新たな遺言書④
「そんな……!」
神々しく太陽の光を浴びながら現れた女神の像に絶句するエリン。
狩猟部屋の小窓から自分の目で見ていたものの信じられずにいたアルフレドさえ言葉を失い、ただそこに存在する女神の像を見つめている。
邸を見つめ腕を伸ばし静かに微笑むその女神の掲げられた手の中には一つ小さな宝箱が一つ置かれている。
「そちらの宝箱をお開け下さい、遺言書が入っているはずですわ」
言われるままにロバートが女神から宝箱を受け取りその箱をヴィオラへと渡す。
ヴィオラが年季の入ったその箱を開けば中には封筒が一枚入っており、その封筒には印章が押されている。
「間違いなくマーシェ家の印章でございます。ヴィオラ様、中を改めさせていただきます」
共に中を覗いていたジョナサンがヴィオラからその封筒を受け取り開くと一呼吸置いて読み上げる。
「私、リアド・マーシェは以下の通り遺言する。遺言者の所有する全財産は未来ある子供達が不自由なく学べる機会が得られるように然るべき機関への寄付とする。この遺言の執行者としてどの機関にどう寄付するかは学問の徒であるヴィオラ・マーシェが選定し、弁護人であるジョナサン・ファレブが最終的な決定権を有することを指定する。この遺言書を見付けた者に敬意を払うと共に、これは私の勝利への礎となるだろう」
「お爺様!」
声高々にジョナサンが読み上げた内容。
それは教育は悪であり、本で学ぶことは経験で得ることより劣る愚かで無益な行為だと常々言葉にし、信条としていたリアドが学問を愛しその道へと進んだヴィオラへと残した最大級の譲歩であり愛情なのだろう……。
そんなリアドの言葉にヴィオラが両手で唇を覆い瞳を潤ませる。
「そんな馬鹿な!」
だが、そんなリアドの最後の言葉を知れて喜ぶヴィオラを横目に、アルフレドが悲鳴に似た声を上げエリンが握った拳を震わせている。
「こちらが正式な遺言書となりますでしょうかファレブ様?」
「日付は伯爵が亡くなる二日前となっておりますので間違いはございません。えぇ、えぇ、間違いはないですとも!我が友である、リアドならば必ずそうするはずです!」
瞳に涙を浮かべて嬉しそうなジョナサンは最初に開示した遺言書を今すぐにでも破り捨ててこの新しい遺言書を正式なものとするべく手配するつもりだと晴れやかな気持ちで笑みを浮かべる。
そんな一同を見つめるエリンは拳を震わしたまま口を開く。
「筆跡鑑定を行っても宜しいですか?念のためということもございますでしょう?」
誰がどう見てもこれが新しく正式な遺言書であることは間違いないだろう、だが万に一つの可能性ということもあるとエリンが歯を噛み締めてなんとか絞り出した言葉にユーリも頷く。
「あぁ、構わない。私が適任者を紹介しよう。その間、財産は全てジョナサン。君が責任を持って保管を頼む」
「畏まりました殿下」
この国の王太子であるユーリが間に入ることでリアドの遺言書は間違いなく正しい結果へと導かれることとなるだろう。
恭しく頭を下げたエリンは踵を返して邸へと去って行きアルフレドもそれに続く、残されたヴィオラはジョナサンから遺言書を受け取り涙ぐみながらその文字を一文字一文字を手で撫でながら愛おしそうに眺めている。
「ヴィオラ様、この謎解きは恐らく伯爵があなたに残された最後の宝探しだったのだと思います」
「えっ?」
「狩猟部屋にあったあの固定された小さな背もたれ椅子ですけれどもあれはヴィオラ様のために伯爵がご用意された物ですわ。伯爵が座るために準備したのではないことはお分かりになられているでしょうけれども立つためにご準備したものでもございません」
「ではなんのために……?」
「ロバート様は伯爵と同じく身長が180センチほどございます。けれどもあの小窓を見るために椅子を使用すればその身を屈ませなければならないのです。それはエリン様もアルフレド様も同じことです。ですがヴィオラ様があの椅子に立ったとき小窓とあなたの身長は丁度同じ高さでした。間違いなくあなたのために誂えた踏み台だったのです。あの椅子に立ったときあなたの身長で小窓が見えるように計算されていたのです」
「っ!」
「きっとこの遺言書探しは自分が亡くなった後、あなたが深く悲しまないよう、少しでも楽しめるようにと考えられた宝探しだったのでしょう。これは紛れもなく伯爵からヴィオラ様への深い愛情ですわ」
ヴィオラの脳裏に幼い頃リアドと二人で楽しんだ宝探しのことが思い出される。
小さいヴィオラを膝に乗せて手作りの宝の地図を渡し、見付けてみなさいと優しい声音で頭を撫でた温もりがヴィオラの心に触れるようにして過ぎり……消える。
「ありがとうございます、皆様。本当に……本当に……!」
リアドが隠した宝物にはお菓子や人形、そしてリアドの嫌いな本といつもヴィオラの好きな物が入っていた。
それらは今もヴィオラの大切な宝物で……今回のこの遺言書も間違いなくヴィオラの宝物となるだろう。
祖父の深い愛情を感じ深く深く頭を下げるヴィオラ。
たとえその死が悲劇だったとしても、この手紙を書いた瞬間まではきっとヴィオラを想い喜ぶ姿をその瞼の裏に想像して微笑んでいただろうリアドのその真実だけで十分だと遺言書を胸に抱くヴィオラの涙ながら喜びを噛み締めるその穏やかな姿を一同は安堵の気持ちで見つめるなか……クリスティアだけは少しだけ腑に落ちないような表情を浮かべていた。