天使とタナバタの話
「タナバタ?」
聞きなれないその言葉に、人一倍理解力がなさそうな彼は首を傾げた。
「そうそう、どこかの国ではそういう催し事があるみたいだよ」
今日は初夏のとある日。外は少しばかり暑いから自室でのんびり過ごすのも悪くはない。糸で綴じられたボロボロの冊子を丁寧に捲りながら僕はそう言った。あまり雑に扱うと容易く千切れそうなそのページは掠れや劣化があるもののまだ中の読めるものである。そんな本どこで見つけたんだよと彼が問うのでぼんやりと記憶を辿り始めた。
それはほんの数日前、すっかり日が暮れた図書館の埃臭い特別資料室の中で発見したものだった。他の本とは明らかに雰囲気が違うどこか異国風のその冊子を何となく手に取りパラパラと目を通し、思わず声を漏らした。
「これは」
そこには見たことのない文字がぎっしりと詰められていたのだ。僕は怠けていても天使、人間の文字が読めないなんてことはあってはならない。文字なんか読めるように作られているはずなのだ。そうともなればこの冊子は。
「……異国どころか異世界の……」
「この世界の本じゃねぇって言うのか?」
そうこちらに問いかけてきた彼、セオルドは驚嘆の眼差しをこちらに向けてきた。
「そう考えるのが妥当かな」
この冊子の中で唯一読めたのはこちらの言語で殴り書かれた「タナバタ」という文字とそれが何かしらのイベントであるという記載だけであった。ジロジロと何やら見たげに彼はこちらを見つめてくる。その冊子をぽいと彼に向かって投げ飛ばすとそれはふわりと古紙をはためかせる。あまりにも雑なその行為に彼はあまり驚きもせず容易に捕まえてそのページをめくった。
「本当に読めないんだな」
ぺらぺらと数ページ、彼は呆れたような困ったような顔でそう呟く。横目でその文字を眺めるがやはり理解できる文字は一つも見当たらなかった。この世界に自分という存在が誕生して初めての体験である。天使という身で生まれて何不自由なく文字を読んで来た自分にとっては衝撃が少し強かった。はあ、と一つため息をつく。読めない、という状況が逆に少しずつ自分の知的好奇心をくすぐっているのがわかった。
「あいつのところに行くか……」
そう言い、部屋に隅にこぢんまりと居座る小さめの戸棚からゴソゴソとチョークを取り出し床に魔法陣を描き始める。何重もの正円の中に芋虫が這ったような特殊な文字をサラサラと書く。ここら辺は感覚がモノを言う。
「あいつってあいつだろ?なんで魔法陣なんか描くんだよ」
僕の作業を見ながらそう言う彼は大概に大雑把な性格であった。上着は脱いだら放り投げる、靴はしっかり揃えない。雑は彼の代名詞となり始めているだろう。彼に魔法陣を描くとかいうそういう細かい作業はあまりにも向いてない。そんなことを考えながら僕は問われた質問に答える。
「……今日は不調だから」
僕の言う「不調」は「寝足りない」の意であることはセオルドにも分かりきっている。今日は朝から学生の勉強に付き合ったりしてやっとのことで手に入れた自由時間。気温が上がり切った午後2時ぐらいであることが少し気に病むがそれも結局関係のないことになるだろう。
「なぁ今日はシークが向こうにいなかったか?」
何の前触れもなく彼がいきなりそう問いかけてきた。
「そうだっけ」
僕は魔法陣を描き続けながら気の抜けたような返事をする。シークは同僚であり上司のようなそんな存在。僕がシークに対して苦手意識を持っているから彼がいる日は避けていることはセオルドにも気がついていたようだ。へらへらと掴み所のない感じがどこか自分と合わない。話を合わせるのにも少々面倒なため彼には近づかないようにしていた。しかし今日は珍しくいる日に天界を訪れようとしている、それがセオルドにとっては少し疑問だったのだろう。だがこれは単純な話で、僕の知的好奇心が苦手な人物をも勝ったということだ。気になることは早く潰しておきたいのが自分が思う自分の性格である。一通り魔法陣を描き終え、手についた白い粉を叩きセオルドの方へ向き直る。
「出来たけど一緒に行く?」
1人で行く方が面倒臭くなくていいかなと思ったのはその質問を飛ばしたすぐ後だった。彼は「もちろん!」と大声で返事をした。そして僕達は生まれ育った場所へと向かったのであった。
相も変わらずこの世界は綺麗だ。人の住む世界とは打って変わった、という感じだろうか。住んでる種族も違えば見える景色もずいぶん違う、全体的に白みがかったこの世界は自分には少し眩しすぎる。そんな気もしていた。
「ほら行くぞ」
眼下に広がる風景とは反対に暗い考えを巡らせていた僕の思案を吹き飛ばすかのようなその明るい声は白い世界に響いた。彼は僕の手首をがっしりと掴む、その手のひらは温かい。
「気になるんだろ?早く行こうぜ」
ずっと上の方から飛んで来る言葉にこくりと小さく頷いて僕は足を進めた。
「お、リオンとセオだ〜」
「珍しいな、こんなところまで」
緑と深い青の髪がふわりと揺れる。同時に振り返る2人を見るといつもの仲の良さが伺える。壁一面に本棚が広がるこの図書館は、シンボルである大きなお城の中に敷設されている。しかし階級の差によりほとんどの天使が立ち入ることが出来ないためにいつも閑古鳥が鳴く様な状態である。この二人、クラルとヴェルド以外の天使がいるところをあまり見ることはなかった。
「ちょっと見て欲しいものがあって」
そう言ってクラルの目の前にずいと例の冊子を差し出した。それを受け取ると慣れた手つきでペラペラとページをめくり中を読む。
「こんなものどこで見つけたの?」
クラルは冊子に目を落としながらそう尋ねる。投げかけられた質問に対して回答と今までの経緯を簡単に説明した。下界という単語を聞いてクラルは目を煌めかせた。普段天界から下界に降りることを許可されていないクラルにとって下界は未曾有の世界である。そんなクラルを横目にヴェルドは冊子を手繰り寄せて中を見る。しかしその表情からして僕たちと変わらない様であった。
「読めないではないか」
「ヴェルドは読めないのか」
セオルドのデリカシーのない発言がヴェルドのプライドに刺さった様であったが、それに対してヴェルドはふんとそっぽを向くだけだった。ルヴァイツに比べたら対応がずっとマシだと感じた。ルヴァイツなら適当な魔法か拳を顔面に当ててくるだろう。解読を頼むため冊子を2人に預け、時間を潰すためにとどこかへ出かけようと図書館を後にしたところで奴と出くわす羽目となった。
「やぁ、珍しいねぇ。特にリオンは」
ふわりと長い薄金の髪を揺らす奴、シークはニコニコと嘘くさい笑顔でそう話しかけてきた。
「何の用で来たかはあんまり知らないけど、どうせもうしばらくここにいるんでしょ?じゃあ僕も一緒にいてもいい?」
口から弾丸のように飛び出す言葉の群れを躱すこともせずに無視を続ける。面倒くさい性格には折り紙つき、と言ったところだろうか。セオルドは僕の対応を見たからか寡黙を貫いている。
「じゃあ僕はヴェルドのところにいようかな」
心にもないことをなんとなく呟いてみる。ヴェルドと一緒にいるなんてさらさらごめんだがシークよりかはマシかもしれない。
「何でそんなに僕のことが嫌いなのさ」
「面倒臭いから」
この一言に限る。こうやって会うたびに絡まれ、やれ仕事だやれ頼み事だと言って上司権限とか適当な理由をつけて動かされてはそう思うのもおかしくはないだろう。ルヴァイツも大概にそう思っている。そして一連の流れを傍観していただけのセオもそう思っているのだ。
「僕、嫌われ者ってことか〜」
「嫌われ者というより性格の相性だと思うぞ」
セオも呆れ顔でそう言った。面倒臭いのが好きな人か寛容すぎる人ぐらいしかこいつの相手はしきれない、そういう意味を含んでいるんだろう。なんせベディーネやクラルはシークに対して嫌悪感を抱いてはいない。
「まあ言い争いもここら辺にして、別の世界の季節行事について調べてるんだっけ?」
何の用で来たかは知らないとか言っておきながらやはりこちらの事情は確認済みのあたり、いやらしい性格である。
「そうそう、何だっけ……タバナタ?タナバタ?そんな感じのやつ」
「ふーん……」
セオとシークが一言二言会話を交わすのに耳を傾けてながら歩いた。相も変わらず城の内部。足を進める先には美しい装飾の施された大きな扉があった。ひんやりとした金色の取っ手を掴み、グッと前に押すとそこは開けた部屋にポツンと一つベッドが置いてあるのみ。天蓋の付いた豪華絢爛なベッドの上にはふんわりと触り心地のいい上掛け。そう、ここは寝室。それも僕ぐらいしか使わない。
「リオン、そこ好きだよねぇ」
「な、ベッド以外何もないのに」
ベッド以外何もないからいい。天界は静かだ、下界のように忙しなく動き回る人や機械はない。その静かな空間にひっそりと身を潜めて、ゆっくりと眠りに落ちるのも悪くない。僕にとって睡眠は魔力の回復以上の価値がある。
「ここに来たってことはリオンは寝るのか?まあいいけど」
「邪魔が入るとうるさいもんねぇ……それなら僕たちはお暇するよ」
そういうと2人はそそくさと退散した。よくわからないけど運がいい、シークもいなくなって睡眠も取れる。ふわりと上掛けをめくり中に身体を滑り込ませる。緩やかに沈み込む身体はまるで自分のものではないかのような感覚だ。脱力感に抗うことなく、そのまま意識を手放した。
天使たちとタナバタのお話です。
いつになっても完成しないので完成しないまま載せます、完成してないです。オチもないです。