ホテルの部屋で①
それから一通り街の散策をして夕方まで休もうということになり戻ったホテル。
まさかまさか一国の主に誘われて登城することになるなんて思ってもいなかったので、着ていく服なんて持っていないのだけれどどうしようかとアリアドネが自身の部屋で持ってきていた数少ない服をベッドの上に並べてどれがまともかと悩んでいれば、ノックの音と共にルーシーが入ってきてクリスティアが呼んでいるとのことなので隣の部屋、霧氷の間へとアリアドネは訪れる。
「クリスティー、私だけど」
「どうぞ、お入りになって。マーガレット、ありがとう」
「いいえ、またご入用の際はお呼び下さい」
部屋の外から声を掛ければクリスティアが中へ入るように促すと同時にマーガレットが扉を開き出てくる。
そのまま入れ違いにおずおずと中へと入ればアリアドネと同じ部屋の間取りの中、中央のソファーへと座るクリスティアとその後ろで数人の使用人がワードロープに衣装を飾っている。
どれがまともか悩んでいるアリアドネと違い数が多くて悩む量だ。
「なにか用?」
「えぇ、お部屋はどうです?不便なく使えていて?」
「不便なんて全くないわよ!部屋の広さが私の家くらいあって……何処に居ればいいのか分かんないくらいだから落ち着かなくて、ずっとベッドの上で縮こまってる!」
「まぁまぁ」
部屋の広さを両手を広げて示し興奮するアリアドネが、所在なげにベッドの上で両膝を抱えてじっとしている姿を想像して、その可愛らしさにクリスティアは笑みながら立ち上がる。
「気に入ってくださったのなら良かったですわ。さぁ、こちらにいらして」
「えっ!?ちょっと!」
近寄ってきたクリスティアに腕を引かれてワードロープ横に設置された姿見の前に立たされたと思ったら、そこに掛けられている服を一着取ったメイド……ではない女性によって体に当てられる。
「これなどいかがでしょう?お嬢様の緑の瞳によく映えると思うのですが」
「そうね、でも城から戻ればすぐにお祭りに行くでしょう?夜会に出るようなドレスではなくもっと動きやすい軽装のほうが良いと思うの」
「確かに、ではドレスは省きましょう。皆、お願い」
「「はい」」
「なになになに!?」
女性の号令でメイドがわらわらと寄ってきたかと思えば、着せ替え人形のようにアリアドネの体に次々と服を当てる。
とても細くていらっしゃるからコルセットは必要ないだとか、綺麗なエメラルドの瞳に宝石が霞んでしまうわだとかはしゃぎながらお世辞を述べるメイド達のキャピキャピした声を耳にいれながら、クリスティアが鏡越しにそれは違う、それは良いと服を選んでいく。
突然のことにどうすれば良いか分からず、鏡の前で固まったまま動けないアリアドネ。
入れ替わり立ち替わり服と共に変わるメイド達に目が回りそうになる。
「なんなのクリスティー!」
「折角お城に行くのですからおしゃれをしないといけないでしょう?マーガレットに頼んで公国一の洋服屋を呼んでいただきましたの。あぁ、その淡い色の服を着せて見せてくださるマダム・プティ?」
「畏まりましたクリスティー様。さぁ、お嬢様!試着室の中に入ってください!」
「ちょ、押さないで!いや!何処触って!?待って!着れる!自分で着れるから!いやぁぁぁぁぁ!」
茶色のショートボブでファーの付いた紫の膝丈のコートを着たマダム・プティと呼ばれた女性はクリスティアのお眼鏡に叶った現在アリアドネの体に当てられている薄桃色のブーナットのような衣装をメイドへと渡すと、鏡の隣に簡易に設置した円形の試着室へとアリアドネを押し込む。
押し込まれたアリアドネは逃げられないようにメイド達に囲まれて、大丈夫ですよーー怖くないですよーーっと詰め寄られる。
怖くないことはない、迫り来る笑顔達にむしろ恐怖しか感じない状況に悲鳴を上げながら、抵抗虚しく着ている服を剥かれたアリアドネは新しい服へとメイド達によって着替えさせられる。
「ほら可愛らしいわ、お城へ着て行く服はこちらにいたしましょう。あとそちらとそちらの服もお似合いでしたので包んでくださるかしら。アリアドネさん、あなたは気に入った服はございませんでした?ドレスも可愛らしい物もありますから気に入った物があればご遠慮なさらないでおっしゃって」
「な、ないってか……そんな見てる余裕ないし……なんなのよ……」
前世及び現世で生粋の平民人生をアリアドネは歩んできたので人に着替えさせて貰うなんて経験は幼い子供の頃しかない。
服を脱がされたり着替えさせられたり……試着室から出されてクルクルと回され全身をクリスティアに披露させられたりしたせいでアリアドネはげっそりと羞恥心から疲れ果てる。
確かに着ていく服は無かったので服を用立ててくれるのは助かったけれども、人形も買って貰ったしなにからなにまで面倒を見て貰うのは流石に申し分けなさすぎる。
一緒に旅行に来ているからという理由だけで公爵令嬢が行使できる権利をアリアドネが同じように享受できると思うほど図太い神経は持ち合わせていない。
それにヒロインという立場上、悪役令嬢に何かを買い与えて貰うことに危機感を感じるというか……。
なにか恐ろしい対価が待っているのではないかと理不尽な契約書を結ばれたこともあって変に勘ぐってしまう。
(あぁもう!旅行にも連れてきて貰ったっていうのに!クリスティーの好意を疑うなんてサイテーよ私!)
前世の知識なんてクリスティア同様になければ純粋に好意として受け取れたというのに……自分の疑心暗鬼が嫌になる。
いや、しかしながら前世の記憶がなければクリスティアと関わり合うこともなかっただろう。
この好意をどう返せばいいのか分からないと戸惑うアリアドネの様子を察したのか、横に立ったクリスティアがその肩へと触れる。
「わたくし、友人とこうしてお買い物をしたこと前世ではございませんでしたので憧れておりましたの。わたくしの我が儘に付き合ってくださって嬉しいわ」
「うっ!」
気せずに享受してくれというように鏡越しに穏やかな笑みをクリスティアに向けられて、アリアドネの胸に疑っていたことによる罪悪感という槍が突き刺さる。
好意というものがこんなに痛みの伴うものだったなんて。
そういえば前世は思うように体が動かない生活をしていたとか言っていたので、自由に買い物も出来なかったのかもしれない。