解けたナゾ。
そして、何も出来ないまま放課後になった。
クラスメイト達が笑いながら教科書を詰めていたとき、廊下から顔だけ出して榊原先生が言った。
「部活は顧問がつけないから中止ー。皆帰っていいよー」
おもわずガッツポーズをしかけた次の瞬間、あのゆったりとしている彼から爆弾が落とされる。
「あ、でも放送委員は、アンケートの結果集計で居残りね」
クラスの大半はそれでも笑ってガッツポーズをしていた。そりゃそうだ。“放送委員”じゃなければ、関係が無いことだから。そして、そのクラスの大半、に入れない奴は呆然と榊原先生を見つめる。
「おつかれさんっ」
帰り際に友達が俺の方を一回ずつ叩いて出て行く。笑い顔、いや、今にも大笑いしそうな顔で。口を痙攣させながら。
「……おー」
濁った目で、帰っていく友達に手を振っていた俺の背中に、今までで一番強い衝撃が走る。思いっきり背中を叩かれた後、肩に腕を回された。
「放送委員も、大変だなー葉月ー」
その腕の主は、やっぱりだけど、愉快そうに片手で腹を抱えて笑いをこらえた一樹だった。一瞬殺意がわいたのは、気のせいじゃないと思う。
その後もクラスメイトに、ご愁傷様。と笑われ、取り残された俺は、自分の机の上で、沢山の紙を睨んでいた。
[流して欲しい曲は何ですか!?]と可愛らしい字で書かれた、その下にはありないほど沢山の曲名が書かれている小さい紙切れ。
しかも、それが34枚くらい。多い、しかも同じ放送委員会の菜乃花は、残念ながら用事があったらしく、土下座しかねない勢いで謝りながら帰ってしまったから、俺は1人でこれを片付けなくてはならない。
ツいてない。本当に。
やる気が起きないまま、ぼんやりと目の前の紙束に手をかけたとき、後ろのドアがガッ、と引かれる音がした……がおそらく閉められているので開く音は聞えない。
振り向くと、懸命にドアを開けようと奮闘している、実咲の姿があった。
呆れて、そのまま見つめていると、顔を上げた実穂と目が合う。
口ぱくで「開かないの」と言われたので「前に来い」と返すと、しぶしぶ、といった様子で入ってきた。
「開かないー、なんで?」
「鍵が閉まってるから」
「あ゛」
「……ばーか」
「あ゛ぁ゛?」
「…………」
凄い形相で睨まれた。コイツに睨まれる度に思うけど女子ってすげぇ。
なんで、一瞬で顔が変えられるのだろう。
白々しく目をそらすと、隣のイスに実咲が座った。
「なに?」
「ん?」
「なんで座るの?」
「あぁ。手伝ってあげようかと」
「へぇ……そりゃ、どうも」
そう呟くと、ふんっ、と胸でもそりそうなほど偉そうに実咲は笑った。
そして、
「お前みたいなバカが、早く終わるとは思わねぇからなー」
と。物凄く変な声で言われた。
おちょくってんのか? コイツ。
それからは、今日の授業で寝ていた、だの、部活が面倒くさい、だの、実咲らしい無気力論をひたすらに聞かされた。
で、思った。
この無気力+面倒くさがり=実咲 という式が出来そうなほど省エネのコイツが、なんでこんな面倒くさい作業を手伝っているのか、と。
まぁ、聞くと「だよねー、うん。帰るわ」とか言われそうなので言わないが。
しばらくして、少し沈黙ができた。
喉が渇いたのだろう、お茶を飲み、そして飲み終わったときに、だ。
まぁ、そこから自然に会話に入るのも難しいだろう。
さて……。意を決して、俺は口を開いた。
何事も勢いが大事だと、誰かが言っていた気がする。
「なぁ」
「……? なに」
「左手さ、貸してくんない?」
「……え? なな、なんで?」
「いいから」
少し動揺した実咲に、強めに頼み、左手を引く。
手の甲が見えるようにして、出た腕を裏返し、しっかりと手首を見ると、やっぱりあった。
でも、何か変だ、何かが。
じっと見つめている視線の先に気がついたのか、実咲は勢いよく腕を引き寄せ、そのあと「しまった」という顔になって固まる。
「それ、さ」
少しためらいながら、腕を指さし、俺は聞いた。
「どうしたの?」
次の瞬間、大きく目を見開いて、僅かに後ろに彼女は下がった。
なのに、すぐにいつも通りの笑顔になって口を開く。
「朝起きたらさー、傷がついてて、多分……どっかで引っ掛けたんじゃないかな? 擦って血とか落としたんだけど……」
それで、俺は今まで感じていた違和感の正体がようやく分かった。
赤い傷の周りの、赤く色づいた肌。
あれが気になっていたんだ。
なんで、赤いのか、と。
擦っていたんだ、消そうと。
赤くなるまで、執拗に、ひたすらに。
それは本当だ。
でも、実咲は、嘘をついた。
その証拠に、さっきから目が合わない。
あいつは嘘をつくと、絶対に目が合わない。これは菜乃花に教えてもらった。
「嘘、ついただろ」
「……え?」
実咲が呆けたような声を上げる。頭が追いついていないのだろう。
だから、俺は息を吸い込んで、もう一度同じことを言った。今度は下を向きながら。
「嘘、ついただろ」
「…………」
不意に、気持ちの悪い沈黙が訪れる。
耐え切れずに、顔を上げ、様子を伺おうとして、俺は固まった。
泣いている。
あの、実咲が、泣いている。涙を、流している。
「え……」
「……え? あ、あ。っははは……」
思わず間抜けな声が口から漏れる。
彼女が泣くだなんて思ってもいなかった。
実咲はそんな俺を不信そうに睨み、その反動で落ちた涙に気づき、慌てたように手で乱暴にぬぐってから、取り繕うに笑った。
「あはは、ま、前髪が目に入ってさ、うん」
「あ、いや。えっと」
「気にしないで、ごめん、ごめん」
どうしたらいいか分からなくなり、口ごもって、おろおろしていると、実咲は、いつもの笑顔なのかよくわからない、下手な笑顔で、手を振った。
その後、実咲は不意に何もなかったように笑い、何もなかったように世間話を、唐突にし始めた。
それも、わざとらしくも、取り繕うようでもなく。ただただ、ひたすらに自然に。
その後、最終下校時刻がすぎそうになってしまい、急いで俺らは帰った。
そのときも、実咲は笑顔だった。いつも通りの、笑顔だった