そして始まってしまった物語⑨
「……何故それほどまでにご自身が殺されるとお思いなのですか?」
「そんなの……私はこの世界のヒロインなわけだし、シナリオだってあるし、一番の心配はこれよこれ」
机に頬を預けたまま腕を上げて掌をクリスティアへと向けるアリアドネ。
生命線がクッキリと長く浮かび上がった何の変哲も無い白い綺麗な掌になにがあるのかしらっと見ていたクリスティア目の前で掌が淡く緑色に光る。
そしてそこに円形の中に五芒星とそれを囲うようにして古代文字のようなものが浮かび上がる。
「まぁ!神の紋章ですわね!」
この世界では科学技術が発達しなかった代わりに魔法技術が発展しており、人々の体の中には魔力というものが存在している。
所謂、なにも無いところから火の魔法をおこして暖炉の薪を燃やしたり、水の魔法でその火を消したり。
五大元素による魔法、地・水・火・風・雷は得手不得手があるものの全ての人が等しく扱うことが出来るのだが、その五大元素に関わらない、魔法というよりは奇跡と言われる部類に近い唯一の力がある。
それが神の紋章と呼ばれる紋章を持つ聖女と呼ばれる存在だ。
五大元素では決して行うことが出来ない怪我を治したりする癒やしの力や加護を与える一種呪いのような力を持っているというその唯一無二の存在はラビュリントス王国建国の折に現れた聖書にしか載っていない幻の存在だ。
掌に浮かび上がった特別な紋章と、五大元素とは全く異なる異質な力を有していたという伝承のある聖女は王国では古くから信仰の対象となっており、教会では神と同列に崇められている。
魔法教育を主とするラビュリントス学園は力の在り方を学ぶ場でもあり、伝説的な存在だとしても唯一無二の異質なモノは差別や偏見、争いを産むことがあると聖女の素晴らしさと同時に危うさの講義を入学したら必ず受ける。
その危うい存在である聖女が私だっと力なく答えるアリアドネにクリスティアは確かに容姿は聖女と言われても相違ないけれどもその存在は偶像だと思っていたのですっかりその紋章に驚く。
「私はこの世界でいうところの聖女なの、ラッキーガールなの。尊い存在なのよ。凄いって褒めて欲しいくらいだわ。そんな尊い私はクリスティア・ランポールにとって民衆の絶対的な支持を得る邪魔で目障りな存在だったの、だから何度も殺そうとしてくるのよ」
「まぁまぁ!」
「例えあなたが殺そうとしなくても聖女だって正体を知られたら私が邪魔だと思う人は少なからず居るわけでしょ?現にアリアドネの糸では私の正体が知られたときにはあなた以外の悪い奴らからも誘拐されかけたり命を狙われてたし」
ヒロインだから仕方がないっていうのは分かってる。
物語には危険があってこそ攻略対象者達とのときめきが生まれ、試練があってこそそれを乗り越えるためにゲームへの課金が生まれるのだ。
アリアドネだって前世ではその悪役ホイホイにときめいていたし課金もしていた、宝くじが当たったらこのアプリを作った会社を乗っ取って自分の好きなようにキャラを作るんだって夢に描いていた。
けれどもいざこの世界で自分が聖女という肩書きを手に入れ人と違う人生を歩むのだと理解したとき恐怖しかなかった。
癒やしの魔法を使える聖女は信仰の対象なのでまず教会が放っておかない、アリアドネを手に入れるためならば多少強引な手段を使うだろうしそれは即身仏エンドというバッドエンディングの一つのルートだった。
政治的観点から見ても聖女とは交渉道具になる格好の餌食なので他国で監禁衰弱エンドなんてざらにあった。
「そうですわね、危険な目に遭うこともあるかも知れませんわ。あなたが聖女であることをご存じなのはどなたかいらっしゃるのかしら?」
「誰も知らないわ、私は私が生まれた瞬間から転生者だって知ってたし両親にすら黙ってたもの。平穏無事に過ごしたいんなら知られたっていいことないからね。ゲームではそれを悪い奴らに知られたばっかりに両親殺されちゃったりして孤児院育ちだったし、今あなたに言ったのが初めてよ……悪役令嬢に最初に言うことになるなんて思わなかったわ」
「賢明な判断ですわ」
ならば暫くは命を狙われるようなことはないだろう。
このまま聖女であることをアリアドネが隠し続けるのならばそれこそ永久に命を狙われるようなこともないかもしれない。
それはそれで事件が起こらないことにクリスティア的には残念ではあるのだが。
「ではお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なによ?」
「誰がお好きだったのですか?そのアリアドネの糸の中で」
「えっ!?」
「よろしければ、わたくしあなたとその方が仲良くなれるようにお手伝いをさせていただくことも出来るでしょう」
「えぇ!?」
まさかの提案に驚き目を見張るアリアドネの顔。
生まれてから今まで死なないために攻略対象者達を避け、聖女であるということを隠し、アリアドネの糸というゲームから逃げてきたきたのだろうが、そこから逃げられないかもしれないということをこの度の事件で知り、憐れにも敵だと信じていたクリスティアに縋ってきたのだ。
事情を知ったからにはこの憐れな子羊を救うのも一興。
もしかしたら本当になにかしらの事件に巻き込まれてその事件を解決出来る恩恵にあやかれるかもしれないという期待が8割以上クリスティアにはあるのだが、それとは別に丁度良いタイミングで現れた鼠を使わない手は無いと……彼女をどう上手く動かすかの算段をするかのような笑みをクリスティアが浮かべたところで、横からその笑みを訝しんだ声が掛かる。