エル・キュワールの孤独⑤
「助祭様にわたくしがあなたをお送りするとお伝えしていたの。行きましょうかエル?」
軽く頭を下げて去って行く助祭の背中を見つめながら、あぁ戻らないといけないのかと……急に襲ったその事実にエルの足が止まる。
「エル、大丈夫よ」
「?」
「すぐにあなたを迎えに行くわ」
躊躇いなく差し出された手を小首を傾げながらエルは握る。
一体なにが迎えに来るのか、分からないけれどその言葉はエルの不安な気持ちを少しばかり消してくれる。
温かい掌とこの人が迎えに来てくれるというのならば、それがなんであろうとも大丈夫なのだという確信。
手を握ったまま庭園へと出れば少し先の木陰の近くにレイヴスが機嫌の良さそうな表情で立っている。
「ウエルデ伯爵様!」
王子様には会った後なのか、そこにリリアルの姿はない。
レイヴスの姿を見れば自然と遅くなっていた歩みを完全に止めたのは、レイヴスへと白銀の髪に菫色の瞳の男が駆け寄るのが見えたからだ。
最近頻繁に邸で見かけるその男はエルを見ると苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべるのでウエルデ家同様の黒色忌避の気質を持っているのだろう。
きっと今、彼らに近寄ればレイヴスの機嫌が悪くなるはずだ……邸でも彼らが来たときエルはいつも以上に厳重にその存在を隠されるのだから。
彼らに見付かればきっと邸へと帰ったときになにが起きるか分からないと、じくじくと痛む背中にエルは警戒するような眼差しを二人へと向ける。
「良いメイドが……母親を……」
「……予定通り……」
なんの話をしているのか、途切れ途切れながらもレイヴス達の話が聞こえる。
「お話しされているようだから少し庭園を散歩しましょうか?」
レイヴスの元へと戻らなければならないので適度に距離のあるこの場を去ることをエルが躊躇っていれば、クリスティアがその手を引いてレイヴス達とは反対の方向へと歩み出す。
その手に抵抗することなく引かれながら、花壇に咲いた色とりどりの花を観賞する年老いた夫婦を横切り、広い芝生で子供達を遊ばせる若い両親を横目に見ながらクリスティアと共に庭園をぐるりと回る。
すれ違っていったエルとは無縁の穏やかで楽しげな、実に教会らしい光景に少しの羨ましさを感じながら、クリスティアと歩くこの時間は自分もこのなんでもない人達と同じように見えているのだろうかと考える。
もしそう見えているのならば……この時間がずっと続けば良いのにと願いながらエルとクリスティアはたわいのない会話をしながら気付けば教会を一周するように散歩をしていた。
そして太陽が真上に来る頃、嫌々ながらレイヴスの元へと戻ればそこにはもう彼一人しか居らず、この楽しい時間が終わりなのだとエルは落胆する。
「なにをしている!さっさと帰るぞ!」
エルを見付けた途端、レイヴスが怒号を上げて近寄ってくる。
エルのことを少しばかり探したようで、苛立ちが眉根を深く刻んだ皺に現れている。
「まぁ、すいませんウエルデ伯爵。この子を引き留めたのはわたくしですわ。どうぞお怒りにならないで」
「こ、これはこれはランポール令嬢!もうお帰りになられたのかと……」
隣でエルを庇うクリスティアを見て焦った様子でトーンダウンするレイヴス。
それを見て、クリスティアはエルの肩を引き寄せる。
「実はミサをお聞きしているときにこの子の隣に座ったものですからお話しをいたしましたの。お話ししていたらわたくしエルのことがとても気に入りましたわ。よろしければ親交を持ちたいと思っているのですけれども許可をいただけますか?」
「しかしこの子は病弱で……教育もまともに受けておりませんから無礼を働くかもしれません。代わりに娘はどうでしょう?同年代ですしきっと話も合うことでしょう」
「いいえ、伯爵。他の誰でもなくわたくしはこの子を気に入ったのです」
クリスティアの提案に面白くなさそうな表情を浮かべ、やんわりと拒否をしたレイヴスに、浮かべている笑みを消したクリスティアは背筋を伸ばして下位を統べる上位者然とした態度を示す。
拒否をすることも意見することも許さないと伝える少女の声音。
その緋色の瞳に込められた支配者としての威圧感に気圧されたレイヴスは自分でも気付かぬうちに頷く。
「え、えぇ。ランポール令嬢がお望みでしたらそれは勿論。エルも喜びます、そうだろうエル?」
「はい、叔父様」
毛色の違う獣を物珍しがっているだけだ、どうせすぐに飽きるだろう。
エルに見せるクリスティアの得体の知れない執着に不気味さを感じながらもそれを振り払うように交流を認めたレイヴスに、自分の思い通りにいったことに満足したようにクリスティアは無くしていた表情から一転して、緋色の瞳を細めた笑みを浮かべる。
「では本日帰ってすぐに手紙をお送りさせていただきますわ。夕方にはそちらへわたくしの侍女をやりますので、すぐにお返事をいただけたら幸いです」
「勿論です、すぐに……」
クリスティアの侍女を介してのやり取りならば、レイヴスが手紙を隠すことも返事を遅らせることも難しくなるだろう。
その事実にレイヴスが警戒心を強める中、その警戒心に気付いていないのか別れを惜しむようにクリスティアはエルを軽く抱き寄せる。
『大丈夫、すぐに迎えに行くからねエル』
レイヴスに聞こえないようにそっと小声で囁かれたのは手を繋いだときと同じ言葉。
だがその言葉の真意が最後まで分からずエルはクリスティアを真ん丸の黒い瞳で見つめる。
その不思議そうな表情と合う視線に笑みを深めたクリスティアは日傘を差して、少し先で待っていた侍女の元へと静かに去って行った。