アチェット・ストロングの真実
「だ、だがストロング公はこうして生きているではないか?夫人がその、殴ったという人物は一体……」
ヘレナが殺したと訴えている彼は今、まさにこうして生きており、ただただ大人しく皆の話を否定もせず立ち尽くして聞いているではないかとユーリはアチェットを見る。
幽霊でもあるまいし……。
足もあり体も透けていない。
何故生きているのかっというおかしな疑問と共にアチェットへと集まる視線に本人が漸く重い口を開く。
「……夫人は……酒に酔って幻覚でも見られたのでしょう」
「いいえ!そんなっ……そんなことっ……!」
「ストロング公。わたくしは申したはずです皆様が知らない真実すら知っていると……あなたの真実すらも、その腕と足の対価も存じております。その引き摺られている右足は怪我をしているのではなく義足なのでしょう?」
クリスティアがヘレナの激情を手を上げて遮ると杖で支える右足を見る。
その視線に右足を一歩下げたアチェットは同時に庇うように義手を触る。
「わたくしは公から手紙をいただく前にとても奇妙な新聞記事を読みました。一年前に幽霊を殺したと自供した夫人が釈放されるという事件でしたわ。面白可笑しく書き立てられておりましたから大変気になったので少しばかり調べることにしたのです」
それはクリスティアがヘレナを第一容疑者とした理由。
ヘイリーに会いに中央対人警察署へ赴いたときに、サボって寝ていたヘイリーが日除けに使っていた新聞記事の内容だった。
幽霊を殺しただなんて面白い記事にクリスティアの興味が惹かれないわけがなく、ヘイリーに頼んで事件の書かれた他の新聞記事を集めてもらっていたのだ。
「わたくしラビュリントス王国の対人警察とは大変懇意にしておりますのでそれがヘレナ夫人の話であることはすぐに知ることが出来ました。新聞を読みますと夫人は一国の主であるアチェット・ストロング公を殺したと騒いでいたと、しかし奇妙なことにストロング公は生きており、夫人が殺したという時間には執務室にいたと証言していると書かれておりましたわ。夫人は我が子を失った長年のストレスから気を違ったのだろうと……」
大変奇妙なことだ。
殺した人物が生きており、しかも自分を殺したという人物を庇っているのだ。
まるで殺人犯人にしないように。
「気が触れた女の戯れ言だろうと世間の者達は私を嘲笑いましたわ!当たり前です!私が殺したと言っている人物は死んでいないのですから!」
ヘレナが唇を噛み、自身の震える手を見つめる。
確かにアチェットを殺した感触を覚えている。
あの怒りに任せて振り下ろした瓶が風を切る音も、頭にぶつかり全身に返ってきた衝撃も、手を虫が這うようにして血かワインか分からない生暖かさが流れ伝う恐怖も……この身の全てが覚えているのだ。
「殺したはずなのに生きている、なんとも不思議な記事。そしてわたくしに送られた自分は殺されるであろうからそれを阻止して欲しいと書かれた公からの手紙。自分を殺したと訴えている夫人がまた訪れることが怖くなったのか……いいえ、でしたら最初から招待をしなければ良いだけのこと。釈然としない気持ちを抱えてこの城に来たときにわたくしは漸くその答えを見付ました。広間に飾ってある肖像画。あの肖像画には公と違いがあることにお気づきでしたか?」
アチェットが君主となってから何十年と玄関の間に飾られているあの肖像画。
訪れる者達に威厳と威圧感を与えるあの肖像画。
二十年前から毎年訪れるルドルにもヘレナにも、城で働く使用人達でさえ違いがあることなど気付かなかった。
そんな皆の訝しんだ視線を受け、クリスティアは人差し指で自身の顎を撫でるように首元へと降ろしていく。
「顎の下の首元にホクロがあるのです」
皆が一斉にアチェットの方向へと視線を向ける。
その首へと注がれる視線、たがその首には今、アチェットの震える右手が押さえ付けられ隠されている。
「た、ただの汚れか作者のミスでしょう」
「いいえストロング公。レストランにあるあなたの肖像画にはないのです。レストランの肖像画と玄関の間の肖像画の作者は同じ、写実においての第一人者であり完璧なるエイミー・レイルです。ミスはあり得ないのです。あなたの始まりはきっと四十年前、公がお生まれになられたときに始まったのでしょう……どうぞその手をお離しください」
優しいが有無を言わさぬ笑みを浮かべて請うクリスティアに震えるその右手をゆっくりと離すアチェット。
現れたその首元に……ホクロはない。
「このディオスクーロイ公国では生け贄の風習があったと聞いております。そして公、あなたは双子でお生まれになったおしゃっておりました。生まれたときに片割れは亡くなったのだと……ですが生きておられたのですね。でしたらあなたはどちらの子ですか?」
「まさか!」
「そんな!」
驚愕し、ざわめく皆の声を聞きながらアチェットは許しを請う懺悔者のように、震える膝を折り、全てを知るクリスティアを全知全能なる神かのように怯え見上げる。
「……全て間違いだったのです」
漸く終わるのだ。
この長く続いた苦しく寂しい孤独の日々が……。
ずっと腹の内に抱え、吐き出せなかった想いを今、漸く吐き出すことが出来ることにアチェットは茫然とした気持ちで、呟くように語り出す。
「お話ししましょう。私の……このストロング家の過ちを……アーチとエットと名付けられた私達が生まれながらにして背負ってしまった罪を」
全てはそう四十年前。
ストロング家に男児の双子が生まれたことがデイジアの事件へと続く不幸の始まりだった。