ディオスクーロイ公国①
「それで?前日に旅行に誘うなんて一体どういう了見なのよ。しかも冬の休みだっていうのにこんな冬の土地に連れてくるなんて!」
王都から寝台列車に乗って丸一日半。
そこから一旦ホテルに宿泊し更に馬車に乗って半日。
行き先も教えられずクリスティアによってこの地へと連れて来られたアリアドネは歯をガチガチと噛み合わせながらジャンパースカートから伸びる足を内股に、頭から被るストールを纏うその身を己で抱き締め震えながら恨み言を叫ぶ。
この地に足を踏み入れるまでは至極楽しい旅行だった。
前世今世併せて寝台列車に乗るのは初めてだったし、しかもそれが一等車という個室。
前世でも乗ったことの無い豪華な動く客室に興奮しっぱなしのアリアドネはそれがこの旅行で最大であり最高の瞬間だとは知らずにはしゃぎまくっていた。
(南の島でバカンスだと思ってたのに!)
平民の、特にフォレスト家の普段着のなさを舐めないで頂きたい。
こっちは南の島に行くことに賭けていたので厚着なんてさらさら持ってきていない、というかそもそも厚着という物がフォレスト家には存在しない。
身一つで来ればいいとクリスティアには言われたもののそういうわけにもいかず、小さい旅行鞄に詰めるだけ服を詰めてきたアリアドネだったがこの寒さでは意味はないだろう。
列車を降りたときに少しばかりおかしさは感じていた。
てっきり常夏とは言わないまでも暖かい気候の避寒地にでも行くものだと思っていたアリアドネはホームで待つ人々の雪だるまのような厚着に今から皆寒い地方にでも行くのかな?とまさかそれがその寒い地方から訪れた人々だとは思いもせず物珍しく思っていた。
しかも到着した駅はそこまで寒くなかったのだ。
これから先は急に暖かくなるのだろうと暢気に構えて馬車に乗ってからは寝台列車や屋根のあるホテルの豪華な部屋に興奮してほとんど眠っていなかったせいか目的地まで爆睡。
そして体を揺すられて到着を知らされたアリアドネが欠伸をしながら馬車から降りれば辺り一面、白、白、白。
眼を擦ってみても広がる白色と寒さに一気に目も覚めた。
夕暮れ迫る晴れ間が覗く曇り空の中には常夏の眩しい太陽は輝いてはおらず雪が降りそそいでいるのだ。
「さむいぃぃぃぃ!」
初めての旅行に浮かれていなかったわけではない。
もしかして常夏でユーリの水着イベントとか起こるのではないかとワクワクとした夢を見ていたというのに……。
一枚の服も脱ぐ気配の感じられない気候。
ラビュリントス王国より寒い場所に連れて来られるなんて思いもしなかったと氷の神殿のようなホテルの入り口に立ちながら今にも凍えそうなアリアドネの恨み言を憐れに思ったのか、レース生地のスタンドカラーの白いシャツを首から覗かせた橙色のボレロと細身のフレアスカート姿のクリスティアは寒さを防ぐために肩に掛けていた緋色のブランケットをアリアドネへの肩へと掛けてあげる。
「寒い時期に寒い場所へと行くのもまた風情がございますでしょう?それにこのディオスクーロイ公国は夏は大変人気のある観光地ですのよ」
ラビュリントス王国の北部と隣国との境にあり、一年中深い雪に覆われているディオスクーロイ公国。
切り立った山々に囲まれたこの国は先の戦争で唯一戦火を免れた国でもある。
今は友好条約によってラビュリントス王国がその自治を認めているものの先の戦争時ではまだ国とは認められておらず、閉鎖的な風土から滅多に観光客もなかった。
だが今は街の中心部に大きなホテルも建ち、夏は予約が取れないほど賑やかな観光大国になっている。
「そりゃ夏はいいでしょうよ!夏だったらね!立派な避暑地だもん!でも!今は!冬!家より寒い場所に来るなんて!寒さには寒さで対抗は出来ないんだからね!寒さで情緒も凍り付くわ!」
やっぱり付いて来るんじゃなかったと譲ってもらったブランケットを赤頭巾のようにグルグルに巻いたアリアドネは呪詛のように寒い寒い寒い寒いと歯をカチカチ合わせて呟く。
寒いのは隙間風吹きすさぶ我が家で慣れているかと思っていたのだが……どうやら家の寒さなど序の口だったようだ。
ユーリやエルも同じように寒いのだろう。
共に来た使用人達や騎士達に指示を出しながら自身のアルスターコートに身を沈めるようにして肩を竦ませている。
「あなたが凍えてしまいそうだわ。早く中へ入りましょう」
「……うん」
クリスティアに促されて凍りそうな足を引き摺りアリアドネは渋々ホテルの中へと入る。
ここまで来て帰るわけにはいかない。
というか帰るお金がない。
一歩ホテルの中へと入れば外の寒さなど感じさせない暖かさなのがせめてもの救いだ。
ロビーの大理石は天井のシャンデリアの光りを浴びて煌びやかに輝き、エントランスからフロントまで劇場のように赤い絨毯が敷かれている。
閑散としているのかと思っていたのだが観光地とだけあってか冬の季節でも人は多く。
その中にはラビュリントス王国の貴族もちらほらとおり、王太子殿下であるユーリの登場に俄にざわめきだす。