第三話 笹塚教官宅にて
ちょっと時系列が入り組んでいますが、ご容赦を。
僕は、新東京人民広場まで行くために、地下鉄に乗った。他の社会主義国と違って、便利さだけを追求したこの国の地下鉄は、西日本が作った地下鉄と大差ない。
---------
同じ頃、第一人民高校では、竹村上級政治委員の訓示が行われていた。教職会議評議員はもちろんのこと、教員のほとんどが熱心に話を聞く中で、笹塚は一人、ぼんやりと窓の外を眺めていた。竹村上級政治委員は笹塚が話を聞いてないのを見つけて、注意した。
「同志笹塚、話を聞かないということは、党員規約5条に違反しますが。」
「聞いていますよ。同志竹村上級政治委員。ただ、家の母から連絡がありまして、早く帰って来いと。」
「同志、そうやって、自らの怠慢を正当化しようとしているのでは? だとしたら、党員規約7条に違反ですよ。すぐにでも党査問会を開きます。」
「いえ、私にそんなつもりはありません。ですが、母を放ってはおけません。」
「………。わかりました。今日は帰宅してよろしいです。ですが、明日、党新東京本部中央委員会まで出頭するように。よろしいですね、笹塚同志?」
「承知しました。」
笹塚は荷物をまとめると、そそくさと政治委員執務室を後にした。
---------
笹塚退出後の政治委員執務室。竹村は他の教員たちに訓示を続けていた。
「よろしいですか、同志諸君。今回の件は西日本の犬どもだけでなく、党内反動派が一枚噛んでいるようなのです。先ほど出ていった笹塚同志のように、党内反動派の息が掛かったものが一定数いる。この学校にもですよ。どんな些細なことでも構いません。生徒のことでも結構です。反革命の動きがあれば即座に、私か国山政治委員、尾崎上級中尉にご相談ください。私共すら信用ならないなら、党新東京本部中央委員会までご連絡ください。では、各員職務に戻ってください。定時には帰るように。」
竹村の訓示が終わってから、教師たちはぞろぞろと執務室を後にした。
カーンコーン〜…
定時を知らせるチャイムだ。
教職員たちは荷物をまとめ、各々帰宅の途についた。
---------
新東京人民広場にて
僕は暫し羽山を待っていた。だが、来ない。とっくに約束の時間は過ぎているというのに。LINEを使って連絡を取ることにした。だが、彼女からの返事は「山野さんと九条くんといっしょにいる」というだけ。何だろうか。僕は不満に思って、「先に笹塚教官の所に行く」とだけ返信した。山野さんと九条くん、この2人は僕もよく知っている。山野さんは近所に住む牧師の娘だ。山野アンナ、これが彼女の名前だ。一見するとロシア人移民の血を引くのかと思うが、彼女は歴とした日本人、しかも非党員の家の子だ。信教の自由が保証されているこの国でも、連邦を構成する共和国の首都であるこの新東京市では、ソ連の影響が強く、西側の主要宗教であるプロテスタントなど、信仰するだけで嫌われる。そんな街で牧師をやろうなんぞ、並大抵の精神力ではできない。事実、彼女も精神力は人一倍あった。そんな山野さんが羽山と一緒にいるのだ。不満なだけでない。羽山にはそんな人と一緒にいて欲しくなかった。
九条くんは新東京市の郊外にある、ヴァシレフスキー市に住んでいる。ヴァシレフスキー市は、ソ連の元帥だったヴァシレフスキーを記念して建てられた計画都市で、党幹部の子弟しか住めない。実際、九条くんの家は、人民労働党中央委員を何度も輩出していた。九条智志、これが彼の名前だ。九条、という名前で思い当たるんだろうけど、彼は日帝時代の貴族階級の出自だ。にもかかわらず、一族の1人が日帝時代に非合法だった旧日本共産党を指導していたからか、彼の曽祖父は戦後の極東革命期に革命政府の副議長を務めていた。彼はその出自故か、反動派によく頼られていたと思う。でも彼は筋金入りの共産主義者で、そのたびに共和国保安省に通報していた。だから僕は、彼がちょっとだけ怖い。でも彼は、何故か僕には優しい。何でだろ。
そんなことを思いながら、笹塚教官の家に行くために、僕は新東京ゴスメトロ勝利線の電車に乗っていた。この線は特殊で、地上を走る人民鉄道新東京線と乗り入れをしてる。だから、笹塚教官の家の最寄り駅までは割とすぐだった。大森駅で電車を降りて、駅の南へ7分ほど歩くと、笹塚教官の家に着いた。教官の家は普通の一戸建てで、この国で一般的な高層アパートではない。彼女が反革命分子の子女でありながら党員になったことの証明だ。大森地区は、反革命分子が新東京市内で一番多い地区だ。実際、彼女の父親は西日本のスパイをしていたために処刑され、母親は父親のそのことを聞いた直後に娘を置いて西側に亡命した。だから教官は党付属孤児院で育ち、党員になった。僕は教官の家に行く前に教官の経歴を調べた。本人にスパイ歴はなかった。だからこそ、羽山が誘ってきたときには了承したんだ。教官が何故、藤本副議長を詳しく知っているのか、知りたかったからだ。僕は教官の家のインターホンを鳴らした。
返事はない。
僕は不思議に思って、ドアを叩いた。中からは背広の上に水色のブレザーを羽織り、水色のスカートを履いた、中年の女が出てきた。
「何方様ですか。」僕は尋ねた。
「大和人民共和国国家評議会議員のエヴァ・マリインスカヤです。反動分子の笹塚満が起こした反動行為の調査に同行しているのです。笹塚明美も新播磨市で取り調べ中ですよ。笹塚明美に話を聞きたければ、新播磨市に向かうか、党中央委員会に申請を行ってくださいね。」
「大和人民共和国ですか、何故そんな遠くの方が…」
「疑問をお持ちなら、党中央委員会に問い合わせてください。貴方も党員だからわかるでしょ?」
「はい、それなら、もう一点だけ。」
「何かしら?」
「ここに新東京第一人民高校の学生は来てませんか?」
「さあ、見てないわねぇ。」
「そうですか、では失礼します。」
僕は教官の家を後にして、大森駅まで引き返した。
それにしても新播磨市なんて…
よりにもよってあんな所…
僕は、羽山にどう説明しようか、しばらく悩んでいた。