ホテルの部屋で②
「さぁさぁ、今度はわたくしの衣装をあなたがお選びになって」
わくわくとアリアドネの横に立ち両腕を広げ楽しそうな様子のクリスティア。
無邪気なこのクリスティア・ランポールはあのアリアドネの糸の最低最悪の悪女ではないのだ。
ならば精一杯、可愛い衣装を選んであげよう。
まんまとクリスティアに絆されかけているアリアドネはワードロープに並んだ衣装を気合を込めて選び始める。
「ねぇ、マーガレットさんがしてくれたあの双子の話って本当なのかな?」
これも可愛いあれも可愛いと、前世ではテレビのアイドルが着ていそうな衣装達をメイドに渡しそれをクリスティアの体に当ててもらう。
流石、お世話されるのが慣れているとだけあって騒いでいたアリアドネと違い代わる代わる当てられる衣装にクリスティアは動じずスムーズに衣装合わせが進む。
どれも似合っているというか似合わない服がない。
どれも良いと悩めば悩むほど一つも選べない状況に陥っていれば青色の衣装を持つメイドと、黒色の衣装を持つメイドが選択を迫るように立っている。
そのメイドが双子だったのでアリアドネはふっとマーガレットの話を思い出す。
悩みすぎて頭を別のことに一端リセットさせたかったのだ。
「始まりが真実であったかどうかは分かりませんが、事実生け贄の儀式はあったのですから似たようなきっかけはあったのでしょう」
「酷い話だよね生け贄だなんて……」
「人は証明できない事柄をまずは超常的な何者かの御業である恐れます。その心に罪悪感があれば尚のこと……自分が奪ってしまった大切なモノと同じモノを代わりに捧げなければその怒りを静めることが出来ないと考えても不思議ではございません」
「…………」
「その犠牲が一度成功してしまえば尚のこと。一人を犠牲にして多くを救うか、多くを犠牲にして一人を救うか……生け贄を捧げなければ大勢が死ぬことになってしまうかもしれないという恐れは儀式が成功しなくても止めることの出来ない呪いになるのです。どうしようもなく切羽詰まった状況の中では人の倫理観など無くなるものです、そこに善悪はございませんわ」
一殺多生。
一人を犠牲にしても多くを救うことはやむを得ないことなのだと心に言い聞かせて生け贄を差し出す。
アリアドネは無知ということがどれほど恐ろしいことなのか今日ほど考えたことはないだろう。
ラビュリントス王国で気象学が発達し全ての自然の現象には風や温度という複合的な要因によって引き起こされるものなのだと突き止めていた頃、ディオスクーロイ公国ではその自然の現象をカストールの呪いだと信じて疑わずに生け贄を差し出し続けていたのだ。
公国が閉鎖的だったのは生け贄の儀式を行う後ろめたさがあったからなのかもしれない。
もし王国との交流が深まらなければ、今も儀式は続き深い谷には溢れんばかりの人が投げ落とされ犠牲となっていたかもしれないと考えるとアリアドネはやりきれない虚しい気持ちになる。
「クリスティーなら、どうする?生け贄の儀式をする?」
王国の貴族として、国を背負っていくユーリの側にいる者として……クリスティアは一体どういう選択をするのだろうか。
一人を犠牲にするか大勢を犠牲にするか。
アリアドネならば例に漏れず一人を犠牲にしてしまうだろう。
それ以外の方法が分からないから。
「わたくしですか?わたくしでしたらそうですわね、まずそのような妄言を吐く噂の出所を探りますわ。きっとそのような噂を広める者は我が国を手中へと収めようとする他国のスパイとではないかと考えますので。その者を捕まえて何故そのような噂を広めたのか追求し、その理由に正当性がないのならば適切な処罰をいたします。そして無用な犠牲を望むと噂をされてしまってはその谷がお可哀想ですので更地にして庭園か、商業施設を建て観光名所にいたしましょう。そうすればきっと風向きも変わり不幸が起きることはないでしょう」
「あははっ!なにそれ!最高だねクリスティー!」
クリスティアならばやりかねないとアリアドネは大いに笑う。
人だろうが神だろが条理にあわないことには従わないのがクリスティア・ランポールなのだろう。
ランポール家の財力を考えれば谷一つ二つ平坦な平地にすることは造作のないことだ。
恵まれている人生を正直羨ましいと思いながら、アリアドネはワードロープの真ん中辺りに掛けられていた薄い緑色のスクマーンのような衣装を選んで渡す。
「うん!これがいいんじゃない!はい着てみて!」
「まぁ、本当にこちらでよろしくって?」
「なによ、気に入らなかったの?」
「いいえ、とても素敵だわ」
お互いの瞳の色を薄くした色を選んでいることをアリアドネは気づいていないのか。
何故かご機嫌なアリアドネの選んだ服をクリスティアは受け取る。
騙し討ちのような契約書で縛ってしまったので警戒心は中々薄れていなかったようだったが……少しはアリアドネに好かれたかしらと慣れた様子でクリスティアは試着室に入りルーシーに着替え手伝ってもらう。
「どうかしら?」
「うん、似合ってる」
なにを着ても衰えることのない貴族のオーラ。
リボンを編み込んだ金の髪を揺らしながらクルリと回って着た衣装を見せるクリスティアに、ルーシーは感情を抑えきれないというような顔で我が主の女神のような美しさに胸を押さえ瞳を潤ませる。
クリスティアも鏡に映るアリアドネが選んでくれた衣装に十分満足したのか、他に何着か気に入った衣装を買い商人達を帰宅させる。
「ホテルに服屋を呼び出すなんて何処のブルジョワよ、前世でだってこんな買い方したことないわ」
「まぁ、そうなのですね。わたくしは前世とそれほど変わりない生活をしておりますから……電話をすれば色々な店が邸に来て下さいましたし。この買い方以外はよく分かりませんの、とはいえ買い物自体あまりしませんでしたけれど」
「……お金持ちだったの?」
「資産があったのかと聞かれましたらあったとお答えいたしますわ。亡くなった両親が遺産を十分に残してくださっておりましたし土地などもあったと聞いております。ベッドの上でわたくしの玄孫が過ごそうとも問題はない資産があるとわたくしの後見人である弁護士先生はおっしゃっておりましたわ」
「へぇーー」
後見人とか……前世ではドラマとか漫画とかでしか見たことない存在を当たり前のように口にするクリスティア。
平々凡々な生活を前世で送ってきたアリアドネはしかしながらその生活が羨ましいかといえば、事故に遭ったことや両親が亡くなっていることを考えるとあまり羨ましいとは思えない。
アリアドネは……いや、小林文代は家族にとても愛されていた。
三十間近で実家暮らしが許されているように、両親の愛情をぬくぬくと享受していたしそれを一人暮らしでもしろと小言を言う兄以外は良しとしていた。
だからこそ父や母、兄を残して死んでしまったことを考えるといつでも憂鬱になってしまう。
(お父さんとお母さん、それにお兄ちゃん……元気かなぁ……)
兄とは喧嘩ばっかりしてたけど兄妹関係の喧嘩なんてじゃれ合いみたいなもの。
アリアドネの糸やその他諸々のイベントで東京遠征したときは兄のマンションをホテル代わりにしていたし、どうしても仕事で行けないイベントにはグッズだけ買いに行ってもらったりもしていた、なんだかんだと小言を言う割りに一番文代を甘やかしていた人物だった。
「あなたと居ると前世のこと思い出して泣いちゃいそう」
「まぁ、ハンカチが必要かしら?」
「いらないわ、ありがとうクリスティー。今世ではド貧乏で色々諦めてたから。旅行凄く楽しいし、素敵なお土産も買ってくれて……大切にする」
今の家族も人が良過ぎるという不満を除けば優しく、アリアドネのことを愛してくれている。
この世界に居る幸せを感じる度に前世の家族に自分は今幸せだと伝えられたらいいのにと思う。
文代の家族を思い出せばいつでも重く伸し掛かる胸の靄を振り払うようにお礼をすればクリスティアはそんなアリアドネの胸の内を察したのか静かに微笑む。
前世の記憶は二人だけの共通の記憶であり、共有出来る思い出でもある。
けれどもっとクリスティアは思う。
(彼女のように過去を想い涙を流すことはないのでしょう)
アリアドネが想うほどクリスティアは前世に対しての未練はない。
ただ一つの気がかりがあるもののそれ以外はクリスティアにとって、愛傘美咲にとって、今の現実のほうがベッドの上で横たわっていた過去よりも十分に価値があるのだ。
「ついでにあの奴隷契約書も破棄してくれたら今以上に友情が育みそうなんだけど?」
「うふふふふっ」
「ちっ!」
貴族らしく手で唇を覆い絶対破棄する気はないと笑顔で答えるクリスティア。
感謝を素直に示したり、前世を思い出したりしたこのしんみりした雰囲気に流されて不当に結ばれた奴隷契約書を破り捨てたりはしないかと期待したのだが……。
外れた期待にアリアドネは思いっきり舌打ちをするのだった。