傾国①
剣道経験者必見!
久本佳奈が剣道を始めたのは6歳のときだった。幼稚園で一番仲の良い清美ちゃん、通称キヨちゃんは佳奈と遊んでいると突然帰ってしまうことがあった。
「もう稽古に行く時間だから」
キヨちゃんは週に3回、近くの道場へ剣道の稽古に行っていた。キヨちゃんとずっと一緒にいたい、佳奈にとって剣道を始める理由はそれだけで十分だった。
「剣道?この前まで卓球やるっていってなかった?」
当時、自分と同じ名前の選手が世界大会で活躍したのを見て卓球をやりたいと言い出した矢先のことだ。母親からいぶかしがられるのも無理ない。
「ううん、卓球はいいの。キヨちゃんと剣道する」
「ふーん。一度やるって決めたんだから、途中で辞めるのはなしだよ」
「うん!」
あとで分かったことだが母は卓球の元国体選手で、娘が卓球をするのを楽しみにしていた。
キヨちゃんが通っている多々良剣士会は東小学校の体育館を借りて稽古をしている。週3回の稽古はいずれの日も午後6時から8時まで。
剣道らしい稽古はすり足と素振りくらいで、大人たちが奔放な彼女たちに合わせるようにして教えてくれたので楽しかった。なによりキヨちゃんと一緒だ。剣士会は佳奈にとってこれ以上ない快適な遊び場だった。
明けて4月、佳奈はピカピカの小学一年生になった。そして剣士会でも面を装着して稽古に望むようになる。
子供たちは館長近藤《|》勉により面の付け方をレクチャーされた。後ろからママさん方が我が子の手伝いをする。近藤の「多少キツいくらいが丁度よい」との言葉で佳奈の面紐がキュッと絞められる。
「こんなの聞いてない、無理!」
佳奈は顔が締め付けられるのが嫌いで、紅白帽の顎紐ですらかけられるのを拒んできた。それが急にこんな重くてキツくて狭くて、視界もかなり制限される。彼女にとってこれ以上ない仕打ちだった。
近藤の号令で子供たちは2列になり、メン打ちとコテ打ちの練習を始める。しかし佳奈はただその場でオロオロするだけ。見かねた近藤は彼女の脳天をポコンと叩いて我に返らせた。
佳奈は面を外すと、真っ先に母の胸元に泣きついた。面の中の世界は孤独で寂しい。少女にとってはあまりにも残酷なものだった。
この日から稽古が近づくと発作を起こすようになった。病名は仮病。しかし母はこの病に対して名医であった。名医は佳奈がしきりにお腹が痛いと訴える場合、遅刻必至なほどノロノロと支度する場合、泣いてぐずる場合、これらすべての症状に対して引きずって道場に連行するという処置を施した。
佳奈から剣道をやると言い出したのだ。誰からの同情も得られることなく、毎度のように涙の道標を作った。
最近は女の子でもすごい良い剣道してますよね。普通に見てて男子に匹敵するくらい面白いという。