マーシェ邸③
「寒いので中へどうぞ、荷物は使用人達がお運びいたしますのでご安心下さい。長い馬車でのご移動でお疲れでしょう、暖かいお茶をご用意しておりますのでサロンへご案内いたします」
「お心遣い感謝します」
エリンが率先だって案内役を務め、その後ろにアルフレドが続く。
分かりやすい力関係だ。
子爵家に嫁いだからといっても実質このマーシェ邸を取り仕切っているのはエリンなのだということが見て取れる。
ポーチから中へと入った玄関の間は天井までの吹き抜けで、動物の剥製が数点、二階の廊下の影に覆われながら一階の廊下に沿うようにして入る者を狙うように配置されている。
よく見ればその動物の配置は全て扉の左横にあり、まるで部屋を守る守護者のように鎮座している。
「入り口すぐの右手側が食堂で奥が厨房、左手が娯楽室でその奥がサロンとなります」
案内されたのは左右にある二カ所の計四部屋、部屋は八カ所あるようだが案内をされなかったので他は私室になるのだろう。
廊下の真っ直ぐ奥には二階へと上がる螺旋の階段が見える。
「申し訳ございません皆様、わたくし少し疲れてしまったのでお部屋でお休みさせていただいてもよろしいでしょうか?思っている以上になにもない場所でしたので気が滅入ってしまって……わたくしこんなに辺鄙な場所だとは知りませんでしたの」
サロンへと向かう途中、額を押さえてふらついたクリスティアは廊下に待機している使用人達にも聞こえるような……けれどもそこまで大きくはない広く浸透していくようなよく通る声を上げる。
「大丈夫か?」
「えぇ、殿下」
こんな田舎に来たことがないと悲劇めいた口調と共に今にも倒れそうな弱々しい演技を大袈裟にするクリスティアに対してユーリは笑いそうになる唇を噛み締める。
邸の者達の反応は上々。
眉を顰める者、コソコソと互いに耳打ちする者、聞こえるのも憚らずに舌打ちをする者等々……ヴィオラが上手いことクリスティアの悪い噂を広めておいてくれたのだろう。
傲慢という噂は間違いなく本当だったのだと皆の心に嫌悪の感情を湧き上がらせ、その筆頭であるかのようにエリンの額にも盛大に皺が寄り、アルフレドは隠しもしない舌打ちと共に赤い悪魔めっと侮蔑を吐き出すように呟く。
「大丈夫ですか義姉さん?だから王都で待っていてくださいと言ったのです」
「あなたがもっと真剣に止めてくれたら、わたくしだって来なかったわ。帰ったらお父様に酷い場所だったとお伝えしますからね」
「……はぁ、どうぞご自由に」
「君は王都から滅多と出ないからな。移動も長かったし、疲れたのだろう」
若干の冷めた口調で心配を口にしたもののクリスティアへと近寄らないエルと、その姿を見もしないクリスティアの険悪な態度に舞台俳優顔負けだなとユーリは出かかるからかいの言葉を飲み込み仲裁に入る。
エルの態度から察するに恐らくマーシェ邸へと着いたら一度皆から離れるということをクリスティアと示し合わせていたのだろう、でなければクリスティアがよろめいた瞬間、エルはすぐに駆け寄りもっと心配をするはずだ。
(そこに謎があるのならばどれだけ辺鄙な場所でも喜んで行くだろうに気が滅入るとは……普段こそそうであれば楽なのだがな)
クリスティアが華やかなドレスや宝石なんてものに心を踊らせる姿をユーリは見たことがない。
そんな物質的な物に心を踊らせてくれたのなら婚約者としてどれだけ贈り物を贈ることが楽になるか。
クリスティアの緋色の瞳が輝きその好奇心を示し満たすのはいつだってなにかしらの事件に巻き込まれたり首を突っ込んだりしたときだけ、クリスティアの言うところの敬愛する探偵が言っていたという灰色の脳細胞を働かせるときだけだ。
なのでクリスティアが望んでこの場に来たことを知っている者達からすれば甚だ滑稽なよろめく姿に、遺言書という謎の真っただ中にいるというのに興奮するならまだしも気が滅入るなんて嘘は笑い話でしかない。
ロバートなんてこいつ本気か?っという驚愕の眼差しをクリスティアへと向けている。
恐らく皆と離れて一人、遺言書へと繋がる手がかりを探るつもりなのだろう。
依頼を受けている以上、それは結構なことだが邸の者達からの不興を見事に買ったばかりなのだから着いたばかりの今日くらいは少しくらいその押さえきれない好奇心を押さえて大人しくしていて欲しいのだが……。
クリスティアに願うことほど無駄なことはないと叶うことはない願いをユーリは胸に秘めてせめてクリスティアが怪しまれないようにするため心配するフリをする。