エル・キュワールの孤独④
「ご存じ?神の祝福を携え降臨した聖女は建国を支えた英雄達と共に悪しき者達を断罪したの。この国で聖女信仰が根強いのは初代国王の王妃が聖女だったと伝わっているから。その姿は様々な色で伝わっているけれど……実際は黒い髪に黒い瞳だったそうよ」
だがステンドグラスに描かれている聖女は黒い髪に黒い瞳ではなかったはず。
この声の主が誰に説明しているのか分からないが聖女を称える司祭の後ろ、三窓あるステンドグラスの中央に描かれた神を見つめる左手側の聖女を確認するようにエルが見上げれば、そこには金色の髪を靡かせた少女が描かれている。
「あなたの瞳も綺麗な色なのね」
その言葉にハッとしてエルは見上げていた顔を声の主から手で隠し俯こうとするが、それを遮るようにして幼い掌がエルの骨張った細い掌へと重ねられる。
自分のものとは違う柔らかい感触に不安と怯えで体が震える。
なんでこんな、一体なにが起きているんだ!
混乱する頭でその手を咄嗟に振り払えば、そこにはエルの黒い瞳を真っ直ぐ見つめる緋色の瞳の少女が驚いた表情を浮かべて座っている。
いつも蔑まれ、穢れた者を見るかのように嫌悪されてきた色だ。
誰かに触れられることも触れることもなかったそんなエルに彼女は触れてしまったのだ。
それが酷く悪いことのような気がして、どうしようと焦る気持ちで少女を見ていれば、手を振り払われたことに驚いたものの気にした風でもなく、少女はニッコリとエルを安心させるかのように微笑む。
「ミサというものはどうしてこうもつまらないのかしら。司祭様のお話は無駄に長いし……そうは思わない?」
「…………」
同意を求められてもどう反応していいのか分からない。
振り払った手を胸の前で握り締めて、辛うじて頷いたエルは無礼だと怒られるかもしれないと、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを抱え心臓をドキドキと不安で鳴らす。
「まぁ、ごめんなさい。急に話し掛けてしまって驚いてしまったかしら?わたくしクリスティア・ランポールと申します。どうぞクリスティーとお呼びになってね?」
今度は触れる前に差し出された左の掌。
その手をどうすればいいのか触れていいのか分からずに見つめていれば、ふふっと軽やかな笑い声が少女から漏れる。
「そんなに見つめるばかりでは手に穴が空いてしまいますわ。大丈夫、あなたの手は綺麗なのだから。さぁ、その手を重ねてみて?」
優しい声音で少女に促され、エルは自身の手をブルブルと震わせながら差し出し、触れてみる。
ささくれてやせ細っている自身の手とは違い白く汚れのない細長く綺麗な指先。
その柔らかく温かい掌に、散々汚れていると言われ続けてきた自身の手を重ねることは申し訳なくて……なるべく少なく、人差し指、中指、薬指を重ねたエルの手をクリスティアは優しく握る。
「お名前は?」
「エル……エル・キュワール」
痛まないように優しくそっと……。
包まれるように右手も重ねられ問われた言葉に自然とエルは答えていた。
もう誰も呼ばなくなって久しい名前。
誰にも呼ばれることはもうないと思っていた名前。
「そう、よろしくねエル」
その名を呼ばれた瞬間のことをきっとエルは生涯忘れることはないだろう。
エルはこのとき初めて自分の名前はエルなのだと認識したのだ。
彼女に呼ばれた名前こそが、自分の名であるとそう理解して……泣きそうになったのだ。
「あぁ、司祭様のお話が終わったのね。子供達には最後、お菓子を配っているから取りに行ってきて。わたくしはここで待っているから」
「……うん」
どうやって親に連れられた子供達が大人しくミサを聞いているのかと思っていたら、皆ご褒美のために大人しくしていたらしい。
クリスティアに手を引かれ立ち上がると背中を押されてしまったので、気が進まないながらも子供達が並ぶ中央の通路にエルも並ぶ。
エルの容姿を見た者達から少なからずざわめきが起こる。
そのざわめきにエルが縮こまってクリスティアの方向を不安げに見れば、彼女はニッコリと微笑んで手を振る。
ざわめいていた者達がエルの視線を追って
手を振る少女が誰かを認識すると、その声を一気に沈静化させる。
その声達は彼女が公爵家のご令嬢であることを知っている者達なのだ。
視線を逸らしそそくさと逃げるようにして去って行ったので早くに司祭からお菓子の入った小袋を受け取ることが出来たエルは小走りでクリスティアの元へと戻る。
エルを案内した助祭となにやら話をしていたクリスティアがまるで雛鳥のようにトコトコと走り来るエルを嬉しそうに迎える。