第50話 参謀と弓隊長
テントの中にいたマエラは、風のように侵入してきて、いきなり腕をつかんだサイに驚きを隠せていない。
見開いた目は潤んでおり、サイのつかむその手は、震えていた。
様子が尋常ではない、という事だけは分かる。
「…………」
「…………」
マエラはしばらく何も言わず、ただ驚いた表情で先を見ていた。
何も言わないので、サイも、何も言わず、じっとその目を見ていた。
「……離しなさい」
マエラは毅然とした冷たい声で言う。
「……あなたがもう、自分を傷つけないなら離します」
「それは、私の勝手でしょう。あなたはこんなところに感けている場合ではないはずです」
「あなたが自傷するのなら、それは重大な事件ですから、私は止めなければならない。あなたがご自分の眼を潰すということは、あなただけの問題ではありません」
マエラは睨むようにサイを見て、その手を振り解こうとするが、力ないマエラの腕力が、毎日弓を引いている際に敵うわけがなかった。
「離しなさい!」
マエラは怒鳴りながら振り解こうとするが、サイは一向に手を解かない。
「私の眼球がどうなろうと、あなたには関係ないでしょう! 私はこれからもこの騎士団で参謀を続けます。だからこそ、この目を、魔の眼を、潰す必要があるのです!」
毅然とした態度にも見える。
だが、この知の参謀が隠しきれないほど動揺しているのが、サイにも分かる。
「……関係はあります。あなたは殿下のご正妻候補と聞いております。ジュエール王国の王妃は、将来の国王陛下であらせられる殿下のためにも、美しくあらねばならないのではないですか?」
「……それくらいは……分かっています。ですが、この魔の眼がある限り、私はこの騎士団にはいられません」
その瞳からは、涙が零れ始めた。
自分でも、自分の眼球を潰したくなんてない。
だが、この目が魔姫によって呪いをかけられた眼となれば、潰すしかない。
それしか道がない以上、自分の選択肢は、それを潰すか、騎士団を去るかのどちらかだ。
そして、自分の参謀としての後継者がいない以上、騎士団を離れるわけには行かない。
「差し出がましい提案をしますが……」
「何ですか? この私に提案など」
自分を誰だと思っている、この騎士団の知、マエラースンですよ、と言いたげな、少し小馬鹿にしたマエラ。
「眼帯を付ける、というのでは駄目なのでしょうか?」
「…………っ!」
「…………?」
サイの提案に、マエラは驚いて目を見開く。
そして、サイを睨んだまま、固まった。
その顔が、徐々に赤くなってくる。
「……その、もしかすると、なのですが……」
サイが言いにくそうに口を開く。
「気づかなかった、とかですか?」
「………………!」
泣いていた赤い目に、赤い顔、サイを殺しかねないほどの勢いで睨まれ、思わず手を離してしまう程だった。
騎士団の参謀であり、知の一族モルディーン家の兄弟で最も賢く、この国でも有数の知識である彼女が、教えさえすれば彼女を凌ぐとはいえ、ただの弓エルフにそれを指摘されてしまった。
それがあまりにも、心から恥ずかしかったのだ。
「はあ……私にだって、気づかないことくらいはあります」
それは彼女のプライドを大いに傷つけたが、それすらももうどうでも良くなった。
短剣をしまったマエラは、そのまま台に伏せた。
拗ねているようにも思える。
少なくとも普段の凛とした言動からは考えられない態度だ。
サイも彼女の事を少しは理解している。
少なくとも目で見たものが魔姫に知られるという話で、眼帯を考えない程頭の悪い女性ではない。
それほどまでにショックで、追い詰められていたのだろう。
「……あなたこそ、何を企んでいるのですか?」
その目は、いつもサイに向けられる冷たいそれではなく、拗ねた少女のそれだった。
「何のことですか?」
「なぜわざわざ私を助けたのです? 私がそれであなたへの印象が良くなるとでも?」
「人を助けることに何か理由が必要なのですか?」
「そんな綺麗事を言っても──」
「?」
じっと、マエラに見つめられるサイ。
「あなたは、何の邪心も見受けられないように思えます。いつも表情に乏しいですし。あなたは感情がないのですか?」
「感情は、あります。……今日はそれで泣いてしまいましたし」
「あなたが泣いた? 何故?」
驚いたマエラが、ほぼ好奇心で聞く。
「……殿下が温泉で私の股間を……」
それ以上言うとまた忘れかけていた感情が戻ってしまうので言葉を止める。
「……話は分かりました。殿下には厳しく言っておきます」
思った以上に馬鹿馬鹿しい内容に、マエラはため息を吐く。




