夜会での出来事⑦
コンコン。
返事はない。
コンコン。
誰も居ないのかもしくは聞こえなかったのか……。
コンコン。
ハリーと顔を見合わせたユーリは口を開く。
「クリスティア?」
今度は声をかけつつノックをして中へと聞き耳を立てる。
シンっと静まり返った辺りの気配。
中から人の動くような気配もないのでユーリは湧き上がる邸宅の捜索という嫌な予感に再度ノックをしながら声を掛ける。
コンコン。
「クリスティア?」
もしや中でなにかあったのか。
それともやはり中には誰もいないのか。
このまま邸内の大捜索となりそうな予感にユーリは覚悟を決める。
「入るぞクリスティア」
誰もこの部屋の中には居ないかもしれないが一応断りを入れてユーリはドアノブに手を掛ける。
冷静に考えればこれだけ盛大に催された夜会のゲストルームには普通、休憩に来た夫人や令嬢をお世話するメイドやボーイが扉の前で待機しているはずだ。
なのにこのゲストルームの前や廊下には人一人の気配もない。
邸の大きさや主催者によっては使用人の手配が出来ずにいる場合もあるので不思議に思わなかったがここの侯爵は華美な服装や高級な家具などを見るに見栄が相当高い。
現に男性用のゲストルームではボーイが扉の前に待機し、来た客達に恭しく頭を下げて扉を開いて中へと案内しているのをユーリもハリーも見ているので女性用のゲストルームに人が居ないということは考えられない。
開いた扉の先で真っ先に目に入る縁が金細工の豪華に輝くセンスの良くない赤い柄の入ったソファーの背もたれ。
前衛的で今までの家具とは一線を画したそのソファーの前には背を向けたクリスティアが背筋を伸ばし立ち尽くしている。
なんだ居るのではないか。
この邸内の大捜索をする必要がなくなったことに安堵し、やはり声が聞こえていなかっただけなのかとユーリは再度その背中へと声を掛ける。
「クリスティア?何度も声をかけたのだが気が付かなかったのか?」
ユーリの声に漸くピクリと反応したクリスティアが青いドレスを翻しゆっくりと振り返る。
自分で言えば自慢に聞こえるし恥ずかしいので口にしたりはしないがやはりこのドレスはクリスティアに良く似合っている。
隣のハリーもヒューと口笛を吹きクリスティアとドレスの輝く美しさに言葉ではなく態度で感嘆を示してくれているのでユーリは満足する。
「あら殿下。まぁ、ハリーもいらしたのね。丁度良かったですわ、わたくし大変なことになってしまったようなのです」
全く大変そうではない、とても落ち着き払った声でクリスティアが手に持っていたモノを戦利品のように胸の前まで持ち上げる。
それを見た瞬間、満足していたユーリの気分は一転して出そうになる悲鳴をすんでのところで飲み込み、口を阿呆のように開いたまま呆然とする。
その後ろでハリーが慌てたように部屋の鍵を閉める音が聞こえる。
認知し難い状況でもクリスティアが手に持っているそれがなにかの理解は混乱しながらも出来ている。
出来ているけれども信じられなくて冷静にならない頭で視線を下へと向ければ、クリスティアの半身を隠すソファー自体の色は白地でそこには赤い柄などなかったのだということが分かる……ただ前衛的な柄のように赤い線のような色と手形が付いているのだ。
そして入口からソファーまで続く床にはその赤い柄を引きずったような痕がクリスティアの方向へと続いている。
あまりの現実離れした光景から目を逸らせず、その赤い線を視線で追いながらユーリはクリスティアの立つソファーの背もたれへとゆっくり近寄り……その先に隠されていた光景を目の当たりにする。
「うっ!?」
クリスティアの机を挟んだ対面。
机と挟まれるように同じ白のソファーの下で一人の女性が天井に背を向けて床に横たわっている。
カールした赤毛の髪の毛が掛かる顔から覗く見開いて濁った灰色の瞳。
肩の開いたオフショルダーネックにパフスリーブから手袋をしていない素手が覗き、裾の広いドレスのスカート部分は鳥の羽のように床に広がっている。
見える肌はシャンデリアのスポットライトを浴びて殊更青白く輝き、床に付いている腹部は全て赤く染まっている。
その赤がドレスの色でないことは一目瞭然だった。
女性のドレスは背の部分はウェディングドレスのように混じり気のない純白なのだ。
それに蔓草の模様が描かれたカーペットには女性を中心として広がるようにして赤色の染みが広がっている!
その舞台でも見ているかのような現実味のない光景に吐き気を抑えるように口を押さえたユーリも驚愕に瞼を見開いたハリーもただただ愕然としながらクリスティアへと視線を向ける。
「わたくし、人を殺してしまったようですわ」
鍵のかかった扉の先で柱時計が重く不気味な音を響かせている。
呼吸をすることさえ忘れてしまうほどの緊張感に支配され茫然とするユーリとハリーを置き去りにしてそう他人事のように宣言したクリスティアは、黒い手袋に包まれた右手で血に濡れた短剣を持ったままいつもと変わらない優雅さを携えて微笑むのだった。