ヴィオラ・マーシェの話⑦
「ではまず、わたくしのことはどうぞクリスティーとお呼び下さいマーシェ様。この子はエル、わたくしの義弟でご一緒いたしますことをお許しください」
「よろしくお願いします。僕のこともどうぞエルとお呼び下さい。今日は義姉さんの付き添いのようなものですけれどここで見聞きしたことは他言はいたしませんのでご安心ください」
クリスティアとエル、フランとヴィオラにジョージが残り他のメイド達も全て出て行ったところでクリスティアが改めて口を開き自己紹介をする。
公爵令嬢という立場だというのに気軽に愛称呼びを許されたことにヴィオラは驚き、恐れ多さを感じるがクリスティアはいつも誰にでも自分のことをクリスティーと愛称で呼ばせているので気にするだけ無駄というもの。
逆にクリスティアのことをクリスティーと呼ばないのはユーリくらいだ。
「では、私のこともどうぞヴィオラとお呼び下さいクリスティー様。お噂はかねがねお聞きしております」
「まぁ、どんな噂かしら。悪い噂でなければよいのですけれど……」
「悪い噂だなんてとんでもございません。学園でとても優秀だと、教師をしている者ならば皆知っている噂ですわ」
「そうなのですね、悪いものではないようなので安心いたしました」
「義姉さんの悪い噂を広めることは勇気のいることですからね」
「まぁ、エルったら」
可愛らしい、内輪だけにしか広まらない嫉妬に根のはる悪口ならば捨て置いても問題はないが、意地汚くも人の心に真実かのように浸透するような悪い噂はエルが小さい芽のうちに摘むようにしているので広まることはそうないだろう。
それでもその噂を花開かせようとする何処かの名も知らない貴族達がいればその家門を取り潰しにすることくらいエルにとっては実に容易いことなのだと口角を上げるので、クリスティアも笑みを深くする。
「所詮噂というのは不確かなものですわ。フランさんからある程度の事情はお聞きいたしましたがあまり過度な期待はなされないでください。それでヴィオラ様、お見せ頂いた差出人不明の手紙にはリアド伯爵の遺言書に不審な点があるかもしれないということなのですけれども」
「いえクリスティー様、公開された遺言書に関しましては不審な点があるとは私自身は思っておりません。フランお嬢様からお聞きしたとは思いますが叔母と叔父が父親である祖父の遺産を相続することは至極当然の権利だと思っておりますし、それが祖父の意思であると堅く信じております。そしてそのように思う根底には私は以前、遺産相続人から外すと祖父に言われたことがあるからに他なりません」
「まぁ、そうなのですかヴィオラ先生?」
「はいフランお嬢様。祖父は私が家庭教師の道を進むことに大変反対をしておりました。祖父は先の戦乱の混迷期に幼少時代を過ごし学問というものに触れずにその腕一つで今の地位を築きましたので学問を忌み嫌っていたのです。戦争は知識有る者が起こす愚かな矜持の張り合いだと……」
確かに。
この中で他国と一番関わり合いがあるジョージはそのリアドの心情がよく分かり頷く。
「祖父は先の戦争では狙撃兵として出征し感覚というものを大切にしておりました。知識として覚えたことよりも感覚として覚えたことは咄嗟のときに自分を守る盾になると……知識という体現しない経験は困難に陥ったときにはなんの役にも立たないと幼い頃から本ばかりを読む私によく申しておりました。なので祖父は私にはそれなりの地位の者と結婚し、守られ暮らすことこそが幸せなことなのだと強く信じておられたのです。ご自身が大変苦労いたしましたのでわざわざ苦労を買ってする必要は無いとの思いと亡き私の両親のぶんも私を幸せにしなければならないという負い目があったのだ思います。私はそれはそれは祖父に大切に育てていただきましたので……ですのでこの道を選んだことは大変な親不孝なことだと理解はしております。祖父の説得は残念ながら上手くはいきませんでしたので私が教師として家を出るときには相続人からは外すとそう申されたのです」
送られてきた正体不明の手紙を信じられない理由は第一にそれが原因であるといってもいい。
例え遺産相続の話は外すと言われた以降、一切しなかったとしてもリアドは一度口に出した決め事を覆す性格ではなかった。
ヴィオラからもわざわざ口に出すことはしなかったし、それに対する不満もなかったので相続人から外されていることは当然のこととし、リアドの遺産などを正式に引き継ぐのはリアドの子である叔母と叔父であろうと信じて疑っていなかったのだ。