マーシェ邸④
「王都とは賑やかさが違いますので、こういう静寂を好む優美な場所に免疫がないのでしたら気分が沈んでしまうのも仕方のないことです」
「叔母様、私がお嬢様をお部屋までご案内させていただきますわ」
「えぇ、お願いヴィオラ。大蛇の間だから間違えないでね」
「はい」
「お心遣いに感謝いたします」
エリンがクリスティアのか弱さの演出に眉を顰め、押さえきれていない嘲弄する気持ちが浮かべた微笑を歪ませ、引き攣らせる。
その表情の中には自分達が大切に育ててきた領地を馬鹿にする都会育ちのお嬢様ならば軽々しくこの場所に興味を持つべではなかったのだとの侮蔑が込められている。
クリスティアの案内にヴィオラが名乗りを上げて、二階に準備された部屋へと共に消えていく。
幼い頃は証拠品が溝にあればそこがどれだけ臭く汚かろうともドレス姿で飛び込み、浚っていたというのに……。
溝に比べればこの場所は王宮の庭園並に綺麗な証拠品探しの場だろう。
今頃部屋では難なく一人になれたことをほくそ笑んでいるであろうクリスティアと別れて、エリンに案内されるまま羊の剥製が守るサロンの扉を一同は潜る。
植物の模様が入った壁紙の色と統一された淡い黄色の三人掛けのソファーが対面に一脚ずつ、二人掛けと一人掛けの椅子が対面にそれぞれ一脚ずつあり、楕円机の周りを囲っている。
壁に飾られているのは絵画ではなく剥製なのが最早意外性も無く。
場所柄かリアドの趣味かは分からないが邸内で使用されている魔法道具は一昔前の古い物ばかりで、天上からぶら下がっている蝋燭型の照明器具は淡い光りで室内を照らしている。
カーテンの開かれたフランス窓から差し込む陽光がなければ室内は薄暗いだろう。
部屋を暖めている暖炉に灯る火はこの広い室内を十分に暖めているとは言い難く……ついさっきまで居た馬車の中のほうが暖かいくらいだ。
そんな精一杯、部屋を暖めようとしている暖炉の上に一際大きくて立派な角の生えた鹿の剥製が飾られているのでロバートが興味深げに近寄り見つめる。
「至る所に剥製が置いてあるのですね」
「えぇ、狩猟は退役後の父の趣味でしたので。邸にある剥製は全て父がハンティングした動物達です。扉の前にある剥製がその部屋の名になっておりますわ。監視されているようなので私はあちこち置くことを好まないのですが。剥製が無い部屋は剥製を制作する専門の部屋で……私達は狩猟部屋と申しているのですけれども、そういった部屋も二階にございます」
ということは大蛇の間に案内されていたクリスティアの部屋の前には蛇の剥製が飾られているのだろう。
この邸に渦巻く謎をその大きな口で丸呑みしようとする黄金色をした緋色の瞳の大蛇を想像し、対峙したロバートは偶然なのが計画的は分からないなぴったりな部屋の守護者を拝することとなったクリスティアの毒牙を思いその身を震わせる。
「騎士に所属する者として伯爵の栄光はよく存じています、立派な剥製を見る限り退役してもその腕は衰えなかったようですね。若輩者の私としては身の引き締まる思いです」
「前途ある騎士に褒められたと父が知れば喜ぶと思いますわ。興味がございましたら後程、狩猟部屋にご案内させます」
「是非」
騎士として戦の英雄であるリアドへの尊敬を表す饒舌なロバートのいつもとは違う姿にフランは驚く。
いつも自分を前にすると抑圧するような威圧的な態度か(ロバートの名誉のために言っておくがフランを前にすると緊張して上手く話せないだけで本人は至って優しくしているつもり)クリスティアにやり込められて怒っている姿しか見てこなかったので落ち着き、礼儀正しく、先人に対して敬意を払うその姿は随分と立派に見える。
見慣れないロバートの姿に少しばかり戸惑いながら、きっとこの状況をクリスティアが見たのなら同じように驚くだろうとフランは二階へと去った友人にこのことを伝えたい気持ちと、体調が本当に悪くなければいいのだがと心配する気持ちを抱え視線を上へと上げる。
とはいえクリスティアならば間違いなく、剣とフラン以外に興味のあるものがあったのかと驚いたフリをしてロバートをからかい、そしてそれにまんまと乗せられて憤慨したロバートの剣幕に恐れをなしたフランが嫌うという悪循環に陥るのだろうが……。
ユーリは心から思う、これが普段のロバートの姿であってフランが見ているロバートは大体にしてクリスティアというならず者によって生み出された幻影なのだと。
フランが自身を少しばかり見直しているとは知らず、剣が至高だと思っているので銃を使用する狩猟はしないのだが興味がないわけではないのでエリンの提案にロバートは有り難く頷く。
どうやらロバートのことは気に入ったらしく、クリスティアによって害された気分を少しだけ持ち直したエリンに促され一同がソファーへと座る。
それと同時に一人掛けの椅子に座った彼女が丸いサイドテーブルに置かれた六つの内の一つのベルを持ち上げ鳴らす。
「温かいお茶をお持ちして」
チリンチリンとベルから広がった音は一同に静寂を与え、エリンの声だけを部屋へと響かせる。
持ち手の部分には緑色の魔法鉱石が嵌められており、ベルには厨房と書かれているのでそれを鳴らした後に話した言葉が風魔法に乗ってそのまま厨房へと届く、ベル盤と伝声管が重なったような仕組みの魔法道具だ。
数分としない内に厨房で待機していたのだろう使用人がサービスワゴンにお茶を乗せて部屋へと静かに入ってくる。