衣替え
大体、中間テストが終わってから制服は半袖に変わる。
でもそれが衣替えの季節なのかどうか、俺は知らない。
ただ、テスト後の休日を挟んで、月曜日。もっとも半袖になる人が多い日を見計らって、俺も半袖になるだけで……ついでに言うなら、今日はその月曜日だ。
半分以上が半袖の教室は、黒が劣勢なオセロのようで、少数派でも長袖を着ている生徒はいることを、少ないからこそなのか、ハッキリと主張している気がした。
だけど、これが夏休みまで続く人はいないだろう。おそらく、その前にある修学旅行で半袖を強要されるから。
でも、修学旅行前ギリギリまで粘る人もいる。
例えば、日焼けをしたくない女子。これは菜乃花だ。今はそう暑いわけでもないが、汗ばむ程度に暑くなる昼間とかでも菜乃花は涼しい顔をして着ているから凄い。……凄い、目立つ。
あとは、クリーニング中だったり、寒がりだったり、忘れていたり――――隠したいものがあったり。
他にも、中に夏服を着る、という強者もいる。暑かったら脱げるし、寒かったら着れるという、最強装備にも見えるが、二枚重ねなんてすぐに暑くなるだろうから俺はやらない。
「よぉ、葉月」
「一樹、お前は変わらないな。つまんねぇの」
朝練がないはずの月曜日に汗だくな一樹は、代わり映えなく半袖だった。
「第一声がそれって酷くね? 何が変わんねぇんだよ」
「あ? 制服だよ、制服」
「なーる」
変わったらこえーよなぁ、と汗を拭きながら葉月がカバンを机に置く。
その音で、菜乃花が読んでいた本を閉じて顔を上げた。
「おはようございます」
「はよー、お前は長袖なんだな。暑くね?」
「いえ、文化部ですから……それに、そこまで暑くないかと」
なんとも言えない表情で一樹を見ながら、菜乃花が答える。
ほぼ年中半袖な一樹に、どう返せば言いか分からないのだろう。
「日焼け対策だよな?」
「えぇ、まぁ。あ、おはようございます葉月君」
救いの手が伸ばされたことに対する安堵からか、ふんわりと微笑んで、菜乃花が机に頭をぶつけない程度にお辞儀をしながら挨拶をした。挨拶してから頭を下げなさい! とは思わない。挨拶とセットでお辞儀をすること自体が凄いからな。
「肌って白すぎると不健康に見えるぜ? 少しくらい焼けてた方が健康的で可愛いんじゃねーの」
「……そう、ですかね……?」
曖昧に返事をしながら、チラリと俺を見る菜乃花。んー……どうフォローしたものか。同意したいところだけど、そうすると今の菜乃花を否定してることになるかもしれないし……なら「白いほうがいい」って言うのか? ど、どっちがいいんだ、これ。
「おっはよー……」
「おぉ、実咲は半袖か」
無駄に悩んで悶々としていると、低いテンションを無理やり引き上げて失敗したかのような声が聞こえた。一樹の呟きに反射的にドア側を見る。
キョンシーとゾンビを混ぜたような異様なまでに猫背の実咲が、半袖の制服を着て立っていた。縛り忘れたのか、解けたのか、赤いスカーフが襟元に垂れ下がっている。横で一つに纏められた黒髪もボサボサにはみ出していた。
眠たいのか、疲れたのか、緩慢な動作でこちらへ歩きながら実咲が答える。
「だって、衣替えのタイミング皆ここじゃないー?」
俺と同じ思考回路らしい。まぁ、大抵のやつらがそういう考えだから、そういう流れが出来るのだろうけど。
さっきの菜乃花のように微妙な顔で、曖昧な返事しながら、一樹が実咲のスカーフに手をかける。
「タイミングか……でも、皆こんなに着崩してはねぇよなー?」
「あ、一樹は関係ないのか。つまんないなぁ」
「それ葉月にも言われた」
正面からにもかかわらず、綺麗にスカーフを結んだ一樹が苦笑する。その様子は、いつもと違って年相応か、大人びて見えた。実咲が幼いだけな場合もあるけど。
「うわー髪がボサボサだー、菜乃ちゃんのサラツヤ髪が羨ましいよ、もー」
カバンを机に半ば投げながら置くと、実咲がぼやきながら髪を結びなおす。さりげなく折りたたみの櫛を差し出しながら、菜乃花が笑った。
「いえ、私は少しくせ毛ですから。……細いから絡まりますし」
絡まる、のところで少し顔をしかめながら、実咲の髪をじっと見つめる。確かに菜乃花の髪は細く、艶やかな分、光を多く跳ね返して煌いていた。
対する実咲は、寝癖なのか上向きに跳ね、太めで少し硬そうだった。なんていうか……寝癖直すの大変そうだな。
ガリ、プチッ、と痛々しい音を立てながら実咲の髪が、落ち着いていく。持ち上げられた左腕に、左手首に――――傷は見えなかった。
勝手に緊張していたのか、体から力が抜けるのを感じた。不意に、実咲がこちらを見る。タイミングが良すぎて、たじろぐ。
「あのさぁ」
「おぉ、ど、どうした」
「一樹ってそれ地毛なの?」
俺の肩越しに一樹を指差す。慌てながら返事した自分が恥ずかしかった。目が合わないように実咲に背を向ける。突然話を振られたのに驚いたのか、パチパチと瞬きをしていた一樹と目が合った。
「俺? あぁ、うん。地毛」
「へぇ、綺麗だねー」
「だろー、昔からなんだよなぁ」
そう言いながら自分の髪を見ようと、短い前髪を引いて顎を上げる。もちろん、髪は後ろに下がるから見えない。明るい茶髪は一樹が動くたびに揺れて、光に透けるたびに、白人の髪のような色の薄さになった。
動く毛先を追っていたら、一樹が自分の髪を見ようと、まだ足掻いていることに気づいた。……しっぽを追う猫ってこんなんかな。
「あ゛ー、みっえねーぇっだ!?」
体を反らせすぎて、一樹が壁にぶつかったところで、チャイムが鳴る。
丁度に教室へ入ってきた那賀川が、修学旅行の話をするのは一樹にどん引いてからだった。