レストラン「白鳥の卵」①
「美味しかったねクリスティー」
「えぇ、素晴らしい料理でしたわ」
メアリー・アームの雑貨店から徒歩五分とかからない場所にあるレストラン『白鳥の卵』。
ナイフとフォークの描かれた看板が掲げられた大通り沿いのこのレストランはディオスクーロイ公国の家庭料理などを提供する店で観光客には大変人気のある店だ。
その二階、薄いサテンの白い天幕カーテンで覆われた半個室のような席はテラス席へと出られる大きな窓から差し込む陽の光によって雪のようにキラキラと辺りを輝かせて幻想的な雰囲気を彩り、中の円形のテーブルを囲んでいたクリスティア達は目も舌もすっかり満たされたことに満足の表情を浮かべている。
この素晴らしい場所を選んだ感謝をマーガレットに伝えたいのだが、共に食事をしようと誘えばアメットと昼食を共にする約束をしているとのことなので無理に引き留めることはせず。
使用人や護衛達にも自由時間を与えて食後の和やかな会話と休息の時間を楽しんでいれば……今まで何処に居たのかルーシーが頭を垂れて中へと入ってくる。
「失礼いたしますクリスティー様。アチェット・ストロング大公がお見えです。王太子殿下にご挨拶をということなのですがお通しいたしますか?」
それは突然の訪問だった。
このディオスクーロイ公国の君主であるアチェット・ストロング大公。
ラビュリントス王国とは深く交流はあるものの、国家間のやり取りが主で、挨拶をと言われても個人的にユーリと仲が良いというわけではないのだが……。
(この公国の自治を認めている王国の王太子が来たと知って挨拶をしなければと気を遣ったのか?)
公国は先の戦争で戦火を免れた国ではあるもののそれはあくまでも何処の国もこの国を手中に収める必要があると思わせる位置になかったというだけのこと。
隣国との境には高く聳える山があり難攻不落、今は陸路が整備されているものの戦争の折りには深い雪が砦となって自然の要塞となり、武器や食料の補給地になるほどの豊かさもなく、どの国の戦争にも介入出来るほどの戦力がなかったこともあり、侵略や報復の憂き目にあうことはなかった。
戦争が終わり、多国間は休戦協定を結び幾つもの弱く小さな国は近くにある大国の属国になっていたのだが、どの国にとっても必要のない公国は何処かの属国になることを望めなかった。
衰退していくばかりだった国を憂えた先の大公が戦勝国であるラビュリントス王国へ国としての自治を認めることと支援を願い出たことによって今のように豊かとなり公国としての地位を確立したのだ。
勿論支援には対価があり、戦争時には見付かることのなかった魔法鉱石の鉱山が見付かったことが公国にとってはなによりの幸運だったのだろう。
普通、魔法鉱石が自身の領土で見付かれば自身の国で加工し使用するので他国へ売るなんてことはしないのだが、公国には鉱石を加工出来る魔具師がおらずそれを持ち続ける意味がなく……王国で独占的な販売を許可することで支援の対価を得たのである。
公国にとって更に幸運だったのはラビュリントス王国の前国王陛下が王太子時代に先の戦争で公国の人間に命を救われたことがあったことだろう。
その話を幼い頃から聞いていた現国王陛下は感謝を込めて公国への支援を惜しみなく行い、購入した魔法鉱石はそのまま王国から派遣した魔具師に公国内でのみ加工をさせて王国が支援の対価として買い取る以外は公国内でのみ使用を許可しているという。
勿論その加工の仕方の教育も公国の人間にしており、街の雪を溶かしている火の魔法道具はその新しい魔具師達の賜物である。
いつか王国からの支援が終わり、対等に交流を結べるようになるまでが王国が公国へと果たす義務だと幼い王子を膝に乗せて語っていた祖父である前国王陛下の柔らかい笑みをユーリは思い出す。
「ストロング公が?私が公国に来ることは伝えていなかったはずだが……」
「商談でたまたまこちらに食事に来られていたそうです」
「そうか……すなまいが今は私的な旅行中なので畏まった挨拶は日を改めてこちらから伺うと伝えて……」
「まぁ、殿下。折角ご挨拶にと来られたのですから良いではございませんか。ルーシー、ご案内してさしあげて」
「畏まりました」
ユーリの言葉よりクリスティアの言葉のほうがルーシーにとって重要なので王太子殿下の意向などは完全なる無視をして引き返す。
自分に挨拶をという話ではなかったのかとユーリが少しばかりふて腐れた気持ちになりながら待っていればすぐにカツ、カツ、カツ、と地面を叩く音が響き天幕の中へと五、六十代に見える杖をついた一人の男性がルーシーに伴われて入ってくる。
四十三歳のアチェット・ストロングが実際の年齢より年老いて見えるのはきっとレストランの入り口に若々しい頃のアチェットの肖像画が飾ってあったからだろう。
ディオスクーロイ公国の山々を背景に赤茶色の髪を風に靡かせて、優しげだが力強い橙色の瞳を携えたその凜々しい肖像画からは覇気と若々しさを存分に感じたのだが……。
今は白髪の交じった赤茶色の髪、橙色の瞳を疲れたように窪ませてやつれている様子のアチェットの姿は肖像画に魂を抜かれたと言われても仕方がないほどの変わりようで、アリアドネは心の中で君主という楽ではない立場と時間の経過の残酷さを思う。