爪先の境界線 ーアサミー
安心してください。ようやく、物語が見え始めますよ。
「じゃあ、11時に駅前ね! 遅刻しないでよ、ナズナ」
「うん」
ナズナに念を押して、ウチは電話を切った。
明日は日曜日。久しぶりにナズナとショッピングに行く予定。普段はカズキやシュウトも一緒に喫茶店で喋ってババ抜きしてるんだけど、明日は別。ウチとナズナだけで、遊びに行くのだ。
「ふっふふー、何着て行こうかなっ」
めいっぱいオシャレしていっちゃお! てゆーかナズナだってちゃんとオシャレしたら絶対可愛くなるのに、ファッション疎いってゆーか、他人の視線まるで気にしないってゆーか、とにかく鈍感。そーだ、明日ナズナの私服とかウチが選んじゃえばよくない!?
さらに楽しみになって、ベッドに軽くダイブした。
ナズナ、カズキ、シュウトとは、小さい頃からの付き合い。家がご近所だったこともあって、親同士も仲が良い。ぶっちゃけ小学校の頃はグループ違う時期もあった。だってナズナっていつも反応薄くて、ウチといてもつまんないんじゃないのかなって不安になったんだもん。
けど違ったんだよね、ナズナは昔からブレてない。小学校で予告なしに衛生検査があって、ハンカチとティッシュ持ってるかチェックされてたの。ウチがハンカチ忘れて慌ててた時に、「これ持ってて」って自分のを渡してくれた。結局ナズナが忘れたことになって先生にも注意されて……ホント、何てゆーか、お人好しすぎ。無気力なんだよね、すごーく。ナズナはナズナ自身のこと、どーでもいいって思ってる。
だから、どーでも良くないんだってことを、ウチが伝えなくちゃって思ったんだ。まぁ、ウチがあれこれ頭使って動かなくても、世話焼きたがりの幼馴染みがいるんだけどさ。
******
――「お願いします……お願いします……」
――「どうしてこんなことに……」
ん? 誰だろ、ウチに何か頼みごと?
変な夢。広い神殿……ギリシャっぽい感じ。何が祀られてるんだろ。
――「どうか、どうか命だけは……」
――「我々が一体、何をしてしまったと……」
――「不遜など……決して……」
あれ、ウチに頼んでるんじゃないのか。それにしても、命乞いとか物騒だなぁ……。でも多分、こーゆー神殿とか作ってる時代って、権力者の弾圧激しかったっぽいね。
てかこの声どっから聞こえてくるの? ちょっと気味悪いんだけど。ウチ、こんな古い時代の異国の夢とかあんま見ないのに……そんな本読んだかなー……?
不思議に思いながら神殿の外を覗いて様子を見てみる。中に横たわってる人が一人いるけど、眠ってて事情は聞けない感じだし。
――「にゃあ」
――「にゃあ、にゃあ」
――「にゃあああ」
覗き込んだ瞬間、さっきまで聞こえてきてた色んな人たちの声が、聞こえなくなった。代わりに飛び込んできたのは猫の鳴き声で……外に集まっていたのはたくさんのロシアンブルー。
えっ、何この光景! 超可愛いんだけど!
テンション上がって笑みがこぼれる。ネコちゃん達はウチの笑顔に反応するみたいに、にゃあにゃあと、ないた。
******
「ナズナぁー、これ着てみてよぉー」
「えー……ピンクはちょっと……それにフリル……」
「たまにはいいじゃん、このくらい! 夏休み近いし、勉強会した時に絶対喜ばれる!」
「よくわかんないよ、アサミ……」
「いーからー」
洋服に全くこだわらないナズナに、ウチはパステルピンクのフレアスカートを押し付けて、試着室に強制収容した。だってナズナってば、夏でもスキニーとTシャツばっかりで、そもそもあんまり外に遊びに行かないからアレなんだけど……とにかく勿体ないし!
抵抗しまくりだったけど、おずおずと試着室のカーテンを開けたナズナには、やっぱり似合ってて。うん、ウチの見立て正解じゃん!
「ナズナ、買おうよ!」
「き、着たんだからもういいよー……」
「ウチにプレゼントされるか、自分で買うか、どっちがいい?」
「…………分かった、買う」
プレゼントなんてされたらしょっちゅう着なくちゃいけなくなりそう、とぼやくナズナに、バレたかー、と笑った。
そうだよ、ナズナが自分のことどーでもいいって思ってても、ウチらはナズナのこと大事な友達だと思ってる。あっ、大事な「友達」だとは思ってないかも知れないけど。ウチが気付いてないとでも思ってんのかなー?
けどこれから先も、ずっとずーっと、ナズナはウチの大事な友達。一番近くにいる親友なの。代わりに怒られてくれたり、掃除当番手伝ってくれたり、宿題助けてくれたり、愚痴も聞いてくれるし……「大丈夫だよ」って言ってくれる。
いつだってブレないナズナは、どんなことに直面しても、何てことない顔して「大丈夫だよ」とウチを励ましてくれる。周りに流されないナズナは、無気力なのに強くて、無関心なのに気高くて、無反応なのに凛々しいから、憧れちゃうんだ。
ウチらの関係性がどんなになったって、ウチらはナズナの味方だよ。周りが何て言ったって、ナズナの凄さは知ってるから。
そう、これから先も……――
――「お願い、します……。どうか、どうかお戻りに……」
は? 一体誰?何なのよ、夢の続き……?
「アサミ?」
「えっ?」
「お待たせ。買ってきた」
「あ、うんっ! 絶対いい買い物だよ! 休みの日とか、積極的に着てね!」
「……可能な限りで、」
「もーっ、ナズナー! 可愛いし似合ってるってウチが保障するからぁー!」
ショッピングの後、パンケーキ食べに行こうってことになって、駅ビルを出た。お店に向かう途中の横断歩道で、不意にナズナが足を止める。
「どったの?」
「ううん、何でもな……」
「にゃあ」
取り繕ったみたいに微笑んだナズナの台詞を遮って、響いたネコのなき声。
そちらを見ちゃいけない気がしたのは、何でだろう。いけない気がしたのに、本能が警告を鳴らしまくってたのに、視線を向けてしまったのは……どうして?
「にゃあ、にゃあ」
ないてるロシアンブルーと目が合った瞬間、頭の中にたくさんたくさん声が聞こえてきて、響いてきて、侵食されてくみたいで、割れそうになる。
咄嗟に下を向いて目を逸らして、左手を頭に当てたけど、痛みは収まるどころか激しさを増してく。
嫌だ、いやだ、イヤイヤイヤ……! 何が? どうしてイヤなの? ウチは何に怯えてるの?
ネコの声が聞こえる。何十匹、何百匹、何千匹もの声が。そうだよ、ウチはネコが大好きなの。だから……そう、【あの日】の【あの光景】は最高に理想的で……――
――「勝手に人の運命を選ぶなよ!!」
何で怒ってるの、____。
――「意のままに、など……僕にはとても、」
何で怖気づくの、____。
――「大丈夫、ずっと一緒にいる」
何で許してるの、____。
「……ミ、アサミ……アサミ!」
声が聞こえるのは、どっちからなんだろう。
ウチは、あのロシアンブルーを知ってて、もしかしたら知らなくて……でも、ロシアンブルーが「何をしに来たのか」は知ってた。
「にゃあ」
――「どうか」
「にゃあにゃあにゃあ」
――「お願いします」
ああ、今そっちはすごくステキな世界になってるんだね。この目で見れないのはとっても残念なんだけど、でも私はこっちで超幸せだから、そっちのことはどーでもいいんだ。
自分勝手だとか非難されまくりなんだろーけど、勝手にしてればって感じ。どーせこっちには届かない。それに……自分勝手なのは私だけじゃない。
「アサミっ……!」
――「アスモちゃん!」
正面から呼びかけるナズナの声に、瞬きをする。頭が割れそうなほど流れ込んできてた声は全てシャットアウトして、私は顔を上げた。いつも無気力無関心な姿勢を貫いてんのに、その瞬間のナズナは、とっても心配そうな顔をしていた。
「大丈夫?」
「うん……ごめん、立ちくらみしちゃった」
「今日はもう、帰ろ? 明日も学校あるし……」
「んーん! パンケーキ食べる! 食べたら元気出る気がするし」
「でも、」
「お願いナズナ、もう大丈夫だからさっ」
手を合わせる私に、ナズナは「ホントに平気なんだよね?」と確認してから、パンケーキ屋へと歩き始めた。
「ありがと、ナズナ。我儘に付き合ってくれて」
「……やっぱりまだ頭痛い?」
「何でよーっ! 人が真剣にお礼言ったのにっ」
「珍しいと思って」
「いーじゃん、たまには!」
私は自分勝手に振り回してる。それが分かっただけで、今は充分。他のことは知らない。他のことは見ない。
4人で楽しむババ抜きの邪魔は、誰にもさせないよ。
――「どうか、どうか……」
そっちはそっちで楽しそうじゃん。
――「助けてください……聖女さま」