ディオスクーロイ城③
「あぁ、アーデン卿。どうなさったのですか?」
「声がして気になったもので……新たなご友人をお連れになったのですか?」
左肩に金のエポレットと飾緒のある黒いマジョレットに似たジャケット、盾を打ち破る剣の家紋が入った留め具で留めた腰までの短いマントを肩に流し黒のズボン姿の白銀の短髪にそれが常なのだろう、眉に皺を寄せた険しい表情の男性と、その隣に寄り添う女性は儚げな容姿とは似つかわしくなく真っ赤なシースラインのドレスに首や耳には見事な宝石をちりばめている。
左に流した薄黄色の髪を揺らし真っ赤な色に染まった唇を薄く上げたその女性は虚ろな茶色の瞳で一同を見下ろす。
「ご紹介いたします、二日前から我が城にご滞在なされているルドル・アーデン卿とヘレナ・アーデン夫人です。アーデン卿は我が公国随一の騎士でナイトの称号をお持ちです。祭りの時期はいつもこの城にお泊まりで警備の担当もしてもらっています。こちらはラビュリントス王国の王太子殿下で……」
「あぁ、私から。ユーリ・クインです。どうぞよろしく。公の隣に居るのが私の婚約者であるクリスティア・ランポール、後ろに居るのが彼女の義弟であるエル・ランポール、そしてその隣に居るのが友人のアリアドネ・フォレストです」
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
ユーリの紹介に切れ長の橙色の瞳を鋭く細めたルドルは頭を軽く下げる。
その挨拶に追随するようにクリスティア、エル、アリアドネも頭を下げれば夫人も軽く会釈をし、小首を傾げる。
「なにかパーティーをなさるというお話はお聞きしておりませんけれど……秘密の舞踏会でも開かれるのかしら?」
「ふふっ、いいえ夫人。わたくし達は本日、公にお誘いいたきまして花火を観覧しに参っただけですわ」
仲間はずれなんて狡いといわんばかりのヘレナの拗ねたような態度に笑みを溢したクリスティアが弁明する。
「あぁ、確かに……この城は城下がよく見えるからな。では花火を見られたらすぐ祭りへ?」
「えぇ、そのつもりですアーデン卿」
長居をするつもりはないとユーリが告げればルドルはほっとしたような安堵した表情を一瞬浮かべる。
その反応に彼らが祭りへと行くつもりがないことが窺い知れる。
もしかすると祭りの喧騒が嫌で、少しばかりは静かなのであろうこの高台の城へと避難しているのかもしれない。
寒く痩せた公国の土地は人が住む場所は限られているので貴族や平民の住む地区がそれぞれで分かれていたりということはないので祭りの間は街のどこもかしこも騒がしいだろう。
折角逃げてきた喧騒が、よそ者の若者達によって騒がしくなることはルドルにとってあまり好ましいことではないはずだ。
「あなた、花火の時間までお引き留めになるつもりなの?若い人達のお邪魔をしてしまってわ、悪いわ」
「あぁ、そうだな。では私達はこれで失礼しよう。祭りを楽しんで」
「えぇ、ありがとうございますアーデン卿」
絡めた腕を気怠げに引くヘレナにルドルが気付き軽く頭を下げて皆の隣を通る。
スターマンの横を二人が通るとき彼も彼らも軽く会釈をする。
そして二階の左側へと進み赤の客間と呼ばれる扉をスターマンが開き、中へとアチェットの案内のもとクリスティア達は入る。
廊下は少しばかり寒かったが部屋の中は暖炉の火が灯りすっかり暖まっている。
氷晶の城と呼ばれる洗練された白亜の外観とは打って変わって、壁は木目で家具や調度品は気位の高そうな物が数々飾られている。
「スターマン。すまないが、レータを呼んできてくれるかな」
「畏まりました」
開いた扉の前に立っていた執事はアチェットの命に一礼すると静がに部屋を辞する。
その後ろ姿を見送りアチェットは視線を部屋の先、大きなバルコニーへと続く窓へと向ける。
「どうぞ皆様、まずバルコニーに出てみて下さい。この美しいディオスクーロイ公国を是非ご覧下さい」
アチェットのまるで舞台に立つ俳優のような台詞に促されてバルコニーへと出れば、部屋との寒暖差で吐き出す息が白く染まりほんのわずかばかり視界が遮られる。
しかしその白い煙が風に乗って去った瞬間、目の前には青空と夕日との間で暗く染まりゆくディオスクーロイ公国の街並みが虹のように光り輝いている。
「素晴らしい景色ですね」
「わぁ……綺麗……!」
眼前に広がる童話のような世界に感嘆の声を上げたユーリの横からバルコニーの端へと駆け寄ったアリアドネがはしゃぐ。
アリアドネは……いや文代は子供の頃、虹の端にはユニコーンや妖精の住むファンタジーな異世界があると信じて疑わなかった。
その夢は早い段階で兄に壊されたけれども少しの間だけ想像し、追いかけて辿り着こうとした虹の端にあるかのようなこの公国の夢のような景色は凍てつく空気を忘れさせるほどアリアドネの胸をドキドキと高鳴らせる。
「時間によって変わるのでしょうこの景色はずっと見ていたくなりますね」
「えぇ、自慢の景色です」
普段、クリスティアに関わる事柄以外では感情の起伏が薄いと言われるエルでさえこの幻想的な景色を見れば自然と感動的な気持ちになる。
皆の胸に忘れ得ぬ情景としてこの景色が刻まれたのならば満足だとアチェットも笑みを深くする。
「ねぇ!綺麗だねクリスティー!」
「…………」
ホテルから見る景色も綺麗だったけれどもその景色は段違いだと手すりに身を預けて振り向いたアリアドネはクリスティアに向かって純粋に満面に微笑む。
アリアドネは気付いていないようだがその姿はきっと彼女のいうアリアドネの糸のヒロイン然とした姿なのだろう。
その証拠にユーリもエルもその少女らしい可憐な笑顔にドキリと心臓を跳ねさせる。
「……えぇ、そうね」
そしてクリスティアは少しだけ自分の胸がざわつく感覚に瞼を薄く見開く。
事件以外で自分の感覚が動くことは滅多とないというのに……魅力的なアリアドネの笑顔は今、瞬間的にクリスティアの心に邪悪な支配欲を燃え立たせたのだ。
誰もが魅了され惹きつけられる特別なその笑顔はクリスティアのこの地位を脅かすかもしれないという本能的な警告。
この感覚は悪役令嬢としての、支配する者としての警戒なのかもしれない。
もしそうならば……シナリオを恐れていたアリアドネの不安も納得できると、この不要な感覚を胸から除くようにクリスティアは凍てついた空気を吸い込むと深くその息を冷たい風に乗せて吐き出す。