そして彼女は後悔する⑤
「そうだわアリアドネさん。こちらの曲、お聞きしたことございますか?」
「なにこれオルゴール?」
ブツブツと自分に対する扱いの不当さを嘆くアリアドネの呟きを全く聞いていないクリスティアがマーシェ邸でシャンデリアの映像機を作動させるため使用したオルゴールを机の上に置き差し出す。
少し気になることがあるからと無理を言って対人警察から預からせてもらったそれを開き、流れる音楽をアリアドネに聞かせる。
「なんだっけ、聞いたことあるような……?誰かが歌ってるの……聞いたことが……」
そう、聞いたことがある……と思った瞬間、ズキッと痛んだ頭にアリアドネの心臓が激しく脈打ち目の前がぼんやりと霞んでいく。
ドンドンとなにかを叩くような耳鳴りがして水面の中でたゆたうように揺れる視界。
荒くなる呼吸を塞ぐように口の中で空気が詰まり、息苦しくなって辛くて……どうしてこんなことになってしまったのかと錯乱し泣き叫ぶ甲高い声がぐらりぐらりと頭を揺らす遠くの方で、籠もった歌声が聞こえる。
今、沈んだ静寂の中から聞こえるこのご機嫌な調子の歌はなんだろうか。
「アリアドネさん?」
声を掛けられてハッといつの間にか閉じていた瞼を見開いたアリアドネは鮮明になった視界を動かし、止まっていた息を吐き出す。
なんだったのだろうか今の息苦しさは……!
酸素不足で痛む頭を押さえながらアリアドネは耳鳴りのように遠く聞こえた歌を思い出し、口ずさむ。
「……そこへ黒ツグミがやってきて、彼女のお鼻をついばんだ」
そうだこの歌だ。
誰かが歌っていたこの歌。
楽しそうに。
嬉しそうに。
(私を見ながら歌ってた!)
「知ってる、聞いたことある。でもなんの歌なのこれ……」
「なにかはご存じないのに知っているのですか?」
「う、うん。誰かが歌っているのを聞いて頭に残ってる」
こめかみを押さえながら息苦しそうに顔を青くするアリアドネにクリスティアは心配そうにオルゴールを止めてルーシーへと冷めていた紅茶を暖かいものへと入れ替えるよう指示をする。
あまり広く知られているような歌ではなかったので期待はせずに聞いてみたのだが……この歌をアリアドネが知っていたことにも驚いたがこれだけ過剰な反応をされたことへクリスティアは違和感を持つ。
「これは六ペンスの歌、イギリスの童謡です」
「えっ?」
一体彼女はなにを思い出したのだろうか。
クリスティアの探るような眼差しに、だってそんなはずはないおかしいでしょうと俯いていた顔を上げたアリアドネは驚きに頬を引き攣らせる。
このアリアドネの糸の世界にイギリスなんていう国は当たり前だが存在するはずはないのに。
「ど、どういうこと?この歌はこの国に、アリアドネの糸にある曲なの?ラビュリントスの国歌とか?」
「違いますわ」
怯え、震える心を落ち着かせるように暖かい紅茶を飲み少しだけ血の気が引いた頬に赤みが戻ったアリアドネは混乱し、震える掌をクリスティアへと向かって突き出す。
「ちょ、ちょっと待って!この曲を使ったってことはそれってつまり私達以外に転生者がいるってこと!?」
「分かりません、魔法道具自体古い物ですしこの世界があなたの言うゲームの中なのでしたら前世にある曲を使ったということもございますでしょう?」
「そ、そうよね?」
「ちなみにですがマーシェ家の遺言書はアリアドネの糸で出て来た物語なのでしょうか?」
「ううん、そんなシナリオはなかった」
ならばシナリオにない物語にわざわざ現世で作られた曲を使用するだろうか?
しかも取り立てて有名でもないこの曲を?
よくよく考えればリアドの友人だという手紙の送り主も結局誰なのか分からないし、ロバートが見たという黒髪の人物も謎のままだ……。
それに遺言書を探すという依頼内容はまるでクリスティアの敬愛する探偵小説を思い起こさせる内容で……なによりクリスティアが気になるのは現世でも特に有名だった曲ではない、使われたのが六ペンスの歌。
マザーグースなのだ!
「そ、そうだ!私との契約覚えてるでしょ?」
「えぇ、勿論ですわ。ルーシーお渡しして」
「畏まりましたクリスティー様」
湧き上がる得体の知れない気持ち悪さと息苦しさに、不安だけが募る重苦しい記憶をこれ以上考えたくも聞きたくもなくてアリアドネが明るく今回の報酬を要求する。
このためにアリアドネは頑張ったのだ。
クリスティアは一体自分とユーリを結びつけるためにどんな事件を起こしてくれるのかと自身の中の不安を取り除くようにわざとらしくわくわくとした気持ちを笑顔を浮かべることで引き出すと、その気持ちを汲んだのだろうクリスティアがルーシーを促しサービスワゴンから紙の束を取り出させてアリアドネへと渡す。