ヴィオラ・マーシェの話②
「嘆かわしいですね義姉さん。レイは僕のことも忘れてしまったらしいです。エルで結構ですよレイ」
「素敵なレディを伴える素晴らしい紳士になられたので見紛えたのですよエル様。年寄りというのは良い変化が大きいほど戸惑うものです」
「ははっ、困りました。レイは本当に人を喜ばせる術をご存じですね。義姉さんが欲しいなら帰りにでもそのヒーターを買いに行きましょうか?部屋にあるのは暖炉だけですし。テラスで読書やお茶をするのに足元にあれば丁度いいでしょう?」
「えぇそうね。ふふっ、あなたは本当に優秀な執事ですこと。エル、ローウェン邸に来るときはレイに見付からないようにしないと今にランポール家の金庫ごと持って行かれてしまうわ」
「おそれいりますエル様、クリスティー様。実は私もこのヒーター開発に幾ばくか資金を投入いたしましたのでご宣伝いただけますと私の老後も安泰でしょう。商品はとても素晴らしいのですが暖炉で十分だという方々が多くいらっしゃいますのできっかけがあれば良いと思っていたのです。我が主は物を産み出す才能はあるのですが物を売る商才がないもので。どうぞ、ご主人様にはこのことはご内密に。フランお嬢様のご友人にセールスしたことを知られると私が咎められてしまいます」
富める者から貧しい者まで等しく購入できる便利で安価な魔法道具を開発する伯爵のことを、一部の貴族は労働者の真似事をして恥だと考えいい顔をしていない。
そのいい顔をされていない者達から手持ちのヒーターは不評だったのだろう。
けれども魔鉱山で産出された魔法鉱石を使用し魔法道具を開発することは己の領地を豊かにすることと同義なので伯爵にとって誇りある仕事であることはクリスティアもよく分かっていること、その誇りある仕事をアシストすることはやぶさかではないと微笑む。
「まぁ、悪い出資者ですこと。勿論黙っておりますとも。今年の冬の人気商品にして伯爵を驚かせてさしあげましょう」
「クリスティー様は寛容で私はフランお嬢様に感謝いたしませんと。ヒーターは我がミネルヴァ商会で販売しておりますのでそちらには私からご連絡をさせていただきます」
「助かります。ありがとうレイ」
執事の心の内をすっかり見透かしているクリスティアの悪戯っ子のような笑みと、ウィンクをして目尻の皺を深くしたレイはクスクスと笑い合う。
勿論手持ちヒーターは良い商品だからこそレイはクリスティアに進めたのだが売り上げは正直いって芳しくなかった。
社交界でもそうでない所でも顔の広いクリスティアがとても良く便利な物だと広めてくれれば今年売れると思って作っていた在庫は完売するだろう。
予想に反して売れないと気落ちしていた我が主も元気づくだろうし、暖炉で十分だと馬鹿にしていた貴族達に一泡も二泡も吹かせられることに満足するレイは出迎えたときより胸を張り背筋を伸ばすと、一階の左手側にある客間へと案内をする。
「そうだわ、レイ。最近使用人を新しくお雇いになったかしら?」
「いいえ、使用人の人数は変わっておりませんが……それがどうかなさいましたかクリスティー様?」
「ふふっ、ヒーターを邸中に設置するならば新しく人を雇う必要があるのかと思いましたの」
「手軽に持ち運べますので今居る人数で手は足りるかと思いますクリスティー様」
ヒーターを設置する使用人をわざわざ増やす必要はございませんとニッコリ微笑んだレイはそのまま扉に向かって腕を上げ、拳を軽くぶつける。