よく晴れた、とある春の日に
夜の森。そこを一人の少年が走っていた。
明かりなど、月の光しかないのにも関わらず少年は走り続ける。息は荒く、身にまとった衣服は枝によって所々が裂け、その下の皮膚も傷つけられてボロ布同然の上着には血が染みていた。
空気も、風もそれほど冷たくはないのに動き続ける脚は震えている。下手をすれば、足がもつれて転んでしまいそうなぐらい不安定な走り方をしていた。
少年の顔には怯えと恐怖の感情が塗りたくられている。
時々、ぎこちない動きで後ろを振り向いてはどこかも分からぬ方向に走り続ける少年は、森に肝試しにしに来た少年たちの一人だった。今となっては、彼一人しかいないが元々は五人程で来ていたのだ。しかし、気がつけば一人、また一人とどこかに消えていってしまった。正体不明の恐怖に駆られた彼らは、自分達を襲う"あれ”から逃げようと文字通り死にものぐるいで疾走していた。だが、やがて残った二人のうち一人も空中へと消えていった。
冷静に考えれば有り得ないはずの現象にあった為か、彼の正気はもはや崩壊寸前だった。今にも叫んでしまいたかった。叫んで助けを呼びたかった。
しかし、それが無駄と理解できる正気は彼にはまだ残っている。
そして、その正気が残っている自分が何よりも恨めしかった。"あれ”を見てしまった時に、正気を失っていればこんな生き地獄を体験しなくても済んだのに、あいつらみたいに一思いに楽になれたのに。
もはや、彼の思考には生きて帰るという目的は薄れつつあった。代わりに彼の中で芽生えつつあるのは、どれだけ長い時間、"あれ”から逃れられることができるのか、という目的になっていた。だが、その矛盾に気付くことはなく、気がつく前にそれは現れた。
その時、彼の頭上で空気を叩く音がした。
「ひっ……!?」
音は彼の頭上を越して、さらに先へと向かっていく。
少年は察した、否、察してしまった。
分かりきっていた、猛獣の檻に入れられたエサが逃げられるはずなんかないと。そして、自分は逃げていられたのでない。
気まぐれで、生かされていただけだった。
そして、正面から現れた"あれ”は、少年の両肩をそれぞれ掴むと、空高くへと舞い上がっていった。少年の最後の声となった断末魔と共に。
最後に、彼は思う。
こんな森、来なければ良かった。大人しく、家で家族と過ごしていれば良かった。
生きて帰れたなら、今度こそ真面目になって真っ当な人生を送りたい。こんな、死に方なんてしたくない。
老いて死にたかった、死にゆく自分を見送ってくれる家族に囲まれたかった。
なのに、なのに、こんな死に方、あんまりだ。
後悔と共に、彼の体と精神は地へと落ちていった。
富多羽翔太郎という高校生の一日は早い。
六時半手前にセットしていた目覚ましが鳴る数秒前に起床し、鳴り響く目覚ましを拳で叩きつけながら着替えを済ませる。そして、朝食を食しながらテレビのニュースを確認し、完食したら歯を磨き、学校へ持っていく荷物を確認してから出発する。
至って普通の学生の朝を迎えた彼は玄関を出て、数十分かけて高校へと向かう。
高校生活が始まってから数ヶ月ほど経ったため、既に季節は春から夏へと歩を向け始めていた。そのため、ほんの2週間前はブレザーを着ていた生徒が多かったのに、今となっては前のボタンを外しても暑さは克服できないのか、衣替えの日を待たずしてワイシャツ姿で登校する生徒の方が多く見受けられる。
と、校門を抜けて校内へと向かおうと正面玄関に足を踏み入れた少年の耳に、気になる話が飛び込んできた。前を歩いているのは、上級生の二人の男子生徒。片方の男子生徒が、もう一人の生徒に話していた。その話しかけている生徒の顔は何やら浮かない表情をしている。
「アイツらどうなったと思う?」
「あいつら?」
「ほら、昨日吾田山に肝試しに行ったヤツらだよ。なんか連絡つかないらしくてさ」
「どうせ、企画かなんかだろ」
「そんな訳の分からないことするか?」
少年の前を歩いていた二人は、そんな不穏なことを口にしながら二年の教室へと向かっていく。
それは、度々噂になっていた少々ヤンチャな連中の話だろう、と適当に富多羽は。先輩ではあるのだが、部活などを通じて一年の方へも情報がやってくるため、あったことはなくともそれなりに彼らのことは知っていた。
そんな彼らは、有名は動画サイトに投稿したりしてそれなりに知名度もあったグループだった。
…と、ここまでは知っていたのだがそれから先はさっぱりなのだった。
そんなこんなで、富多羽は教室の前へとたどり着いていた。彼はスライド式のドアを開ける。その先には、数人が談笑を…というには少々表情に明るさがない…していた。
教室に入ってきた富多羽に一人が気付くと、彼に声をかけた。
「よ、翔」
「おう」
富多羽が応える。
「翔、昨日の関東ラバーズ見たか?」
関東ラバーズというのが、その先輩たちのグループの名称らしい。関東に住んでいないのに、関東と名をつけるのはいささか疑問が生じるが、今は考えないようにした。
「いんや、見てない。それがどうした?」
「昨日のライブでさ…」
そのクラスメイトは小声で言う。
「出たんだってよ。マジなやつが」
「出たってなにが?」
「分かんねえよ。とにかく、こいつを見てみろよ」
彼は富多羽に手に待っていたスマートフォンの画面を見せた。そこには深い森の中をスマートフォンのライトだけで闊歩する少年達が映っていた。ギャーギャーと騒ぎながら、山の奥へ奥へと進む彼らは、突如として異変に見舞われる。先行していた少年の一人が顔を青くしながら戻って来たのだ。彼は、バケモンを見たと、震える唇から繰り返している。それを他のメンバーは一蹴すると、再び歩き始める。バケモンを見たと言っていた少年は、そのまま帰っていく。
そして、再び異変が起きた。
今度は目の前にいたメンバーの一人が消えたのだ。
何の前触れもなく、彼は消えた。いや、正確には兆候はあった。彼が消える寸前、強風が吹いたのだ。だが、ただそれだけだった。
動画を撮っていた少年は、イタズラかなんかだろうと震えを混じらせながら言う。
だが、彼が話しかけようとしていた少年は振り向いてもそこには居なかった。
今度こそ、カメラワークも気にせずに彼は叫び喚いた。そして、必死となって来た道を戻ろうとする。
残り二人となり、冷静な判断が出来なくなっていたのか、片方の一人が転んで、手を向けて"助けてくれ”と乞うてもカメラの少年は見向きもしないでただがむしゃらに走り続ける。
数秒後、カメラは地面ではなく空を移していた。風切り音から察するに、カメラ自体が高速で移動しているのだろうか。カメラの少年が、この歳の人間が出すとは思えない甲高い声で叫びを上げる。それはまるで、発狂でもしたかのようだった。
叫びと共に、視点がぐわんぐわんと上下左右に揺れる。やがて、視点が定まったと思えば数秒後には映像は途切れてしまった。恐らくだが、スマートフォンが地面に落下して破損したから映像が途切れたのだろう。
スマートフォンというのは、余程のことが無い限りは壊れることはない。ここで言う、壊れる、というのは本体の機能が機能しなくなることである。人間の手から落ちるだけでは、良くて傷、悪くて画面が割れるぐらい。つまり、ただ落ちただけで破損したということは、余程の高さから落下したということになるのではないのだろうか?
「…なんだ、これ?」
若干、顔を引き攣らせながら富多羽は言う。
「だから、マジなやつだって。…でも、さすがにイタズラだと思うんだよな」
「イタズラ?」
「最近サイトの規則が厳しくなって、あんまりドッキリらしいドッキリが出来なくなったみたいじゃん。だから、ドッキリって分からないドッキリなんじゃないかって、コメント欄で言われてんだけど…」
ここまでやって、ドッキリでしたで済ませるには些か無理があるのでは無いのか。…逆に考えれば、そうであって欲しいという彼のようなファンの願いからくる考えなのかもしれないが。
その後、富多羽は自分の席に向かうことにした。
彼の話を聞いているのは、少しだけ疲れる。疲れるということ自体に問題はないのだが、今は朝であり、今日は一週間の折り返し地点である水曜日なので、あんまりそのような神経がすり減るような話は少し避けたい…という所であった。
だが、やはり気になるものは気になる。なにぶん、富多羽翔太郎という人間はそういった類の話には浪漫を感じるヲトコの子なのだから、しょうがない。
普段は本やテレビの向こうでしか起きえない異変が身近に起きているのだ、心が踊らない訳が無い。
だが、人が数人行方不明になっているからなのか、踊りかけていた心は直ぐに沈んでしまう。
しかし、彼らを襲った異変が気になるのも事実。その異変が何なのか動画を見ただけでは何とも言えないが、予測だけするなら誘拐や集団自決という考えが出てくる。しかし、誘拐とするなら一人一人を個別に攫うなんて非効率すぎる、大人数でまとめて攫った方が遥かに現実的だ。それに加え、カメラを使ってライブ配信している彼らを狙ったところで自分達に利益がないのも承知のはず。何せ、それなりに人気なグループだ。ライブを見ている人間の数は大勢いる。つまり、それと同じ人数の"目撃者”を作ることになる。目撃者が多ければ、それだけ捕まる可能性が高くなる。
山奥で誘拐をするなら、それなりの計画性が必要だ。捕まる可能性を考慮しないなんてことはないはず。
よって、誘拐の可能性は低いと考えても良いだろう。
集団自決に関しては、わざわざライブにする必要性がないと少年は思う。それに、今日死のうと思っている人間が『明日、何食べよう』なんて言うだろうか?
そして、脳裏を過ぎったのは、
(神隠し、か?)
だから、と言ってはアレかもしれないが、考えうる中で最も非現実的な"神隠し”が彼らを襲った現象に最も近かったと結論づいた。
一瞬だけ、目を離しただけで人間が消えるというのは日本では昔からある話だ。狐に攫われた、謎の力で異世界に連れ去られた、などのおとぎ話のような話なら全国各地に伝わっている。
ただ、現代ではそういった事象はおとぎ話ではなく、
(けどなぁ…あれって確か人攫いとかだったっけな)
が、問題なのはその解明された内容である。
現代的で起こる、神隠し、というのは大半が凄惨な事件である。
例えば。
幼い少女が神隠しにあった、しかし、一週間後に彼女は遺体で発見され、この神隠しが父親による保険金目当ての殺人事件という事が判明。
幸せそうな一家とペットが忽然と姿を消した。家には朝食の準備もなされていた。まるで、数時間前まで家にいたかのように。しかし、一年後ダムの底で一家とペットの遺骸が発見された。後に無理心中と断定される。
ある少女が失踪、母親から被害届が出され警察が必死となって捜索するも、発見には至らなかった。十年後、ある男性の家で保健所の職員が監禁されている女性を発見、それが十年前に失踪した少女だと発覚するのに時間はかからなかった。
と、このように現代の神隠しというのはハッキリ言ってロクなものが何一つない。
…しかし。
何かが違う。
少年の心のどこかで、何かがそう囁く。
導き出した"神隠し”というのは、あくまでも結論である。つまり、これは正解ではなく数ある答えのうちの一つなのだ。
ここまで考えたなら、他の答えを探したい所だが…。
不意に、6時限目の終了を知らせるチャイムがなった。
言うまでもなく、富多羽は学生である。
真実を求める時間は彼には無いのであった。
放課後、いやに長かったホームルームを終えて少年は校舎の廊下を歩いていた。
富多羽翔太郎は高校生、それも入学したての一年生だ。なので、当然部活に所属している。今はその部室に向かっている最中だった。
彼は全学年の教室がある新校舎から、旧校舎へと向かう。各校舎の3階同士を繋げる渡り廊下を通り、階段を降りて下駄箱から一番遠い所にある部屋。
そこが映像部の部室だった。
立て付けの悪いスライド式のドアを開けると、部屋の中には二人の生徒が部屋の中央にある会議用のテーブルの周りに置いてあるパイプ椅子に座っていた。
「お、翔。遅かったな」
会議用のテーブルに足をのせながら、大柄の少年━━太山 征弥が片手を上げながら言った。
そんな征弥に富多羽は、
「悪い。…って、もうそんな時間だっけか?」
と、怪訝な顔をすると、上げかかっていた右手を止めて言った。
「いんや、適当に言っただけ」
「張り倒すぞ」
そんなくだらないことを話す二人の男子に、もう一人の生徒がこんな事を言った。
「でも、四時は超えてますよ?」
小柄な女子生徒━━戌井 一子は落ち着いた柔らかい声で言う。
「「マジか」」
お前が驚いてどうする、と富多羽は征弥にツッコミを入れる。
四時、もとい午後十六時は殆どの部活が活動を始めている時間帯だ。本当なら、数分前には部活動は開始してないと学校の規則的にはまずかったりする。しかし、この部活は顧問も見に来ず、精力的に活動している訳でもないのでそんなことはあまり気にしない方針だったりする。
「そういえば翔さん、涼花さんを見ましたか?」
「涼花?いいや、見てねえけど。あいつ来てないのか?」
「はい、連絡がなかったのでもしかしたらと思いまして…。何か聞いてませんか?」
「俺んとこには何にも…」
と、その時。
ガラガラ!!と、部室の扉が勢いよく開かれた。
それとともに、
「すいません、遅れましたぁぁあ!!」
声と同時に入ってきたのは一人の女子生徒だった。
雉子島 涼花。それが彼女の名前だ。短い髪に、若干短いスカートに前のボタンを外したブレザー。見た目からは想像はつかないが、実は成績は優秀な方の彼女は部室に入ると同時に、膝に手をつき荒い息を吐いていた。それをみるに部室に来るまで校内を全力で走っていたのだろう。
「何かあったんですか?」
小首を傾げながら、一子は訊ねた。
涼花は息を整えると、
「課題提出すんの忘れててさ。呼び出し食らってた」
小恥ずかしそうに言う彼女に、男子二人が言う。
「なにしてんだよ、ゆうとうせー」
「そーだ、そーだー」
「うっさいな。仕方ないでしょ、期限聞いてなかったか、ら…」
そこで、彼女はハッとなって口を塞いだ。
「…コイツ、自分から話聞いてなかったの自白したぞ」
「墓穴掘ったな。…ドンマイ」
ギリギリと拳を握り締めると、彼女は主犯の口封じのために武力行使に出た。
「や、止めろよ。冗談だって、な、なぁ分かるだろ?」
「分かってるけど、それが?」
まるでホラーゲームの鬼のようなオーラを放ちながら、彼女はジリジリと富多羽に近づく。
「救いはねえのかよ!?あ、そうだ。な、征弥助けてくれよ」
「…俺、女には手を出せねえんだ」
「ハハッ。いい冗談だな。こいつのどこが女…」
少年の頭に鉄拳が下った。何度も、そう何度も。
数分後、ボロ雑巾のように成り果てた富多羽をそこら辺に放っておくと、彼女は思い出したように言った。
「そうだ。さっき、こっちに来る時に佐々木先生が…」
「どうせなら、前日に用意してから行きたかった」
三脚を肩に担ぎながら富多羽は愚痴を吐いた。
現在、四人は高校の裏にある吾田山を登っていた。
ちなみに彼の隣には征弥が、その後ろには一子と涼花が隣同士で歩いている
「前から企画してた話が、少し早まっただけだろ。何も問題ねえさ」
何が入っているか本人も分からない銀色の箱を担ぎながら、太山は言う。
「気分的には問題あるの」
なぜ彼らが、山の中にいるのかというと。単純に部活動をする為である。
入学当初、人が少なく、そこまで本気でやるような所ではない部活を探していたある四人は、無人の映像部の部室のドアを同時に叩いたのだった。
まさか、こんな都合に都合のいい事になるとは誰も予想していなかったのだが、どうやら、ここになってツケが回ってきたようで書類上だけの顧問から、何か活動を行わければ部室は使わせないとの脅しがかけられたため、こうやって山へと足を運んでいる訳である。
具体的には、何かの撮影をしに。
もっと具体的に言えば、被写体を探しに。
全員、映像などの知識はゼロに等しいため、これは行き当たりばったりの活動となるのは明白だった。しかし、彼ら的には何か撮るだけで大丈夫だろう、ぐらいにしか考えていないのも事実だった。
因みに現在の目標は、山頂に辿り着くことだった。
幸いにも、頂上までの道は整備されていて道の所々に木材で作られた階段のようなものがひかれていて歩きにくさはまるで感じない。
「そういや、この山で何か起きたらしいな」
唐突に、征弥が口を開いた。
「何かって、何だよ?」
「ほら、なんだっけな…ほら、あれだよ、何だかラバーズとかいう奴らが…」
こめかみを人差し指で抑えながら征弥は言う。
そんな彼に一子は言った。
「それって、確か動画の投稿をしていた先輩たちの事ですか?」
「多分、それ。というか、犬井が知ってるのは何か意外だな」
「クラス中がその話でもちきりでしたので、だいたいのことは耳に入っているんです」
「そりゃ、あんな事もありゃ当然っちゃ当然か…」
「なにそれ?」
と、一番後ろを歩いていた涼花が首を傾げた。その様子だと、例の事は知らないのだろう。
そんな彼女に富多羽は説明をすることにした。
「昨日、この山に肝試しに来てた先輩達がいて。その様子がライブされてたんだけどさ」
「今どき流行りのYouTuberってヤツね」
そ、と富多羽が頷く。
「で、そのライブ中にメンバーが消えた」
「消えた。…え?それって、企画とかじゃなくて?」
「違う。…とも言いきれないけど、多分、違う。戻ったら見せるつもりだけど、その時の動画がだいぶホラー映画じみてたんだよ」
「ホラーじみてた…って、どんなの」
「一言でいうと」
「うん」
「ジャパニーズ・ホラー」
「………そっちか。そりゃ、話題にもなるわ」
納得したのか、彼女はそれ以上何も喋らなかった。
そっちか、というのは具体的にはどうゆう意味なのか。と、少年は気になって、それはどういう意味だ、と聞こうとした瞬間。
「わ、あわっ!?」
突然、涼花の横を歩いていた一子の体が斜めになってバランスを崩したのだ。
彼女の異変にいち早く気付いた征弥は咄嗟に振り返り、屈むと彼女の腹に手を伸ばす。
一子の顔と地面との差がわずか10センチというところで、彼女の体は止まった。
間一髪、征弥が脇に抱えるように彼女を支えたのだ。
「ありがとうございます…」
すっかり青ざめた顔で、一子は感謝の言葉を言う。そんな彼女に、「一子ちゃん、大丈夫!?」と涼花が駆け寄って、肩に手を置き。富多羽は、彼女が落とした荷物を拾いはじめる。
「怪我はねえか?」
よいしょ、と征弥は彼女の体を起こす。
自らの体を見回すと一子は自信が無さげに言う。
「多分…ありません」
そして彼女は再び、今度は安堵の表情を浮かべながら「ありがとうございます」とちょこっと頭を下げて言った。
と、その時。
一子の足元に、彼女の荷物に混じって一つ見慣れないものが落ちているのに富多羽は気付いた。
「ん?」
気になって、それを手に持ってみる。幅が薄く、長方形のソレはよく見ると、最新型のスマートフォンだった。が、画面は蜘蛛の巣のようなヒビが入り、若干だが、本体が曲がっているようにも見える。まさか、彼女はこれを踏んでバランスを崩したのでは無いのだろうか?
「なぁ、わん子。これ、お前のか?」
一応、富多羽は聞いてみた。
わん子、とは一子の渾名だ。一=1=one=ワン=わん、なのと、彼女の苗字が"犬井”なので勝手にそう呼んでいた。もっとも、そう呼ぶのは富多羽ぐらいしか居ないのだが。
そんな一子は、富多羽の手の中にあるスマートフォンを見ると首を傾げて言う。
「いいえ、違いますよ。私のは…」
これですから、とブレザーのポケットから手帳型のケースに入ったスマートフォンを取り出して、それを富多羽に見せる。
「じゃあ、涼花のか?」
涼花の方を振り向きながら言うと、彼女は首を横に振る。
「征弥は…って、お前のはケースが青のだったな」
と、なるとこれは誰のだろうか。そう思いながら、富多羽は手の中に収まるスマートフォンを眺める。
「電源、つけてみれば?」
涼花が提案すると、富多羽は頷く。
ホームボタンを押す。
反応がない。
ダメ元で電源ボタンも長押しする。
うんともすんとも言わない。
「ダメだ、つかない」
本格的にどうしようか、と富多羽は考え始める。
「なら、放っておきゃ良いんじゃねえの。壊れた携帯なんて誰も欲しくないだろうしよ」
そう言ったのは征弥だった。
彼の言葉に、それもそうか、と頷くとそっと携帯を道の端に置く。この有様では、SDカードを初めとした中の替えのきかない部品の無事は願えないだろう。
して、再び四人は山道を登る。
しかし、富多羽にはどこか引っかかるところがあった。…考えたくもない想像が、富多羽の頭に浮かぶ。もしかしたら、そう、もしかしたらだが、あのスマートフォンは昨晩この山に来ていた彼らを撮していたスマートフォンではないかそのものではないのか?
そんな、嫌な想像が浮かぶ。流石にそんなことはないだろうと自分に言い聞かせるが、効果は得られそうにない。
その時から、富多羽に悪寒が襲い始めていた。
拭えない疑問と恐怖…自分たちも彼らと同じ道を辿るのでないかと言う恐怖…それらの恐怖が徐々に少年の体にまとわりつきはじめていた。
やがて、山頂に辿り着くと四人は持ってきた学校の備品のビデオカメラで周囲を撮り始める。もう一度言うが、彼らは撮影の技能は持ち合わせていない。なので、適当にとって良いのが撮れたらいいなー的な邪悪な思想が彼らの中で蔓延っているのだった。
無論、満足のいく物が撮れるはずもなく。彼らは路頭に迷うことになった。
どうしようか、と口を揃えて四人は言う。あーだーこーだ、と話し始めた三人を横目に富多羽は手の中にある自分のスマートフォンの画面に目をやる。現在、午後四時半。学校からこの広場まで来るのに十分もかからないとは予想外だった。
「…ちょっと、そこら辺歩いてくる」
気分転換のつもりだった。そう言って、ふらふらと山頂の近くを富多羽は歩き始める。
吾田山というのは、不思議な山だ。登り始めた時は、周囲には背が高く幹の太い木々が連なっていたのに、しばらく進めば木々ではなく巨大な岩が代わりに連なっている。山頂とは言っても、それは名称だけで、実際には森林地帯と岩山地帯の境にある、最も見通しが良く広場のようになっている空間が何故か"山頂”と呼ばれているのだった。
そんなこんなで、見通しと景色だけは良い道を歩いていると、ふと、
「……?」
奇妙な臭いが鼻をくすぐった。
何か、鉄のようで…どこか、生臭さも混じっている。
その正体を掴もうと、少年は周囲を嗅いでみるが、既にその臭いはどこにもなかった。
気のせいか?と、特に気にとめずに少年は奥へと向かう。
やがて、山頂から少し下った所まで来ると再び、あの異臭が彼の鼻を抜ける。
今度は、より一層強烈になって彼の鼻をくすぶった。
加えて腐臭のようなものまで混ざっているようにも感じる。吐き気…までとはいかないが、相当な不快感が彼を襲う。
彼の中の辞書では、これに近いものに調理中の魚類があった。取り出されたはらわた、シンクに飛び散る赤黒く変色した血液。そんな光景があるところでしか感じたことのない臭い。しかし、それは似ているだけであって、この臭いとは本質的に違うのは明確だった。
何せ、ここは海から離れた山の中。それにこんな山奥で魚を調理するモノなんて居ないはずだ。
彼の中では、好奇心もより一層高まっていた。
ここまで来ればこの臭いの正体を知りたい。正体を知らないままだと、後に後悔するに決まっている…。そんな、考えが富多羽の頭に浮かぶ。
周囲の光景もだいぶ変わってきていた。
視界が良いとは言えない森の中。その光景の中では、人の頭程のサイズから、小型車ほどまでの大小様々な岩石がそこら中に転がっている。岩石の表面に根を広げて根付いている植物も少なくはなかった。
もう少し進むと、"それ”は見えた。
いくつもの大きな巨石が不自然な状態で森の中に集められていたのだ。
巨石は平均して、二メートル程の大きさのものばかりだった。並べられた巨石には見た限りでは隙間がなく、それが一層、ことの不気味さを醸し出していた。
それは飛鳥時代などの高名な人間の墓で知られる古墳、それも石舞台古墳と呼ばれる古墳を連想させた。
心臓の心拍数が上がる。これがどの感情から来るのかは少年には不思議と分からなかった。が、少なくとも、喜びのような感情ではないのは確かだというのは分かる。
ふと、少年は隙間のないと思われていた巨石群の間に入口のような空間を見つけた。少年が近づくと、そこから覗いたのは赤い…それに少しさびているような鉄製の……。そこから先は、日の光が届いておらずよく見えない。
もう少し近寄って、彼は見てみる。
人ひとりが通れそうな隙間…そこから覗いて分かるのは、巨石はひとつの空間を囲むようにして配置されていることだった。そして、鉄製の何かは工事現場にあるような赤い鉄骨だった。それが何本も、何本も地面から生えるようにして突き刺さっていたのだ。
なぜ、この森の中でこんな物が?と疑問に思いつつも少年はゆっくりと入口へと足を運ぶ。
異臭のせいで胃の内容物が飛び出そうになり、富多羽は咄嗟に口元を手で抑える。
だが、好奇心というものは何があっても止まらなかった。
その時、木々を通り抜けたオレンジ色の夕陽が隙間を照らした。
直後に瞳に映った、それを見て少年は絶句した。
腐った肉のような臭い、それに釣られて集る羽虫、まるで鳥の巣のような構造の巨石の配置。
他の生き物なら、本能に従って逃げてしまうようなこの状況で彼は見た、…見てしまった。
長さ5m程の鉄骨。その根元を見ると塗料か何かが垂れたような模様が浮かんでいるのが分かる。鉄骨に塗られた塗料とは違い、模様は赤黒く見え、薄暗いその空間でも浮いていた。それを徐々に上に向かって目で追うと、
それはあった。
最初に見えたのは、太めの木の枝のようなもの。先端には五本に分かれた枝がそれぞれ伸びている。しかし、その色は薄い肌色…まるで人の腕のようだ。いや、マネキンのような生気のない腕が空中に投げ出されていた。
不思議だ。
何で、こんな所にマネキンがあるのだろう。
現実から逃げようとしていた少年の脳は、マネキンの腹を見て正常に戻される。
胴の中央には鉄骨が突き抜け、服は真っ赤に染まり、腹部からぶよぶよとして赤黒く変色した内臓がはみ出している。マネキンには内臓はない、そんな現実でさえ疑いたくなる。
視点をゆっくりと上に動かす。
そのマネキンの目は、まっすぐ少年を、見ていた。
マネキンの全体を見回す。生気のない手、めちゃくちゃのなった腹部、それを見れば嫌でも現実を突きつけられる。
そこには━━━
そこには、串刺しにされた人間の死体があった。
どーも、初めまして筆者の猩猩といいます。
後書きで何書けば良いかよく分からないので、適当に一つだけ小話をしたいと思います。
このお話自体は思いつきで書き始めたもので設定がまだガバガバな所もありますが、今後のお話の内容自体は大まかに決まっていたりします。
それと、この四人の高校生達。実はこの四人はモチーフが存在します。
それは"桃太郎”です。
そうです、あの日本で最も有名なおとぎ話である桃太郎が彼らのモチーフ元です。
どこが?と思うかも知れませんが、それもそのはず、何せ元にしたのは名前ぐらいですので。(・ω<)
例えば、一番わかりやすいのは戌井 一子ですね。そのまんま、桃太郎の"犬”です。
それと雉子島 涼花も、そのまま"キジ”です。
ただ、分かりづらいのが太山 征弥だと思います。元は"猿”なのですが、どちらかと言えば彼は猿と言うより、イメージ的にはゴリラに近いので、ゴリラの和名"大猩々”から、猩という文字だけ取り、それを別の読み、つまり猩にしてから、征に変換して名前に組み込みました。
……書いてて思いましたが、これモチーフで良いんですかね?何か違うと思うのは気の所為でしょうかね。
それと、最後にこの回の主人公、富多羽 翔太郎です。彼は、桃太郎の太郎をそのまま取ってつけただけです。ハイ。それだけです。
ぶっちゃけ、名前以外に元にしたのはありませんし、戌井の子犬属性以外に動物要素持った人間もいません。
最後に、この回では富多羽がメインでしたが、それはこの異変だけです。次の異変には、他の誰かが別の異常に追っかけ回されることになります。
何が言いたいかといいますと、このお話では富多羽 翔太郎、雉子島 涼花、戌井 一子、太山 征弥の四人が主人公なのです。お話の中でも四人のうちの誰か一人でも掛けてしまえば異変に立ち向かうことは出来ません。
とまあ、そんな感じです。
それでは、今回はこれで。
こんな小説をよんでいたありがとうございました!!
それと、自分は誤字や脱字を探すと、見落としをしてしまうことがあるので、もし、見つけてしまったら報告して頂けると幸いです。
では、また次のお話で!!