ディオスクーロイ城⑤
「レータ、花火が始まる前に化粧室へと行きたいのだけれど……」
「はい、ご案内いたします」
「あなたはご一緒しなくてよろしくて?」
「う、うん。大丈夫」
レータの勧誘は早々に諦めて、立ち上がったクリスティアは残念そうなそうでないような笑みを浮かべる。
その魅惑的な笑みにアリアドネはドキマギしながら、化粧なんてあまりしてないだろうに行く必要はあるのだろうかと思いなが、その後ろ姿を見送る。
クリスティアの白くきめ細やかな陶器のような肌は毛穴一つ見当たらないし目は睫毛をビューラーで上げなくてもぱっちりと大きく緋色の瞳を美しく際立たせている。
こういう中世物の乙女ゲームの悪役令嬢というのは極端に美人か極端に太っているかのどちらかだとアリアドネは思っている、クリスティアは前者だろう。
アリアドネだってヒロイン補正のおかげで可愛さはあれど貧乏暮らしで肌はよく見るとがっさがさだ。
ヒロインという肩書きがなければクリスティアの美しさにアリアドネが勝てる要素は一つもない。
今の生活に多大なる不満はないけれども、生活水準の高低差の羨ましさは多少なりとも感じているアリアドネは若い頃の不必要な化粧を憂えて溜息を吐く。
実はそれがトイレに行くことの意味であることを知ったのは後のことで……。
どうやってトイレに行くことを切りだせばいいのか、我慢出来ないこともないけどどれくらい我慢しなければならないのか……花火が始まるまでアリアドネは悶々と悩むこととなる。
それからクリスティアの案内を終えたレータが一人戻ってきて入れ替わるようにして若いメイドは頭を垂れて出て行って数分後のこと、トイレのことで気もそぞろだったアリアドネと祭りで人気の屋台をユーリとエルがレータに聞き出そうと競っていたりと、進む時間を気にしていなかったせいで気付いたときには窓の外からドンっという破裂音が響くと共に、緑色の明かりが窓から差し込む。
「あ!始まったみたい!」
その破裂音にトイレに行きたかったこともあっという間に忘れて慌てバルコニーへと走り出ればアリアドネの視界に綺麗な花火が咲き誇る。
「わぁ……綺麗……」
赤や緑、黄色の色とりどりの花火は前世以来の輝く光景。
両親や友人と見ていた懐かしさを誘うその光景に寒さでは無い、逆に暖かくて切ない気持ちが胸に溢れてきて……鼻の奥をツンっと痛ませてアリアドネは泣きそうになる気持ちを唇を噛み締めて堪える。
「美しい光景ですわね」
「……うん」
誰も騒ぐことなくこの美しい光景に見とれていればいつ戻ってきたのか、クリスティアがアリアドネの横へと歩み寄り慰めるように声を掛ける。
クリスティアとアリアドネは今、同じ景色を見ていても違う想いの景色を描いているのだ。
片や幼い頃に家族で行った縁日の思い出、片や邸のベッドの上で懐かしい人達と見た思い出。
きっと共通しているのは前世で見たという事柄だけだとアリアドネは花火の色に彩られるクリスティアの横顔を見つめる。
(クリスティーと話すようになってから前世にもあるものを見ると、余計懐かしんじゃうなぁ)
転生した今までも懐かしまなかったわけではないけれども、輪を掛けてノスタルジックになっている気がする。
クリスティアもそうなのかなっと珍しく少しだけ息を弾ませている彼女は花火見たさに急いで化粧室から戻って来たのかもしれないと、同じように郷愁に誘われているのかもしれないその横顔をアリアドネは不躾に見つめることを止める。
山々に反響した花火の音は公国へと響き渡り花火の合間合間には街から響く歓声も小さく聞こえている。
体を揺らすこの音に負けないくらいの大声でたまやーーと思いっきり叫びこの胸につかえる懐かしさを吐き出したいとアリアドネが無意識に息を吸ったところで、右手側の横に立つユーリとエルの精悍な横顔を不意に見てしまい……吸った息が吐き出される。
(この景色、最高のスチル!)
輝く花火よりもキラキラと輝く攻略対象者達の横顔を見てしまえばセンチメンタルだった気持ちが一気に霧散し、アリアドネは人知れずニヤニヤと俗物的な笑みを溢す。
感傷的な気持ちのときに見るイケメンは最大の癒やし。
ゲーム内での長期の休みといえばアリアドネが平民ということもあり攻略対象者達と王都で過ごすだけのお出掛けスチルが多かったので、このディオスクーロイ公国で見る攻略対象達の姿は全てアリアドネだけが見れる特別な光景だ。
ゲームのファンには垂涎ものの景色にだらしのない笑みを浮かべていたアリアドネはこんな顔を見られたらどん引きされるとヒロインにあるまじき緩む頬を撫でるように揉んで引き締めるとまた花火に視線を戻そうと顔を真っ直ぐ向け……る前に視界の先の先のバルコニーに人が居ることに気づく。
(誰だろう?)
遠目からなのであまりよく見えないが白い毛皮のコートから覗く紫色のドレスの裾、凜と立つ年配の女性。
花火に照らされた横顔は物悲しく、手に持っていた赤い紐のような物をバルコニーの手すりに結びつけると祈るように両手を握り瞼を閉じている。
時間にして10分程の花火だっただろう。
パラパラパラと残響のように響いていた音が止み一時の静寂が訪れ……そして祭りの始まりを祝う喧騒が一際大きく街から響き渡る。
「祭りの始まりの合図だというのに……終わってしまうと寂しくなりますわね」
「あぁ、そうだな」
耳に残る残響の名残惜しさにその場から数分、動けずにいた一同だったが吐き出す息の白さに気付き身を震わせると誰とも言わずに中へと戻っていった。