とある伯爵家のメイド②
「うちの可愛い末の妹は今流行の演劇に行ったのかな?」
「さようでございますエドガー様」
「エラ、僕が君を救った救世主だからってそんなに畏まって接しなくてもいいよ?ほら、皆も呼んでるんだからエドって呼んで?」
「恐れ多いことでございますエドガー様」
雇われている一使用人が雇い人の家族を愛称で呼ぶなど。
そう呼ぶことをエドガーが許しているとしても弁えるべきだ、彼の家族がそれを良しと思っていないのならば尚更……。
恐縮するように頭を下げたエラにエドガーは肩を竦める。
「エラって本当に手強い。一度ならずに二度までも君を救う救世主がこんなに頼んでるのに冷たく突き放すなんて……悲しい」
「二度目?」
一度目はマティス家の件であろうが二度目に心当たりはない。
小首を傾げるエラにニコニコと笑むエドガーはズボンのポケットを探る。
「じゃじゃーーん!」
そこから取り出して掲げて見せたのは緑のエメラルドが彩られたバレッタ。
それはロザリーの元を去るときにエリサが持たせてくれたもので、二日ばかり前に無くしてエラが必死に探していた物だ。
「何処で見付けられたのですか!?」
「ごめんね、僕らのお姫様がこっそりと隠してたみたいなんだ。どうやら君がこれを見ていたのをたまたま見かけたらしくて……羨ましかったみたいだ」
過度な装飾品を身に付けないのがメイドという仕事なので、お嬢様がこのバレッタを目にする機会はなかったはずなのだが……。
エラはどうしようもなく寂しくなったときにはポケットに忍ばせていたこのバレッタを見るようにしていたので、その姿をたまたま見られたのかもしれない。
なんでも欲しい物は与えられる伯爵家のお嬢様だとしてもエメラルドは愛の石と呼ばれているので幼年期の贈り物としてはあまり好まれない。
キラキラと輝く緑色の宝石は子供の目を引いたのかもしれないとバレッタを受け取りホッと安心の息を吐いたエラにエドガーは申し訳なさげに苦笑う。
「お姫様にはよく言い聞かせたから、もう隠したりはしないと思う。ごめんね?」
「いいえ、お嬢様はきっとわたくしが落とした物を拾ってくださったのですエドガー様。なのでお持ち下さったエドガー様にもお嬢様にも感謝申し上げます」
「……エラって使用人の鏡っていうか……この邸の誰よりも身分を明確に区切ってるよね」
「……使用人でございますから」
ジョイ・マティスが笠に着ていたように。
ロザリーが取り戻そうとしたように。
エリサが王子様を望んだように。
馬鹿らしいと思っていてもそれを一番に意識し、嫌悪し、敵視しているのはエラなのかもしれない。
俯いたエラのその額を、人差し指で押したエドガーは顔を上げさせる。
「それで……僕は二度目も君の救世主になれたかな?」
「……確かに、二度目でございます」
「ははっ、実は僕の幸運は僕が君に良い行いをすると返ってくるって仕組みだから……君が幸運になればなるほど僕も幸せになるんだ」
それは一体、どういう意味だろうか。
マティス家で助けてくれたときも、バレッタを見付けてくれたことも……エドガーはエラを幸運にしてくれてはいるが、逆に使用人であるエラがエドガーを幸運にしたことなど一度もないと思うのだが……。
「こればっかりは分からなくてもいいよ!いつか分かるからさ!」
「さようでございますか」
意味が分からずにいるエラの不思議そうな顔を、青年のくせに少年らしい無邪気な笑い声を上げて見つめるエドガー。
たまにだがエラは思う。
この表情にはいつも純粋さがあると。
純粋な……なにかがあると。
「ねぇ、エラ。エドって呼ぶ?」
「呼びません」
「あっ!言い方がなんか気安くなった!」
「ふふっ、いいえ。そのようなことはございません」
「ちえっ!まぁ、笑ったから良しとするよ」
少し可笑しくて笑ったエラを見てエドガーが喜ぶ。
マティス家で感じることのなかった安らぎを感じさせてくれるエドガーは確かに、エラにとって幸運を運んでくれる救世主なのかもしれないと思いながら、その判断出来ない純粋ななにかはすっかりとエラの頭から忘れ去られていた。