夜会での出来事③
「ご歓談のところ失礼いたします、私の婚約者は何処へ行きましたでしょうか?ご存じの方はいらっしゃいますか?」
姦しい婦人達の会話に入るのはユーリは大いに気に食わないのだがそうは言っていられない。
クリスティアが再びなにか事件を起こす前に探し出さなければならないのだから。
「あら王太子殿下、クリスティー様なら少し疲れたとおっしゃっておりましたので二階の奥にあるゲストルームにご案内いたしましたわ」
「あのようなことがあったのですから無理もございません……先程もお話を伺っておりましたけれども殺人鬼と同じ馬車に乗っていたなんて、恐ろしいですわ。お疲れになるのは当然ですわね」
侯爵夫人を筆頭に歓談していたマダムやレディ達はユーリの登場に色めき立つ。
お可哀想にと嘲りを含んだ笑みを扇子で隠しているのは侯爵夫人の娘だろう。
吊り上がった目尻が良く似ているのでユーリは一瞬、眉を顰めるがすぐに柔和な笑みを浮かべる。
(この娘に人を見る目はないな)
残念なことだ、クリスティアのことを可哀想だと思うとは。
本人が望んで殺人犯人を馬車へと連れ込んだのだからそこに可哀想だという感情を当て嵌めるべきではなく、血塗れの男と二人っきりの状況を彼女は紛れもなく楽しんでいたのだ。
主催者宅で主催者の娘である自分に向けられるべきである注目を奪われたことに対する細やかな意趣返しなのかもしれないが、その可哀想だという嘲りをユーリは心の中で娘に返す。
「そうですか、体調を崩しているのかもしれませんから見に行ってみましょう。クリスティアの様子が悪いようでしたらお招きに与りましたのに誠に申し訳ありませんがそのまま失礼をさせていただきます」
「えっ!?」
「まぁ、そんな!殿下と踊ることを娘は大変楽しみにしておりましたのに……挨拶が終わるのを今か今かとお待ちしておりましたのよ、一曲でも無理ですの?」
「あぁ見えて私の婚約者は気弱なのです。レディも疲れたように見えていたとおっしゃっておりましたので私が心配なのです。申し訳ありませんがまたいずれ機会があるときにお相手をお願いいたします」
引き留めようとする侯爵夫人に、さもクリスティアが心配だとユーリは眉と頭を下げて詫びる。
クリスティアへの嘲りがこんな形になって自分に返ってくるとは思ってなかったのだろう。
何も言えず悔しそうに唇を噛む娘の表情をユーリは見下ろす。
あまり良い噂を聞かないこの侯爵家は悪い意味でクリスティアから目を付けられたのだろう、ならばこれからは落ちていくだけだ。
交流を深めるつもりなど微塵もないので長居は無用だと恭しく頭を下げてさっさとその場から離れる。
とにもかくにもクリスティアがあら探しを終わらせる前に帰ろう。
無遠慮に密事を暴こうとしているであろう当の本人を探しに、ホールを出たユーリはまずは侯爵夫人がクリスティアが行くと言っていた二階奥のゲストルームに向かうため中央階段を上がり左手へと続く赤いカーペットの敷かれた長い廊下を歩き出せば……丁度最初の曲がり角で誰かにぶつかりそうになる。
「すまない」
「いえ……」
俯き加減の低い声の男は何処かの令息だろう。
目深に被った質の良いシルクハット。
凍えそうだといわんばかりに身に纏わせた茶色のコートを前でしっかりと握りしめている。
煩わしいこの夜会から帰れるのかと羨ましげにその格好を見たユーリはその前に握られた手を見て一瞬ギョッとする。
手が膜で覆われているかのように赤く染まっているのだ。
怪我でもしているのかと驚き声をかけようとしたユーリだったが、相手はそれに気付いた様子もなく急ぎ足で去って行き……そのまま角を曲がり姿が見えなくなる。
「なんだあれは……」
赤い薄手の手袋と素肌を見間違えたのかもしれない……ロレンス卿の血塗れの姿が目に焼き付いているせいだと頭を振ったユーリは背後から忍び寄るような、なにか不安を煽るようや嫌な気配を感じて振り返る。
だがその廊下の先にあるのは豪奢な金の柱時計だけで……ただ静かに20時50分を指しているだけの針をユーリは見つめていた。