恋人達のポタージュ①
街灯がぽつりぽつりと灯り始めたラビュリントス王国の東通り。
とあるレストランの前でカジュアルな装いだがラフさはなく、知る人が見れば有名なテーラーで仕立てられた服装であると分かるコートと光沢のあるグレーのスーツで髭を剃ってバッチリと決めたヘイリー・バントリが腕の時計を今か今かとソワソワと何度も見ては顔を上げ見ては顔を上げを繰り返している。
道行く人々がそんな彼の姿に興味深げに視線をチラチラと向けている。
ヘイリーの強面な顔を見て怯えているのではない。
初デートの少年が恋人を待っているかのような初々しさと緊張感を表情に表しているヘイリーに微笑ましげな気持ちを持って早く相手が来ることを祈っているのだ。
そんな通り過ぎていく人々の願いが届いたのか、華美さはないものの誰もが知る家門の入った一台の馬車が彼の目の前に止まる。
「お待たせいたしました、ヘイリーお兄様」
「ドリー!愛しの妹よ!」
誰が見ても分かるほどに嬉々とした様子で御者が扉を開けるより早く駆け寄り馬車の扉を開いたヘイリーが今にもその中へと入ってきそうになるで、中に居た待ち人であるドリー・ランポールがそれを手で制する。
狭い馬車にその体躯の良い体を入れられては狭くて息苦しい、代わりにと自分が外へと出るために手を差し出せば姿勢を正した紳士然とした態度でその手を取ったヘイリーはゆっくりと箱を開いて宝物を見せるかのようにドリーをその馬車から降ろす。
観客達はヘイリーの待ち人が妹だったことに多少落胆を感じていたものの馬車から降りてきたその姿を見れば、なるほどあの心持ちも納得だと耽美する。
まるでその馬車は夜空を連れてきたようだった。
ヘイリーに手を取られて馬車のタラップを降りてきたのは藍色から黒へとグラデーションのかかったマーメードラインの刺繍ドレス、肩に羽織るボレロに後ろはアップにされているものの頬に少しばかり流しているその金の髪の毛は頬を撫で夜空を彩る星のように輝いている。
女神のよう降臨したその姿に老若男女問わず誰もが見惚れ感嘆の吐息を漏らす。
「最近お忙しいとクリスティーからお話をお聞きしておりましたがお元気でしたか?」
「ドリーの顔を見れば元気でなくてもすぐに元気になるさ!」
「まぁ、お兄様ったら」
この人通りの少なくはない東通りでドリーが現れた一瞬は道行く人々の全てが沈黙を持って出迎えていた。
そして真っ先にドリーを抱き締めたヘイリーの雄々しき声に我に返った通行人達は止まっていた足取りを再会させて家路へと向かい始める。
きっと今日の夜はヘイリーとドリーの遺伝子の不思議を家族もしくは友人達と語り合うことになるだろう。
「さぁ、クリスティーお前にもハグをさせておくれ!」
「まぁ、伯父様。人前で恥ずかしいですわ。わたくしもお母様と同じように素敵なエスコートをしてくださいませ」
「あいた」
次いで降りて来ようとするクリスティアを抱き上げようとするが小さな子供ではないのだからと伸ばされた手を叩かれて遠慮されてしまう。
エンパイヤラインの紫色のドレスにストールを羽織り、シルクのような金の髪を上げた腕に滑るように撫でさせてクリスティアはその手をヘイリーへと差し出す。
「警察署では抱きついてきてくれたというのに……」
「それはそれこれはこれですわ」
「ちぇっ、畏まりましたお姫様。お手をどうぞ」
「ありがとうございます伯父様。わたくしが知る中で一番の王子様ですわ」
「王子様か!そりゃいい!」
人前であればあるだけこんなに可愛い姪っ子が自分には居るのだと自慢できるというのに……お年頃は難しいと残念に思いながらもヘイリーは差し出されていたその手を握る。
王子様と呼ばれることを毛嫌いしている実際の王子様なんかより家族を幸せに出来る自信がヘイリーにはあるのでそう呼ばれて満更でもない様子、とはいえ端からみれば王子様という敬称が似合う面構えではないのだが。
そしてそんな強面の王子様は最後に馬車の中に残った人物へと今度こそっとその両腕を広げ待つ。
「エル!さぁ、おいで!」
「やめてください伯父さん!僕も子供ではありません!一人で降りられます!」
「皆が大きくなってしまって辛い!」
その広げた両腕の中には入りませんと恥ずかしそうに一人馬車を降りたエルに、もっと甘やかせたいのに!と大人になりつつある子供達にヘイリーは項垂れる。
コートの中にカジュアルな黒のスーツの装いに緋色のループタイはよく似合っている。
ランポール家に来たばかりの頃は頬は痩け唇は割れて肋骨は浮いており、同じ年齢の子供が着られるような服も全てダボダボで着られなかったというのに……。
今は膨らんだ頬に血色の良い唇、栄養も行き届いているのか急激に身長も伸びており年齢に合った服も着れるようになったことにエルがランポール家に来てから月日が経ったのだと感じさせてヘイリーも感慨深くなて……抱き締めたくなるが可愛い甥っ子に嫌われたくないので止めておく。
「それにしてもこうやって家族で食事をするのも久し振りだな!」
ヘイリーがナチュラルにドリーの夫であるアーサーのことを頭数に入れていないのはいつものことだ。
その姿がないからこそニコニコと機嫌の良さそうなヘイリーに困った兄だと肩を上げながらドリーはその逞しい腕へと自分の腕を絡める。
つい最近まで対人警察を賑わせていた脱税事件も落ち着き、かねてよりクリスティアと約束していたこのレストランで三人で夕食をとなったわけであるが、そこには当たり前だがアーサーの姿はない。
ヘイリーとアーサーの仲の悪さ(ヘイリーが一方的に嫌っている)は対人警察の新人達ですら知っている事実だ。
なのでクリスティアがヘイリーとこの夕食共にしようと約束をしたときアーサーには内緒でという話をしていた。
だがさすがに仕事から帰って家族全員誰も邸に居ないというのはアーサーが可哀想なので食事に行くことは伝えている。
ヘイリーはドリーをエルはクリスティアをエスコースしながら店内へと入れば白を基調とした内装は清潔感があり、飾られた花達が愛らしさを演出している。
「いらっしゃいませバントリ様、コートをお預かりさせて頂きます」
「あぁ」
「ご案内をさせていただきます」
恭しく頭を下げたメートルドテルが近くに居たウエイターを呼び皆のコートを預かる。
馬車の家門や予約時間などからヘイリーであることは確認しなくても分かったのだろう。
素晴らしい手腕だと頷きながらコートを預け皆、先を歩くメートルドテルの後に続く。
光り輝くシャンデリアが照らす広い店内では全ての席が埋まり数多くの人々が楽しげに食事と会話をしており、その一つのテーブルには年若いシェフが一人の女性と親しげに話をしている。
そんな姿を横目にヘイリー達は店内の一番奥にある個室へと案内される。
「良い雰囲気の店だな」
「今、王都では一番人気のお店だそうよ。予約が取れるとは思っていなかったから嬉しいわ。さすがお兄様」
「コネと権力はこういうことのために使わないとな」
ドリーに褒められて鼻高々に破顔するヘイリーは今日この日ほど自分が中央対人警察署の署長であり、それに準ずるコネクションを持っていたことを誇りに思ったことはないだろう。
とはいえ今回はプロポーズ前にフラれてしまった部下から運良く譲り受けた席であって、その部下には後日慰労会を盛大に行う予定だ。
「ふふっ、頼もしい兄を持てたことは私の誇りですわ。なんでもポタージュがおすすめだとかで社交界ではちょっとした有名ですのよ」
「ポタージュですか?デザートではないなんて珍しいですね母さん」
社交界で噂に上がるのは大体女性好みの華やかで愛らしいデザートだというのに。
「とても美しくて飲むのを躊躇ってしまうんだと大変噂になっているわエル」
白いテーブルクロスの掛かった円形のテーブルの席にそれぞれ着き、食前酒で乾杯をして運ばれた突き出しを口に運べば王都で噂になるのも納得の素晴らしい味に自然と皆の顔が綻ぶ。
「そうだわ伯父様。この間、警察署にお邪魔したときにお顔を覆っていらした新聞はまだお持ちですか?」
「新聞?」
「新聞をお顔にだなんて……お兄様ったらお仕事中に寝ていらしたの?」
「寝ていたというより休憩だよ休憩、あははっ」
慌てたように釈明するヘイリーはクリスティアにしぃーーっと黙っているように人差し指を唇へと立てる。
だがクリスティアは寝ていたとは言っていないのでその態度がすでに墓穴を掘っていることにヘイリー自身は気付いていない。
「もう、それで?どんな新聞なのクリスティー?」
「幽霊を殺したと自首した夫人を釈放したとの記事がございましたわ」
「あぁ、あれか。多分まだ持っていると思うが……欲しいのか?」
「えぇ、とても興味深いと思いましたので内容を知りたいと思いましたの」
確かディオスクーロイ公国出身の部下が母国の情報を得るために購読していたのを日差し避けにと借りた新聞だ。
友好国の情報がこうも気軽に手に入るようになったのは然程昔の話ではなく、部下が嬉しそうに話していた内容は確かに、クリスティアの気に入りそうな不可思議な内容だったとヘイリーは頷く。
「任せておきなさい、何部でも持ってきてあげよう」
「伯父様ったら、一部で結構ですわ。ただ他にも同じ事件の記事を取り上げている内容のものもございましたらわたくし嬉しいです」
可愛い姪っ子のために権力をフルで使うためまずは部下からの聞き取りだ。
思い出すのは乱雑な机の上で暫く現金は見たくないと突っ伏した後ろ姿なのであまり片付けの出来るタイプではないのだろう、なので過去の新聞記事もあるはずだ。
これを口実にまた姪っ子に会えることにヘイリーの気分も上がったところで、社交界で噂になっているポタージュが登場する。