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コインシデンス  作者: 裏地見ル 玲人
第二章 第一部 極東革命
9/14

第六話 大日本帝国敗戦

いよいよ第二章突入です

第二章は過去編がメインです。

作品の感想などありましたらぜひ‼︎

「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、もつて…」

昭和天皇裕仁のこの玉音放送で、大日本帝国は連合国に無条件降伏を行った。1945年8月15日のことだ。しかし、領土欲の強かったスターリンはこれを拒否。満洲や樺太、千島などに侵攻した。ソ連軍は陸軍が強く、9月には北海道の北半分を占領。10月には仙台を陥落させた。こうした状況を見て日本の赤化を危惧した米国は、新潟に進軍しつつあったソ連系の朝鮮人パルチザン部隊に対して原爆を投下。新潟一帯は焦土と化した。アメリカの本気を見たスターリンは進軍を停止させ、東北地方までを占領下に置いた。ソ連占領地区では早々に人民政府が作られ、独立の準備が整えられていった。アメリカ占領地域では、共産主義活動家の解放要求を無視できず、日本共産党員や左翼人士を解放。彼らが続々とソ連占領地域に流入し、日本連邦人民共和国の礎が築かれていった。この時流入した左翼人士と、ソ連の捕虜となった日本兵を中心に結成されたのが、日本人民労働党である。日本人民労働党はソ連に亡命した左翼人士や、占領下の北海道に移住したロシア人らを党員に加え、占領下で日本人が選挙権を有さない時に行われた選挙で人民議会第1党となり、そのまま与党に居続けている。西側占領地域にも支部を作って同志を集め、来るべき革命の日に備えて活動していた。こうした状況下の1946年2月、ソ連占領地域では日本連邦人民共和国が建国された。旧樺太庁領域に設置された樺太人民共和国、千島列島に設置された千島人民共和国、北海道と東北に設置された日本人民共和国で構成され、札幌が首都とされた。1946年5月には旧日帝支持者3万人をアメリカ占領地域に追放して国内を固め、1946年8月には再軍備が宣言され、人民軍が創建された。人民軍はソ連軍の完全なコピーで、軍事顧問団がソ連から派遣された。領土各地にソ連軍が駐留し、ソ連の衛星国としての歴史を歩み始めた。全世界のソ連占領地域でも同様の事態が発生した。バルト三国では労兵ソビエト政府が成立し、ソ連に加盟した。東欧諸国は概ね、反ファシスト戦線系政府を乗っ取る形でソ連の衛星国となった。例外はハンガリーで、1918年に成立した評議会共和国が再建され、ソ連に加盟した。そのため、中東欧を見張るための大規模なソ連軍基地が建設され、軍事的重要性が増した。ドイツでは米英仏占領地域で行われた投票で東部への合併が決定され、全土がドイツ民主共和国領となった。朝鮮やベトナムでは北部に人民政府が成立する一報で、南部にブルジョア政府が成立して分断が確定した。

このような状況のもと、関東以西の日本列島では、西側陣営の「大日本国」が成立した。天皇を象徴として戴き、近衛家が宮内大臣を世襲で務め、選挙で選出される首相が政権を運営するという一風変わった政府だった。この政府の成立は左右両派から反発を受け、幾度となくデモやクーデターが発生した。米軍の協力を得てそのたびに鎮圧したが、首謀者を拷問死させたり、無関係な民衆を巻き込んで殺戮したりしたため、民衆の支持を失った。日本連邦人民共和国はこの好機を見逃さず、日本共産党が中心となって、民衆に革命を呼びかけた。この宣伝は功を奏し、革命の機運は高まったが、スターリンは西日本人民への支援を拒否し、不満は燻り続けた。

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