赤のサロン(現アーデン夫妻の客室)①
重苦しい沈黙の中、辿り着いた赤のサロン。
天井には輝く最新デザインの星型のペンダントライト、床に敷かれた絨毯は織物で有名なリュディア王国産、絵画も彫刻も名のある作家の物ばかり。
そんな高価な調度品の中で、右側の壁際中央に質素な簡易ベッドが置かれている。
「アーデンご夫妻の私物にはお触りになられないよういただけたら幸いでございます」
「えぇ、勿論よ」
そのベッドは本来ここにあるべき家具ではないことは部屋の調度品から酷く浮いている古いデザインなのでよく分かる。
芸術品を鑑賞するように部屋をゆっくりと一周するクリスティアを警戒するように、レータから配慮を望む声が上げられる。
壁に飾られた絵。
サイドボード上の彫刻。
暖炉の上に置かれたどの部屋にもある六時を指した同じアンティーク時計を鑑賞するように一度立ち止まり見て、再び動き出すと今度はその横の壁に備え付けられた花型の明かりの灯っていない突き出し燭台を見上げるようにして立ち止まる。
なにかあるのかしげしげと燭台を見つめていたクリスティアに釣られるようにしてアリアドネとジョーズも近寄り見上げる。
特になんの代わり映えもしない燭台を見上げる三人だったが、見上げるのに飽きたのかクリスティアは二人の邪魔をしないようにその場から離れて今度は場違いなベッドの横にあるサイドテーブルの上に睡眠薬と表記された薬の入った瓶と、飾られた一枚の写真立てを触れずに見つめる。
「レータ。この写真に写る子が先程、夫妻がおっしゃっられていた亡くなられた子かしら?」
「さようでございます。アーデンご夫妻のご長女様でございます」
「名は?」
「……デイジア様でございます」
アーデン家の邸の庭だろうか。
お腹の前で手を組んで慈愛に満ちた笑みを浮かべるドレス姿のヘレナ、その肩を抱き寄せ厳しくだが幸せそうなルドル、そしてその二人の前に二つ結びにした髪をリボンで結んだ幼い子供がこの世の全ての幸せをこの写真の中に写し出し、閉じ込めているかのような笑顔で立っている。
そんな仲睦まじく写る三人の左右には数人の使用人も遠目に写っている。
「どんなお子様でしたの?」
「とてもお優しく純粋なお嬢様でございました。人懐っこく誰とでも仲良くおなりになられて……勉学も良く励んでおられました」
「まぁ、そうなのね失ったときは大変心が痛んだことでしょう」
「皆、自分の身を切り裂かれたような思いでございます」
「……随分と、親しかったんですね」
眉根を寄せて俯いたレータは前で握る両手を強く握る。
突き出し燭台を見上げていたアリアドネはそれをなんとなく聞きながら、まるで自分の子供が居なくなったかのような声音で話すんだなと、今浮かべているレータの表情が気になり後ろを振り返り見る。
そのアリアドネの視線を受け、レータはぎこちない笑みを浮かべている。
「アーデンご夫妻は毎年こちらに来られておりお話をお伺いしておりますので……自分のことのように感じたまででございます」
「そうですわね、ディオスクーロイ公国では有名な事件でしたもの。公国の者は皆、自分の子を失ったかのように悲しんでおられたことでしょう」
「事件?」
悲しげに眉を下げたクリスティアは撫でるように写真の額縁に触れる。
「なに?事件ってどういうこと?」
「アーデンという名を何処かで聞き覚えがあったのですがデイジアという名で思い出しましたわ。デイジア・アーデン、当時三歳だった彼女は神隠しのようにその姿をこのディオスクーロイ城から消した……確か二十年程前に起きた誘拐事件の被害者でしたわね。そうでしょうレータ?」
呼ばれた名にビクリと身を固くしたレータは驚いたように瞼を見開く。
この少女が生まれる何年も前の事件だというのに、何故知っているのかとその表情は物語っている。
「身代金の要求のない大変不可思議な事件でした。まるで神隠しのように消えたと新聞記事で見たことを覚えております。わたくし趣味で未解決の事件を調べておりますの」
「さようでございますか。ご存じだとは思わず驚きました」
「確か遺体は見付からないままでしたわね」
「……はい、警邏隊の見立てでは谷に遺棄されたのではなかとのことでした。デイジア様が履かれておられた靴が近くに落ちていたとのことでしたので……あそこに落ちた遺体は上がらないことで有名でございます」
生け贄の儀式で使われていた深い深い谷の底。
写真に写る幼い子の物が点々と……雪に埋もれるようにして谷へと続く様を想像し、レータは悲しげに俯く。
「なのでアーデンご夫妻はデイジア様が居なくなられた日には必ず城にお泊まりになられております。遺体が見付かってないぶんまだ何処かで生きているのではないかという望みを捨てきれないのだと思います」
娘を偲ぶために来ているのではない、僅かな望みを胸に抱えて幼い娘の姿を探し続けているのだ。
悲しき子を想う親の心をアリアドネもジョーズも沈黙を持って想像し、胸を痛める。
「……ご夫婦にとって花火はレクイエムではないのね。あの美しい緑色の花火は公だけのレクイエムになってしまったのだわ」
「……………」
クリスティアが夜空に舞い散った花火の美しさを思い出し薄く口角を上げる。
その表情は慰めを願っている者ではなく、愚かさを嘲笑しているような笑みだったのでレータは眉を顰める。
だがレータに湧き上がるのは不愉快という感情だけではなかった。
なにか……あの花火の光景を思い出し、疑問が胸にフッと湧き上がったという表情だ。
その表情を見て、クリスティアが満足したように更に笑みを深くすれば暖炉のほうからガタッという大きな音が辺りに響き渡る。