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月のチャームが揺れた日  作者: かも@ろん


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第9章 ノートの影、揺れる視線

朝のオフィスは、いつもより少しだけざわついていた。

週の真ん中なのに、妙に人の動きが多い。

コピー機の前で誰かが書類を落とし、給湯室ではコーヒーの香りが漂い、電話が立て続けに鳴っている。

みつきは、バッグの中にそっと手を入れた。

指先が触れたのは、昨夜描きかけのまま閉じた“創作ノート”。

ひよりのスケッチだけでなく、オリジナルキャラ「月影ミラ」の設定、敵キャラの構図案、セリフの断片、プロットのメモ……全部が詰まっている。

朝のオフィスは、いつもより少しだけざわついていた。

週の真ん中なのに、妙に人の動きが多い。

コピー機の前で誰かが書類を落とし、給湯室ではコーヒーの香りが漂い、電話が立て続けに鳴っている。

みつきは、バッグの中にそっと手を入れた。

指先が触れたのは、昨夜描きかけのまま閉じた“創作ノート”。

(……今日も持ってきちゃった)

本当は家に置いておくべきだ。

でも、みつきにはどうしてもできなかった。

理由は三つある。

ひとつは、

アイデアが浮かぶのは決まって“外にいるとき”だから。

通勤電車、昼休み、帰り道。

ふとした瞬間にミラの表情や構図が浮かぶ。

その瞬間を逃したくない。

もうひとつは、

家に置いておくと、逆に“誰かに見られる可能性”が怖いから。

宅配の受け取り、点検、友人が来る日。

家にあるほうが、むしろ危険だと感じてしまう。

そして最後に、

ノートが手元にないと落ち着かない。

創作をしている人間にとって、ノートは“お守り”のようなものだ。

持っているだけで安心する。

(……でも、会社に持ってくるのは本当に危ない)

昨日の“ノートが覗いた事件”が頭から離れない。

あれは偶然だった。

でも、偶然は繰り返す。

(今日は絶対に気をつけなきゃ)

(……今日こそ、絶対に見られないようにしなきゃ)


席に向かうと、隣のデスクから声がした。

「おはようございます、朝倉さん」

黒瀬玲央。

いつも通りの落ち着いた声。

でも、昨日の夜のメッセージが胸の奥でまだ熱を持っている。

「おはようございます」

それだけ。

会社では、これ以上の会話はしない。

二人とも“擬態”を守っている。

……はずだった。

「昨日の資料、拝見しました」

(資料……?)

予想外の話題に、みつきは瞬きをした。

「ありがとうございます。何か問題がありましたか?」

「いえ。むしろ、すごく読みやすかったです」

(読みやすい……?)

「構成が……なんというか、“動き”があるというか」

(動き……!)

まただ。

また核心に近い言葉。

「……そうですか?」

「はい。視線の誘導が自然で、ページをめくる感覚に近いというか」

(ページを……めくる……)

それは、完全に“同人誌のコマ割り”の癖だ。

ミラの物語を描くとき、読者の視線が自然に流れるように構図を組む。

その癖が資料に出てしまっている。

「……癖、みたいなものです」

「癖って、面白いですよね。本人は気づかないのに、作品に出る」

(作品……!?)

一瞬、心臓が跳ねた。

黒瀬は、気づかないふりをして続ける。

「僕、朝倉さんの資料、好きですよ。情報が“流れて”くる感じがして」

(また……!)

会社の空気の中で言われると、余計に心臓に悪い。

「……ありがとうございます」

声が震えた。

黒瀬は、みつきの反応に気づいたのか、少しだけ視線をそらした。

「すみません。朝から褒めすぎましたね」

「い、いえ……」

変じゃない。

むしろ、核心に近すぎる。


昼休み。

みつきは席でカップスープを飲みながら、午前中の会話を思い返していた。

(……“ページをめくる感覚”って……完全に漫画の癖じゃん……)

ミラの同人誌を描くとき、

“ページをめくる瞬間に感情のピークを置く”

という癖がある。

それが資料に出てしまっているなんて。

(……気をつけなきゃ)

そう思っていたときだった。

「朝倉さん」

黒瀬が、声をかけてきた。

「はい?」

「さっきの資料の件なんですが……」

(また資料……!?)

「一つ、気になったところがあって」

「どこでしょうか?」

「この部分……“余白の使い方”が綺麗だなと思って」

(余白……!)

それは、ミラの構図を考えるときに最もこだわる部分だ。

余白は“呼吸”であり、“間”であり、“緊張”でもある。

「……そうですか?」

「はい。情報を詰め込むんじゃなくて、空間で見せる感じがして」

(空間で……見せる……)

完全に“構図”の話だ。

「朝倉さんって、物事を“配置”で考えるタイプなんですね」

(配置……!)

それは、ミラのページを作るときの癖そのもの。

「……癖、みたいなものです」

「癖、多いですね」

黒瀬は、少しだけ笑った。

「でも……朝倉さんの“配置”、僕は好きですよ」

(また……!!)

会社の空気の中で言われると、余計に心臓に悪い。

「……ありがとうございます」

声が震えた。


午後。

みつきは資料をまとめながら、バッグの中のノートを意識していた。

(……今日は絶対に覗かせない)

そう思っていたのに――

「朝倉さん、これ……」

佐伯が書類を持ってきた。

受け取った瞬間、バッグが少し傾いた。

(……っ!!)

ノートの端が、また覗いた。

今度は、ミラの“覚醒前”のラフ。

髪が風に揺れ、瞳に光が宿る直前の表情。

(やばい……!!)

慌ててバッグを押さえたが、黒瀬の視線が一瞬だけそこに向いた。

(見られた……!?)

心臓が跳ねる。

だが黒瀬は、何も言わなかった。

ただ、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。

(……気づいた?)

いや、気づいていない。

気づいていないはずだ。

でも――

胸の奥のざわつきは、もう誤魔化せなかった。

(……このままじゃ、絶対に何か起きる)

そう思った瞬間、

みつきの予感は、静かに現実へと近づいていた。


午後の空気は、朝よりも落ち着いていた。

会議も一段落し、オフィスにはキーボードの音だけが規則的に響いている。

みつきは画面に向かいながら、バッグの中にあるノートの存在を意識し続けていた。

(……今日は絶対に覗かせない)

そう決めていたのに、午前中だけで二度も危ない場面があった。

ミラのラフが覗き、黒瀬さんの視線がそこに向いた。

気づかれたわけではない。

ただ、あの一瞬の“間”が怖かった。

(……落ち着け。仕事に集中しなきゃ)

そう思って資料をまとめていると、黒瀬さんが席を立った。

会議室へ向かうらしい。

その背中を見送りながら、みつきはようやく息を吐いた。

(……今日は、何も起きませんように)

願いは、いつも叶うとは限らない。


定時が近づくと、オフィスの空気は少しずつ緩んでいく。

帰り支度を始める人、雑談をする人、書類を片付ける人。

そのざわめきの中で、みつきもパソコンを閉じた。

(……今日は、何とか乗り切れた)

そう思った瞬間だった。

「朝倉さん、これ今日の分の追加資料です」

佐伯が書類を持ってきた。

受け取ろうと手を伸ばした、そのとき――

バッグの持ち手が、椅子の背に引っかかった。

(……あ)

ほんのわずかな引っ張り。

でも、それで十分だった。

ノートが、するりと滑り落ちた。

床に落ちたノートが、ぱたんと開く。

開いたページには――

ミラの“覚醒前”のラフ。

髪が風に揺れ、瞳に光が宿る直前の表情。

ひよりの新ビジュアルを参考に描いた、みつきの“創作の核心”。

(終わった……)

佐伯が驚いた顔でノートを見た。

「あっ……すみません、落としちゃって……!」

佐伯が拾おうと手を伸ばす。

(だめ!!)

みつきは反射的に手を伸ばし、佐伯より早くノートを掴んだ。

「だ、大丈夫です!!自分で拾います!!」

佐伯は驚いたように目を瞬いた。

「す、すみません……そんな大事なものだとは……」

(大事……大事すぎる……!!)

佐伯が去ったあと、みつきは震える手でノートを閉じた。

胸の奥が熱く、痛いほど脈打っている。

(……見られてない……よね?)

そう思った瞬間――

視線を感じた。

顔を上げると、

黒瀬が、静かにこちらを見ていた。

(……っ!!)

目が合った瞬間、みつきはノートを抱え込んだ。

黒瀬は、すぐに視線をそらした。

でも、その一瞬の表情は――

驚きでも、困惑でもなく。

理解しようとする目

だった。


黒瀬は、ゆっくりと席を立ち、みつきの近くまで歩いてきた。

周囲は帰り支度でざわついている。

誰も二人の会話に注意を向けていない。

「……大事なものなんですね」

その声は、驚くほど優しかった。

「っ……」

「無理に聞きません。でも……」

黒瀬は、少しだけ言葉を選ぶようにして続けた。

「朝倉さんが、何か“作ってる人”だってことだけは……なんとなく分かりました」

(……作ってる人)

その言葉に、胸の奥が熱くなる。

「……違います。そんな……大したものじゃ……」

「大したものかどうかは、僕が決めることじゃないですよ」

黒瀬は、少しだけ笑った。

「ただ……朝倉さんが“何かを作ってる”って思うと、なんか……嬉しいです」

(……っ!!)

心臓が跳ねた。

「す、すみません……変なこと言いましたね」

「い、いえ……」

変じゃない。

むしろ、心臓に悪い。

黒瀬は、少しだけ視線をそらした。

「……いつか、見せてもらえる日が来たら……嬉しいです」

(……っ)

その言葉は、

“創作の核心”に触れようとする手のようだった。

みつきは、ノートを抱えたまま小さく頷いた。

「……いつか、機会があれば」

「はい。楽しみにしてます」

黒瀬は、柔らかく微笑んだ。

その笑顔に、みつきの心臓はまた跳ねた。


会社を出ると、夕暮れの風が頬を撫でた。

みつきはノートを抱えたまま、深呼吸した。

(……見せられるわけない。でも……)

でも、ほんの少しだけ。

(……いつか、見せてもいいかもしれない)

そんな気持ちが、胸の奥で静かに芽生えていた。


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