこだましていて考える気力を奪っていた。
それにクリスティアの話を聞いた今、成人前に自分が死ぬことが……望んだモノを手に入れられなくなるレイヴスらへの復讐になるのではないかと漠然と思ったのだ。
「エル、エルそれはダメよ。今は無理に答えなくても考えなくても良いわ。けれどもあなたが居なくなり、わたくしが残されることをあなたは考えなくてはダメよ?それがどれだけ悲しいことか分かるでしょう?」
「……悲しい?」
「えぇ。とても、とても悲しく、辛いことだわ」
理解しがたいように俯いたエルの頭を撫でてクリスティアはその身を抱き締める。
傷だらけなのだと。
クリスティアが思っている以上にこの子の心は傷だらけなのだと深く理解して。
「暫くは手紙と一緒にリボンを巻いた贈り物を届けさせるわ。わたくしに会いたくなったらその贈り物に巻いていたリボンをあなたの手紙に添えて寄越して。すぐに会いに行くわ」
会いに来てくれると言ってくれたことが嬉しかったのだろう、俯いていた顔を上げ表情明るく頷いたエルへと微笑んだクリスティアは立ち上がる。
「さぁ、そろそろ戻らないと……わたくしがここに来たことは内緒ね」
「……うん」
名残惜しいけれども仕方ない。
いつまでも此処に居たらレイヴス達が戻ってきてしまう。
「エル。すぐに迎えに行くから、待っていてね?」
扉の前まで見送るエルに向かって教会からの去り際にも言っていた台詞を頬を撫でながら口にするクリスティア。
その掌に擦り寄ったエルを、名残惜しそうに滑らすように離すと扉が閉まり、室内は一気に静まり返る。
(……寂しい)
寂しい。
寂しい。
寂しい……と胸から込み上げる気持ちがエルを包み込む。
両親が死んでから感じることのなかった孤独と喪失感に自分が居なくなったらクリスティアもこんな気持ちになるのだろうかと、それが悲しくて……嬉しくて……扉を開いて外に出ようとすれば、コンコンと再び鳴ったノックの音に伸ばした手を引っ込める。
使用人でも戻って来たのかもしれないと慌ててソファーへと戻れば、失礼しますとサルヴァを持ったメイドが入ってくる。
それは最近入ったリリアル付きのメイドで、ウエルデ邸の中でただ一人、エルを気に掛けてくれる使用人だった。
「お食事をお持ちしました」
彼女は時々、他の使用人達の目を盗んではエルに食事を運んでくれていた。
彼女のお陰で一日一度はご飯を食べられるようになったし、傷んだご飯を食べることはなくなった。
「あの……先程、どなたか部屋に入られましたか?」
日傘を取りに来たついでに食事を持ってきてくれたようで、サルヴァをエルの前に置き、持ってきた手荷物の中から日傘を持ち出した彼女は少し戸惑いながらもエルに問う。
その問いに、ビクリっとエルの肩が跳ねる。
クリスティアが部屋から出て行ったのを見られてしまったのだろうか。
内緒だと言われたのにと、ドキドキと不安に鳴る心音を聞かぬようにエルは頭を左右に振る。
「誰も来ていません、一人でした」
「……さようで、ございますか」
少しだけ考えるような素振りをした彼女は納得はしてはいないようだったが頷き、それ以上の追及はなく頭を垂れる。
いつも思う。
彼女は誰にも認められていない自分にすらいつも丁寧だと。
丁寧で……エルと同じく孤独で、人生など諦めているようだと。
「食事を終えられましたら食器類は全て外のテラスの隅へと下げてくださいますようお願いいたします。のちほど城の者が回収いたしますので」
「……うん」
城で食事をするとそういうものなのだろうか。
初めてのことなので分からないが頷いたエルは日傘を持って去って行ったメイドの言われた通り、食事を終えると食器をサルヴァごとテラスの隅へと隠すように置いた頃。
夕方まで続くはずのガーデンパーティーがある事件のせいでお開きとなったと、不満そうに戻ってきたレイヴス達と共に帰ることとなった。