王宮の一室②
「エル?わたくしよ、クリスティーだけれど……すれ違ってしまったのかしら?」
名乗られた名に飛び跳ねるようにしてソファーから降りたエルは扉へと急いで近寄ると声の主がぶつからないようにゆっくりと開く。
「あら、やっぱりいたのね。来ていた姿は見かけたのに会場に居ないから探したの」
「叔父様から部屋から出るなと言われて……」
ピンクの薔薇のコサージュを胸に付けた淡い水色のドレス姿のクリスティアが丸く膨らんだハンカチを抱えて立っている。
広いパーティー会場でエルを探してくれたのか……。
王宮がどれだけ広いかは部屋に来るまでの廊下の長さで窺い知れたので申し訳なくて部屋に居た理由を口にすれば気にしていないというように頭を撫でられる。
それが嬉しくてクリスティアを見れば少し辺りを気にするような素振りをしている。
もしかすると誰かに見付かればすぐにここから去ってしかもしれないと心配になりエルはその腕を引いて、誰にも見付からないようにと部屋の中へとクリスティアを引き入れる。
「わたくしもね、過保護な監視の目から漸く抜けだせたの……だからあまり持っては来れなかったわ」
急に腕を引かれたことは大して気にしていないようで、クリスティアが胸に抱えたハンカチを開けば中には一口サイズの菓子パンやクッキーが数個包まれている。
今日、初めての見ることの出来た食事にエルはキラキラと瞳を輝かせる。
「座って食事にしましょう」
その姿に少しだけ悲しげに眉尻を下げて微笑んだクリスティアに促され、エルはソファーへと座る。
「手紙を何通も送ってしまっているけれど迷惑ではなくって?」
「……うん」
「それは良かったわ。あなたとの手紙のやりとりは楽しくて、つい多く送ってしまうの」
「楽しい……?ごほっ!」
細やかな食事を慌てたようにするエルの様子を気にしながら室内を物珍しそうに歩き回るクリスティア。
クリスティアとはあれから毎日何通もの手紙のやり取りをしており、最初こそなにかの罠ではないかと警戒していたエルだったが優しくエルを気遣ってくれる文体にすっかりその警戒心はなくなっていた。
送ればすぐに返ってくる返事。
手紙を送り合うというのはこうも頻繁なのだろうかと疑問に思いながらも、クリスティアとの交流は嬉しくてエルを孤独から救ってくれていた。
しかしその内容はレイヴスによって全てチェックされており下手なことは書けないので、エルはいつもなにを書けばいいのか分からずにクリスティアの言葉に簡素な返事しか書けていない。
楽しいと言われるとなんだか恥ずかしくなって……口に詰めたクッキーが乾いた喉に張り付いて咳き込む。
「ごほっ!ごほっ!」
「飲み物を持って来れなくてごめんね」
机の上にあった水差しから水を注ごうとしたクリスティアだったが、机の上に出されていたコップの数が来ていた人数と合わないことに気付く。
それに呆れた気持ちを眉根を寄せた表情に浮かべて、仕方なく使いかけのコップの中身を花瓶の中へと捨てると縁をハンカチで丁寧に拭い、水を注ぎエルへと渡す。
「大丈夫?」
「……うん。食べ物、ありがとうございます。美味しかったです」
一気にその水を飲み干して頷いたエルは食べ物を持ってきてもらえるだけで十分だと感謝を口にする。
エルを気に掛けてくれるのはクリスティアと、邸で働く一人のメイドだけだ。
だから来てくれただけで、探してくれただけで十分だとクリスティアを見ればその表情は悲しげに眉尻を下げている。
「エル、あなたの状況を分かっているわ。分かっているの」
「…………」
背中に添えられたクリスティアの掌は軽く叩くことも撫でることもなくただ添えられている。
それがどういった意味を持つのか理解し、エルは息を呑む。
彼女はこの背にある傷を、痛みを知っているのだ。
「王国では後見人のいる未成年者が成人前に亡くなった場合、その後見人が財産や爵位を引き継ぐことは出来ません。財産も爵位もまず一度、国へと帰属されます。それに未成年で亡くなった場合はどのような場合でも遺体が必ず解剖されます。解剖によって死因が分かり、なにか不都合な事実がなければ国王陛下によって財産は法に則って親族などに分配され、爵位は新たに相応しい者へと譲渡されるのです。それは遺言書があったとしても関係はありません」
「…………」
「そして逆に成人となれば、財産も爵位も全て遺言書通りに引き継げるということです」
レイヴスは狡猾だ、そして愚かではない。
キュワール家の財産を、侯爵という地位を必ず自分達の物とするために成人までエルを生かしているのだ。
自分が生かされている理由はまるで家畜と同じなのだと告げられ理解し、エルは言葉を失う。