そうして彼女は死んだのだ③
(……あぁ、私は存在しないんだ)
唐突にそのことを理解して、エラの心はボロボロと崩れ落ちてしまう。
全ての役割を終え、消えたメイドのことを探す者は誰一人として居ないのだと。
家族ですらその行方を探すことはなく、エラという存在はこの世から消えてなくなるのだと悟り。
今までの自分の犠牲が、努力が……涙となってエラの瞳から溢れ落ちる。
「悲しまないで。悲しんでは駄目よ。あなたを軽んじ顧みなかった者達のために悲しむ必要はないわ。あなたがこれから考えることはこれからどうしたいかということ、あなたがどうなりたいかということよ」
「私は……私は……!」
私を救ってくれる家族も王子様も何処にもいないではないか!
全ては偽りだったのだ!
捨てられるための大きな舞台だったのだ!
どうなりたいかなんて分からない。
家族に縋り付いてどうにか生きてきたというのにどうしたいかなんて……。
最初から捨てられていたというのに、それでも一人になってしまうのが怖くて、まだ信じようとする心が残っていて……俯き言葉なく涙を流すエラの頬にクリスティアの幼い手がそっと触れる。
「わたくしがあなたに全てを悟らせたのはあなたが愚かではないと知っているからよ。マティス家のあの愚かな男に罪を着せられそうになりながらも唇を噛み締め、高潔を貫いたあなたの清廉さにわたくしは惹かれたの……なにも知らず母の元に帰りたいと言うのならばマティス家のことには目を瞑りましょう。誰からも離れたいというのならばあなたの居場所を内密にご用意いたしましょう。あなたは巻き込まれただけなのだからあなたの望む通りにしてあげるわ」
「私は……私は……なにも……!」
なにも望まない?
本当に?
踏みにじられてもそれを耐えることが本当に高潔なことなのであろうか?
そんなことはないとエラは唇を噛み締める。
だがロザリーの元に戻ったところで今日みたいにいつかは捨てられるだけ。
エドガーの元を去ったところで主人を置いて逃げたと社交界で吹聴され二度と足を踏み入れられないようにされるだけ。
だったらエラの高潔さを望み、その心を貫ける主人をエラは自身で選びたいと切に思う。
「私をお嬢様の……クリスティー様のメイドにしてください」
高潔なるあなたの魂が誰かの犠牲によって穢されないことを祈っているとこの少女だけがエラを顧みてくれた、理解してくれたのだ。
ならばこの先、自分の全てをこの少女へと捧げたい、望まれたい、と切に願ったエラは真っ直ぐにその緋色の瞳を見つめる。
そしてそれはエラを顧みなかった者達への一矢となることも理解していた。
エラはその一矢を引く弓に決別として自身の手も添えたいのだと強く強く望んだ眼差しに、緋色の瞳を細めたクリスティアは笑みを深くする。
「えぇ、それを望むのならば勿論よ……エラ」
「……いいえ、いいえ!どうぞ私に新しい名前を……!今日限りでエラという名の女は死んだのです!」
初めて呼ばれたその名を心の底から穢らわしいと思った、この胸から湧き出した憎らしい気持ちを抑えきれずエラは叫ぶ。
その名は高貴なる我が主人に呼ばれるべき名ではない!
強い意志を持って薄汚れたカーディガンに大切に付けていたバレッタを外し握れば、強く握るその手を開かせてそのバレッタをクリスティアが受け取り暖炉へと放り捨てる。
「では……ルーシーなんていかがかしら?優秀で忠実なる、ルーシー。わたくし自分のメイドには必ずこの名が良いと思っていたの」
あのバレッタが燃え尽きる頃にはエラが家族だと思っていた者達への最愛たる気持ちは消えて無くなるのだろう。
砕け散った心は名と共に捨て今、新しくエラは与えられた名前に頭を垂れる。
「ありがとうございます、クリスティー様」
「よろしくねルーシー。実はねあなたの部屋はもう用意してあるの」
最初からこうなることを確信していた恐ろしくも聡明な子。
彼女を敵に回したことをマティス家は後悔するであろう。
幼い少女に差し出された手を敬うように額へと持ち上げれば父が死んでから久しく感じなることのなかった満たされた気持ちがじんわりと胸へと広がる。
例えこの先この手によって自身の高潔さが穢されたとしてもエラが……ルーシーが後悔することはないだろう。
軽やかな気持ちと共に自身の意思によってルーシーとなった彼女の全ては、今日この日よりこの少女のモノとなったのだ。