そして彼女は後悔する⑥
「なにこれ?」
「お約束のものですわ、どうぞご覧になって」
訝しみながらその分厚い紙の束を受け取り見ればそこには、『アリアドネ・フォレスト殺人未遂事件集』という有難くないというか恐怖しか感じない表題が書かれている。
「な、なによこれ!?」
「なにと申されましても……お約束のものです。あなたが卒業式まで死なないための事件をいくつか思慮いたしましたのでどうぞご覧になって」
大変でしたのよっと全然大変そうではない口調というか、期待のこもったような口調でその先のページを捲ることを促すクリスティア。
主要なところだけをペラペラと捲り見るアリアドネ殺人未遂事件の物語には拉致に監禁に植物状態……どれもこれもギリギリ死なないというかほぼほぼ生きてるのか死んでるのか怪しい状態でのおどろおどろしい結末が並んでいる。
「こちらの誘拐事件はわたくしとてもよく思いついたと自負しております、ほらほらもっとよくご覧になって」
「ご覧になってって!なれるか!ちょっとこれ私、他国に売られてんじゃん!?こっちは一生監禁!?バッドエンディングオンリーじゃん!なによこれ!この事件を起こすから回避しなさいってこと!?ネタバレ!?」
褒めてくださいといわんばかりのクリスティアのキラキラとした眼差しに、不気味な殺人未遂計画書を渡されて全く意味が分からないアリアドネは今からこの中から希望する事件を起こすから選べということなのかと不安になる……。
ネタバレされていたとしても全然回避出来る気がしない事件の数々だし、もっとこう教科書を隠すとか放課後取り巻きと一緒に呼び出して嫌味を言うとかそういったテンプレートの軽いイベントを期待していたというのに軽いどころか身の危険しかない事件の数々にアリアドネはドン引く。
それに結局のところクリスティアが仲を取り持ってくれるはずのユーリがどこでどういう風に自分を助けてくれてどう好感度を上げていくのかの肝心なことが何一つ書かれていない。
「契約にある通り死なない事件を精一杯思慮したのですけれど……不満だったでしょうか?」
「だからこの中の事件を起こすってことでしょ!?教科書隠したりとかそんなのでいいんだって!こんなヘビーな事件内容必要ないんだけど!?」
「まぁ、なにをおっしゃっておいでなのでしょう?わたくしこの中の事件を起こすつもりはございませんわ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「どういうこと!?}
怖すぎる事件計画書を握りしめるアリアドネにクリスティアが小首を傾げるので、事件内容に全然納得できないと勢いよく顔を上げて詰め寄ろうとしていたアリアドネも釣られて小首を傾げる。
ユーリとの親密度を上げてくれるんじゃなかったのか?
そのための契約ではなかったのか?
契約書まで交わしたというのにまさか使うだけ使って契約破棄なのかとここが図書室なのも忘れてまさか騙されたのかとアリアドネは叫ぶ。
「わたくしあなたが死なない事件を思慮、つまり考えを巡らせると契約書には記しましたけれどそれを実際に行動に移すとは契約しておりませんわ」
ニッコリと微笑んだクリスティアの告げる契約内容に一瞬意味が分からず考えるアリアドネ。
(えっ、ちょっと待ってつまりそれはどういうこと?)
落ち着くのよアリアドネ・フォレスト、これはマズい事態になったんじゃないの?早急に契約書の内容を確認する必要があるんじゃないの?
混乱する脳内で社会人だった前世の文代が学生であるアリアドネへと冷静に契約書の内容への疑問を呈する。
これはもしかして実際に事件は起きないんじゃないか?
ユーリとの親密度は上がらないんじゃないのか?
あれ?そもそもユーリとのエンディングを後押ししてくれるなんてクリスティアは言っていただろうか?
ていうかていうか契約書の内容をもう一度確認したほうがいいんじゃないのか!?
28歳の文代が冷静にクリスティアの言葉を分析をして、アリアドネへと契約書の再確認を促す。
「け、契約書見せて!」
確かに手を貸すって書いてあったじゃんっと焦りながらサインした契約書を求めればルーシーがそう言われると思っていたと言わんばかりに一枚の紙を差し出す。
それを引ったくるように受け取り、穴が空くのではないかというくらい顔を近付けて見つめるアリアドネは早口で音読する。
「クリスティア・ランポールはアリアドネ・フォレストが死なないための事件を思慮し無事卒業式を終わらせる策を方法は問わず弄すること」
「方法は問わずということでしたので思慮し書面で弄させていただきました。実際に行動に移すとは記しておりませんし書面上の全ての事件において卒業は無事に出来ておりますわ」
「アリアドネ・フォレストはその見返りとして弄したぶんクリスティア・ランポールが望むときに望むようにその手を貸すこと」
「今回のマーシェ邸の潜入が一つ。ご覧の通り沢山思慮いたしましたのでその分、わたくしに手を貸していただくことになりますわね」
「双方契約を違えた場合はそれ相応の罰をお互いに科すこと……」
「罰の種類はまだ決めておりませんけれども、違えた場合の罰はとても楽しいものになりそうですわ」
「そ……それはつまり……!」
震える手で契約書を持っていたアリアドネはクリスティアに都合の良いように展開されている契約書の内容に、吸えるだけの空気を吸い込んで思いっきり叫ぶ。
「ほぼほぼ奴隷契約!嘘でしょ!?」
確かに、この契約書にアリアドネを助けるための行動をクリスティアが実際に起こすとは一つも書かれていない。
それどころか無事に卒業式を終えられるのならばそれが現実ではない方法だとしても、どんな結末になろうとも、構わないということが都合良く書かれており。
更にアリアドネ・フォレストはクリスティア・ランポールに手を貸すことだけはしっかりと明記されているのだ。
「私と殿下の未来は!?」
「アリアドネさん。人の心というものを誰かに頼りお掴みになられるのはあなたにも殿下にも失礼なことですわ。あと事件解決にならばわたくしの持つ灰色の脳細胞も活発に動くのですけれども、それを自ら起こすとなると……途端にやる気が出なくなってしまうのです」
「う、嘘つき!こんなの破棄よ!破棄!破って!破ってや……やぶ!破れない!?」
キャンキャン子犬のように吠えるアリアドネにクリスティアが尤もらしいことを言って諌めるが、やる気が出ないという後半の気持ちが本音だろう。
到底納得できるはずがないその契約内容に、あらん限りの力をもってその契約書を破こうとするアリアドネだったが、プラスチックで出来ているかのように裂こうとしても避けず引っ張れば伸びるだけで……なにをどうしても元の形に戻ってしまう。
「そちら特殊な魔法道具で作られております契約紙となりますので一方的な破棄は出来ませんわ」
ラビュリントス王国一と言われる魔具師であるエヴァンの作った契約紙は天下一品の品物だ。
なにをしても絶対に破棄できない代物だと知ったアリアドネは怒りと絶望で頬を引き攣らせながらその契約書から顔を上げる。
「あなたの為に心を込めて沢山事件を思慮いたしましたから、これからもどうぞ宜しくお願いいたしますわねアリアドネさん」
騙されたと知ったときには時既に遅し。
クリスティアの手の中には彼女が考えたアリアドネの辛うじて死なない物語がお手伝いしますよの回数チケットとして握られている。
上げた視線の先には優雅に微笑むクリスティアのそれはそれは美しい悪魔の微笑み。
前代未聞だ悪役令嬢の手下になってしまったヒロインだなんて!
こんなのもう乙女ゲームじゃない!
「こ、このっ!悪役令嬢ーーーーー!!!」
契約書を握り締めたまま最推しという餌に釣られてしまったアリアドネはどうしてこんなことになってしまったんだと押し寄せる後悔に絶望を持って叫ぶ。
その声は静寂を重んじる図書室に盛大に響き渡るのだった。